先の別室送りになる前の説明が、抜けてましたね。
いきなり、入国管理室へとなったわけではなく。

入国審査のパスポートを見せて、「さいとしーいんぐ」とだけ言えば良かったのでしょうが、余計なことしてしまったのですよね。今思えば。

LAに滞在の予定で、「キネシオロジー」を学ぶというミッションを強いていたのですが、それを正直に言ってしまったのが運の尽き。
もともと無愛想な強面の係員の顔が、さらににらみを効かせ、私と書面を見直すのでした。
そして、別室勧告。と、なったのでした。

なんで、アメリカの入国審査の人って、こわい顔なの⁉
LAX(ロサンゼルス)もPHX(フェニックス)もサイテーダッタヨォ。

後にバリ島に行った時は、ウエルカムな笑顔で迎えてくれたよ(・ε・` )
思い出しながらの記述になり、時間順の流れではないので、面白い内容は書けないと思います。
自分用の忘備録のようなものになるでしょう。

それでは、入国管理局での出来事。

入国時に別室に連れて行かれ、そこで同じ飛行機にいあたであろう3名がいました。

ひとりは、男子学生、もう二人は母と娘の親子連れでした。

あー、良かった他にも日本人いるよ~、と安心しました。

奥の壁際のデスクには、一番偉そうな黒人の男性が、その場をしきっているようでした。

やはり不安が顔に出ていたのか、男子学生から声をかけられました。

「僕は、学生用のビザ?(書類か何か)不備があって、ここにいるんですよ」と笑顔で話かけてこられました。

見ると『ひよこ』とかのお菓子のお土産を、たくさん抱えてました。

それって私よりも大変な事態なんじゃないの~、何でそんなに余裕なんだ~Σ(´□`;)

ここにいるってことは、もしかしたらこのまま強制送還とか、二度と入国出来ないとか、そんなんじゃないの?、と自分の置かれている情況がよく分からないまま、最悪の想定をしていました。

私は係員に英語でしゃべり続けられて、訳がわからなくなっていました。
「いや、英語分からないし。」
そんな情況を見た学生さんが、通訳の助け舟を出してくれましたが、すかさず制止させられました。
言葉は分からなかったけど、あの目で分かりました。

早く通訳さん来ないと、訳わかんないんだけど~、と日本語で言ってみたりしたけど、時間だけは過ぎていくのでした。






このブログを書こうと思ったきっかけは、友達から私の旅の話が面白い(!?)ので、ブログにしてみたら、と言われたからです。

まずは、2009年にアメリカへ行った話から、始めようと思います。

日程はサンタモニカに3日、セドナに約3週間、そしてLAに約1ヶ月の滞在です。

この約2ヶ月間の滞在というのは、かなりあやしまれて、入国管理局で足止めされたり、と初めから波乱万丈な雰囲気となります。

本当は何をしにアメリカへ行ったのか?

長くなりますので、ちょっとづつ(´▽`;)ゞ