自分が三原さんに会ったのは23年前・・・
仲間内、自己流でボチボチとやってきたグレ釣りですが、のめり込むほど名人と言われる方の釣りが見たくなったのです
そこで30歳目前を契機にクラブに入ろうと三原さんのクラブに入会することに
つりニュース記事もペンネームから本名にし、じゃんじゃん書いてました
同期には武田さんがみえました(ほかにもけっこう居ましたが思い出せません、笑) 確か、西口さんも同期くらいじゃないのかな?
堤防などでのコッパ釣りが役立ったのか、自分で言うのもなんですがクラブでもそこそこの成績を残せて、入会翌年には200人いたクラブの年間チャンピオンになるとともにG杯全国大会にも出場
決勝リーグにも残り、池永祐二名人との対戦は九州の「釣り紀行」でも詳しく取り上げていただきました
(三原さんのお別れ会に池永名人も九州から参列され、あのときのお礼を言うことができました)
池永名人はグレ釣りタイトルを総なめした九州磯釣り界のスーパースター そんな名人も三原さんとの対戦で影響を受けたそうです。そして弟子(というにはおこがましく、またそれほど指導を受けていたわけでは無かったですが)の私が名人と対戦、その後は池永名人が関わっていた伝説のロイヤルカップ出場、と繋がっていきます。
そんな感じでクラブ活動や全国出場が重なっていくわけですが、いくら釣りで目立っても現実問題、金銭的に苦労しました
テスターになったら道具とかもらえてラクになれるのかな?
でも先輩が沢山みえるし、順番的に40歳超えないとテスターなんて無理そう
普段は全く気を抜けない仕事から、休日は睡眠不足かつ全集中のグレ釣り。体調も異変をきたします
いろんな思いがあり、自分のクラブを作ることに・・・
もっと安くできて、楽しく和気あいあいとした仲間のクラブ
しばらくして休部。復活してチャンピオン戦に出ると二度目の優勝 翌年はマキエミスが出て準優勝
でももうやり切った
さらに休部。そのまま三原さんのクラブを離れることに・・・
いや、・・・もうちょっとゴタゴタもあったのですが(笑)
離れた自分が三原さんのことを書くのは、どうなのかな~とも思うけど、今回だけ・・・
やはり一度師弟関係が出来ると、それはずっと師弟のままなんだと思います
そしてみんな「おやじ」と呼ぶけど、自分の中では雑誌の裏表紙に載っていた「三原憲作の誘い技・グレ競技スペシャル」その頃から変わっていない雲の上の人だから「三原さん」としか呼べない
7~8年?出てなかった予選会に行くと、そこには三原さんがいて、昔と変わらず「おう!元気か!」と声をかけて下さりました
2年前、G杯尾鷲予選で4位となり、惜しくも本戦を逃したときは「あ~ダイドウ・・・」みんなに聞こえるような声が聞こえました
やっぱり男って、いつかは一人立ちしていく日が来る
だって、集まってくるのは三原さんに憧れたそういう男ばかりだもの
それは三原さんもよく分かっていたと思います
たぶん天国でこう言ってると思いますよ「おい!いろいろあるけどやな、絆が大事や!」