まずはうわわさんの紹介をしよう。
私より1つ年上で才色兼備の素敵な女性であり、しかしツイッターでは毒を吐きまくる。
非常に優秀で、ブログでは難しい言葉を巧みに使うので私にはたまに理解が出来ない事がある。
写真が偽物でなければ、かなりの美人である。しかしきっと、才色兼備だからこそのつらい思いもした事が多いのだろう。と思う。
2013年、私はうわわさんと同じ時期に大失恋をした。
当時の私は同級生がフェイスブックに載せる「結婚しました♡」「子どもが出来ました♡」「子どもが◯歳になりました♡」報告がとにかく憎くて憎くて仕方なかった。
それどころか世の中のすべてのものを憎みすぎていて、「◯◯と△△に行ってきました。」「◯◯と飲んできました」というごくごく普通の投稿にすら憎悪を抱いていて、一時期フェイスブックのアイコンを消していた記憶がある。
彼の友達がイイね!を押す事によってタイムラインにあがってくる彼の名前、彼の写真。終いには彼との共通の友達も全員なぜか憎んでいたしもはや世界滅亡しろとさえ思って生きていた。
そんな時に話を聞いてくれて傷の舐め合いをしていたのがうわわさんだ。不幸な者同士だから心地良かった。彼女との間に綺麗事は一切なしだった。それが良かった。
話を聞いてくれたうわわさんと、現実世界に起こっているすべての出来事を忘れさせてくれた西尾維新先生には大変感謝している。
しばらくうわわさんと連絡もとらなくなり、私の心の傷も癒えてきて、今では高校の時から友人だった彼とお付き合いをしていて結婚の話も具体的に進んでいる。
まさに幸せの絶頂である。今までの人生を振り返ってみて、こんなに幸せだと感じた事はない。だからこそ恐怖心がある。
ここからどん底に落とされて、また2013年の時のような失恋をして一週間飲まず食わず、人と会わず、風呂にも入らないまさに廃人のような生活をするなんて死んでも嫌だ、むしろ死んだ方がマシだとさえ思う。
そんな事になるくらいなら、恋人なんていなくていいから今までのようにヌルい不幸に浸かっていたい。幸せになるのが怖い。
とまぁこれくらいには幸せである。
一方、うわわさんは現在も当時の彼をまだ想っていた。
これには正直驚かされたし尊敬せざるを得ない。
私は2013年の大失恋の時、
「一生引きずるんだろうな」
「彼に恋人が出来た時には発狂してしまうんだろうな」
「彼が結婚してもずっと好きなんだろうな」
なーんてバカみたいに思っていた。
でも人間の脳みそは思ったよりも複雑には出来ていなくて、時間が経つほどに忘れて行ってしまった。
今では彼の苗字も言われないと思い出せないし、声や誕生日なんてすっかり忘れてしまった。
うわわさんのように、一人の人を想い続ける事が出来なかった。
彼に期待をすることを途中で諦めた。
期待して、落ち込んで、息苦しくなって、そんな思いを二度としたくないと思い、彼に期待をするのをやめた。
頑張る事を、やめた。
嬉しい事も悲しい事も忘れる。人間の脳みそはそういう風に出来ているのに、彼女は今もそれに逆らっている。
健気で強くて、とても誇らしく思えた。
さて、タイトルにあるように「努力すれば幸せは掴めるのか」という問題がここにある。
私から個人的な意見を言わせてもらえば、答えは
「運次第」だ。
努力と幸せはイコールではないと思う。
先日うわわさんから
シム子、どうしたらいい、シム子は幸せなんだろう、と聞かれた。
私はうわわさんのように努力出来なかった人間だから、うわわさんに偉そうに言える事は何もない。
ただ、なぜ今私は幸せなのかと問われれば、「努力したから」ではない。ただ「気付いた」から。
努力する事を辞めて初めて周りが見えた。思えばいつもつらい時にそばにいてくれた今の彼の存在に「気付いた」。
あれ?そういえばこいつ半年に1回くらいしか連絡とらないけど、毎回私がしんどい時に連絡来るなあ。ってね
人間は、努力して運が舞い込むタイプと、力を抜いて運が舞い込むタイプの2種類いるのかもな・・・なんて思う。
努力して彼を忘れたわけじゃない。ただ想い続ける努力を辞めた。というより、そこまで気力が残ってなかった。
前に進みたくて進んだわけじゃない。そうせざるを得なかった。私はたまたま運が良かっただけだ。
幸せは怖い。今でも。
だからうわわさんにも幸せになってほしい、なんて無責任な事は言えない。けどうわわさんが幸せになれた時は多分めちゃくちゃ嬉しい。
まぁ、婚約破棄されたらざまあwwwwwwって笑ってくれ。
