イメージ 1  御座磯といえば思い出す人が三重の(故)中瀬文男さんです。
いつもつりニュースに御座磯の記事やコラムを寄せておりまして、竿友会でリーダー的役割を担うとともに、GFG三重の支部長もされておりました。つりニュース、御座磯、引本磯(尾鷲湾)と言えば当時の紀東の釣り人には中瀬さんが想像された、と言っても全然言い過ぎでありません。

 私も渡船に乗り始めたのが御座磯からで、中瀬さんの記事を非常に楽しみに、そして参考にしていました。もっと上手くなって中瀬さんのように釣るぞ~、そして自分もつりニュースに投稿するぞ~、と思っていました。

 そして現実に私も未熟ながらつりニュースの投稿を始め、会社の先輩であり一応師匠と(笑)お呼びしている松田さんの紹介で竿友会員に。そこで初めて中瀬さんとお話することができました。小柄でマイペース、でもテキパキと会の仕事をこなしていたのが印象的でした。

 中瀬さんは「釣りは運」と言い切り、「運もあるが腕が第一」という考えの私から見ると、やや達観した印象でした。私が少々例会で成績を残そうが「まあ運ですから」と言い、「釣りが運だけなら、運だめしみたいな大会は必要無いですよ」と反論していました。私は中瀬さんに認めて欲しかったのですが、そんな時中瀬さんはちょっと困った顔をしていました。

 しばらくして中瀬さんは尾鷲で行われた東レカップ全国大会で優勝!なんと全国制覇を成し遂げました。御座とともに引本(尾鷲湾)をホームグラウンドにしていたのが役立ったようです。

 その後中瀬さんが体調を壊したと聞きましたが、私はG杯本戦に出場、入賞するのです(ちなみに中瀬さんも本戦経験ありですが、惨敗だったそうな)。誉めてくれるかな?と思ったら中瀬さんは笑いながら「大道さんも次は全国制覇、頑張ってください!ということで。ま、運ですから」みたいな会話で。

 その後です。急に中瀬さんが入院したのが。

 入院してから人ずてに聞いたのですが。G杯本戦に行く前に「今の会員の中では一番強い人が行ったかも」と言っていたそうなのです。また、私の入賞を非常に喜んでいたとか・・・。氏を慕ってきた私の前では、気丈に高い壁を演じていたのかもしれません。

 見舞いも憚れる重い病でありまして、もう二度と会話することは出来ませんでした。

 釣り、というか人生全般ですが、後悔しないように、そしてまた自分の思いに正直に、と私に深く刻まれました。

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