大親友たかぽんのブログを受けて。
わたし自身の「食べること」について書きたくなった。
子どもの頃は、野菜嫌いだったなぁ。
苦くて呑み込み時のわからないほうれん草とか、
レタスもキャベツも、
なんでこんなもん食べないといけないの、って
思ってたわ。
でもある日、CMで見た、
セロリという野菜を食べて、逆転!
野菜が嫌いではなくなった。
大人になって、ベジタリアンに憧れた頃があった。
ベジタリアンというか、難病も治るという噂の
完全菜食療法。
これさえやれば、元気になれるんだ!と
何かあれば寝込むこのカラダを、人並みになるよう
なんとかしたくてさ。
↑これすら自分の中で言語化されてなかったよ
見ないふりしたまま、高みに登ろうとしていたわけ。
その、完全菜食療法の果てに、
不食に近い領域があると知った。
これを続けていくと、カラダが変化し、
ほんの少しの野菜で生きていかれるように
なれるんだと。
そんな話を聞いた。
無駄な殺生をせず、生きる素晴らしさ。
……憧れたよね。
でも、開始してしばらくはカラダが軽くて
調子良かったんだけど……
職場で倒れちゃった。
(今思えばアレ、低気圧のせいだ。
その頃はまだ、気象病のこと、わからなかったけど)
で、「無駄な殺生をせず生きていく」ことができない自分に、罪悪感を感じながら、
普通の食事に戻した。
お肉も、魚も、お菓子も食べる。
たかぽんと「食べること」について
たくさん話をした。
たくさんたくさん。
それで、不食に憧れていた自分の、
本当に本当の思いを見つけた。
わたし、取引をしようとしていたんだ。
「かみさま、わたしが生き続けるために
もう無駄な殺生をしませんから、
この世界に、いさせてください。
この世界に、わたしの居場所をください」
これが、わたしの憧れの根っこだった。
あーーーーーー!
ぜんっぜん純粋じゃないし!
取引だし!
動機がきたなーーーい!(笑)
他の人のことは知らん。わたしのカラダは、今日現在、お肉や魚を欲しがっている。
その「わたし」を無視して、世界に居場所だとぅ?
笑わせるな!アホか!
そう思えて、腹が据わった。
菜食をやりたい人はやればいい。
でも今のわたしには向いていない。貧血が進むのだ。
完全菜食療法をもっと正しくやれば!治るよ!
という本も読んだけど、
わたしには合わなかった。
それはわたしが決めていいんだった。
他の誰かにとやかく言われる筋合いではなかった。
たかぽんとの対話。わたしの回答。
その罪ごと全部背負って、
手を汚しながら、生きていこう。
人生最後の日まで。
それがわたしの答え。