私より1つ年上で才色兼備の素敵な女性であり、しかしツイッターでは毒を吐きまくる。
非常に優秀で、ブログでは難しい言葉を巧みに使うので私にはたまに理解が出来ない事がある。
写真が偽物でなければ、かなりの美人である。しかしきっと、才色兼備だからこそのつらい思いもした事が多いのだろう。と思う。
2013年、私はうわわさんと同じ時期に大失恋をした。
当時の私は同級生がフェイスブックに載せる「結婚しました♡」「子どもが出来ました♡」「子どもが◯歳になりました♡」報告がとにかく憎くて憎くて仕方なかった。
それどころか世の中のすべてのものを憎みすぎていて、「◯◯と△△に行ってきました。」「◯◯と飲んできました」というごくごく普通の投稿にすら憎悪を抱いていて、一時期フェイスブックのアイコンを消していた記憶がある。
彼の友達がイイね!を押す事によってタイムラインにあがってくる彼の名前、彼の写真。終いには彼との共通の友達も全員なぜか憎んでいたしもはや世界滅亡しろとさえ思って生きていた。
そんな時に話を聞いてくれて傷の舐め合いをしていたのがうわわさんだ。不幸な者同士だから心地良かった。彼女との間に綺麗事は一切なしだった。それが良かった。
話を聞いてくれたうわわさんと、現実世界に起こっているすべての出来事を忘れさせてくれた西尾維新先生には大変感謝している。
しばらくうわわさんと連絡もとらなくなり、私の心の傷も癒えてきて、今では高校の時から友人だった彼とお付き合いをしていて結婚の話も具体的に進んでいる。
まさに幸せの絶頂である。今までの人生を振り返ってみて、こんなに幸せだと感じた事はない。だからこそ恐怖心がある。
ここからどん底に落とされて、また2013年の時のような失恋をして一週間飲まず食わず、人と会わず、風呂にも入らないまさに廃人のような生活をするなんて死んでも嫌だ、むしろ死んだ方がマシだとさえ思う。
そんな事になるくらいなら、恋人なんていなくていいから今までのようにヌルい不幸に浸かっていたい。幸せになるのが怖い。
とまぁこれくらいには幸せである。
一方、うわわさんは現在も当時の彼をまだ想っていた。
これには正直驚かされたし尊敬せざるを得ない。
私は2013年の大失恋の時、
「一生引きずるんだろうな」
「彼に恋人が出来た時には発狂してしまうんだろうな」
「彼が結婚してもずっと好きなんだろうな」
なーんてバカみたいに思っていた。
でも人間の脳みそは思ったよりも複雑には出来ていなくて、時間が経つほどに忘れて行ってしまった。
今では彼の苗字も言われないと思い出せないし、声や誕生日なんてすっかり忘れてしまった。
うわわさんのように、一人の人を想い続ける事が出来なかった。
彼に期待をすることを途中で諦めた。
期待して、落ち込んで、息苦しくなって、そんな思いを二度としたくないと思い、彼に期待をするのをやめた。
頑張る事を、やめた。
嬉しい事も悲しい事も忘れる。人間の脳みそはそういう風に出来ているのに、彼女は今もそれに逆らっている。
健気で強くて、とても誇らしく思えた。
さて、タイトルにあるように「努力すれば幸せは掴めるのか」という問題がここにある。
私から個人的な意見を言わせてもらえば、答えは
「運次第」だ。
努力と幸せはイコールではないと思う。
先日うわわさんから
シム子、どうしたらいい、シム子は幸せなんだろう、と聞かれた。
私はうわわさんのように努力出来なかった人間だから、うわわさんに偉そうに言える事は何もない。
ただ、なぜ今私は幸せなのかと問われれば、「努力したから」ではない。ただ「気付いた」から。
努力する事を辞めて初めて周りが見えた。思えばいつもつらい時にそばにいてくれた今の彼の存在に「気付いた」。
あれ?そういえばこいつ半年に1回くらいしか連絡とらないけど、毎回私がしんどい時に連絡来るなあ。ってね
人間は、努力して運が舞い込むタイプと、力を抜いて運が舞い込むタイプの2種類いるのかもな・・・なんて思う。
努力して彼を忘れたわけじゃない。ただ想い続ける努力を辞めた。というより、そこまで気力が残ってなかった。
前に進みたくて進んだわけじゃない。そうせざるを得なかった。私はたまたま運が良かっただけだ。
幸せは怖い。今でも。
だからうわわさんにも幸せになってほしい、なんて無責任な事は言えない。けどうわわさんが幸せになれた時は多分めちゃくちゃ嬉しい。
まぁ、婚約破棄されたらざまあwwwwwwって笑ってくれ。