このブログを始めてから

 

おそらく5年は経つと思います。

 

今更なんですけど、

 

プロフィール記事を書いていなかったなと

 

ふと思い立って、

 

ちょろっとだけ書かせて下さい。

 

2017.8.26現在のプロフィールです。

 

 

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私は今、

 

息子と二人暮らしをしています。

 

元夫と離婚したのは5年前。

 

息子が小学校1年生の時でした。

 

 

私自身のことについて。

 

産後鬱を経て、

 

双極性Ⅱ型障害と診断されてから、

 

10年あまり。

 

診断がついてからは10年ですが、

 

思春期の頃から発病していたのではないかと

 

自身も疑っていますし、

 

主治医先生もそう仰っていました。

 

軽躁状態と鬱状態、

 

躁鬱混合で頻繁に上がったり下がったりしています。

 

私自身は、

 

フラットの状態が無いのではないかと思っています。

 

というか、

 

フラットの状態がどれを指すのかがわかりません。

 

障害者手帳は3級で、

 

軽い障害ではあるものの、

 

主治医曰く、

 

治療が困難なタイプだそうです。

 

現在は、

 

夕食後と就寝前に服薬、

 

2週間に1回のカウンセリングを受けて治療をしています。

 

そして、

 

週に1回の訪問看護を受けています。

 

 

内科的には、

 

高脂血症と糖尿病予備群。

 

こちらは朝食後の服薬。

 

それに併せて、

 

自律神経の乱れだと思われる症状も多く、

 

1日3回の漢方も服薬しています。

 

若干心臓も弱く、

 

血管に異常がある可能性がある、とは言われたものの、

 

はっきりした原因はわからないまま、

 

年に何度か発作を起こして苦しんでいます。

 

若い頃に二度、

 

原因不明のけいれん発作を起こしたこともあり、

 

しばらくは抗けいれん薬も服用していましたが、

 

現在は、心療内科での双極の治療薬に、

 

抗けいれん薬の作用もあるものを飲んでいるので、

 

心配はしていません。

 

 

それから、

 

はっきりした診断はくだされていませんが、

 

ADHDの傾向が強く、

 

主治医も私も診断受けなくてもそうだよね。

 

って、思っています(笑)。

 

 

双極の波が大きいときには、

 

このADHDの特性がよりいっそう強く出て、

 

生活に支障が出ます。

 

多動、不注意、衝動性、どれもこれも併せ持っています。

 

基本的にはADHDですが、

 

他の発達障害の特性も若干あるのかな、と思います。

 

感覚過敏も持っていて、

 

これもまた、

 

体調や心の調子によって、

 

強く出る場合があって困ります。

 

そして、

 

HSPといって、

 

人一倍敏感な特性を持っていると思います。

 

体質的な敏感さのみならず、

 

心理的な敏感さも併せ持っており、

 

いろんなものに強く影響を受けやすい所があります。

 

生活をするのは、

 

しんどいときもありますが、

 

私は基本、

 

 

「笑っていれば、大概のことなはなんとかなる!」

 

 

という信条で、

 

しんどいときもあるけれど、

 

出来る限り、笑顔で生きるように心がけています。

 

 

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息子についてですが。

 

息子は平成17年生まれの小学6年生。

 

彼もまた、HSCといって、

 

人一倍敏感な特性を持っています。

 

5年生の時に、

 

自閉症スペクトラムと診断されました。

 

現在は思春期外来に通いながら、

 

診察と外来療育を受けています。

 

沢山の感覚過敏も持っており、

 

しんどいことが多いですが、

 

とはいえ軽度の障害ではあります。

 

軽度故に理解されにくく、

 

学校からの風当たりがきついです。

 

現在はほぼ不登校。

 

学校に行く日は私と一緒に登校して、

 

勉強室で私と二人で過ごしています。

 

この2学期から、

 

適応指導教室へ通えれば・・・と考えています。

 

 

 

 

 

小学校は今の時代にそぐわない、

 

昭和的体制で、

 

息子の不登校にも特性にも理解がなく、

 

中学校も同じくで、

 

先の見通しが立たず、

 

大きな不安を抱えています。

 

学校と闘った時期もありましたが、

 

このままでは私の心が壊れてしまうと判断し、

 

今はほどほどに返事をしながら距離を置いています。

 

 

 

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私自身、

 

小学校に頃、

 

学校に行きたくないと何度も訴えたり、

 

身体の不調が絶えず、

 

何度も休みたいと訴えた子供時代でしたが、

 

それを受け入れられることはなく、

 

学校と名のつく所に休ませてもらったことはほとんどありません。

 

小学校の時には、

 

上級生からの嫌がらせを受けて学校に行きたくない時期もありましたが、

 

それも受け入れてもらえることはなく、

 

正義感の強さ故に、

 

担任から疎まれたり、

 

私の描いた絵が異常だと言って、

 

母が担任の呼び出されたこともありました。

 

中学校でも嫌がらせを受けて

 

学校に行きたくないと訴えた経験がありますが、

 

やはり受け入れてはもらえず、

 

 

「学校は行くしかない。

 

親に理解されることは一生ない。」

 

 

と思うようになったのはこの時期です。

 

同時に、

 

母親の不倫を知ることになり、

 

思春期の私は心に闇が出来ました。

 

が、

 

それを知るものは家庭内で私しかおらず、

 

母に直接問いただす勇気もなく、

 

心が荒み始めたのはこの頃からだと思います。

 

 

20代の頃にはリストカットやODの経験もありましたが、

 

両親はそんなときの私はまるで居ないかのように無視し、

 

3日間部屋で昏睡状態であっても、

 

誰も気にも留めませんでした。

 

よく死ななかったな、と思います。

 

 

27歳の時、両親がようやく離婚。

 

離婚時に母は私に嘘をついて、

 

不倫相手と同棲を始め、

 

半年待って結婚できるとなると即再婚しました。

 

再婚相手の義父の元奥さんは、

 

かなりお金使いが荒く、

 

借金が膨らみすぎて義父は離婚し自己破産。

 

そんな母親だったからなのか、

 

義父の子供は母との再婚を喜んでいたそうです。

 

母から再婚の報告を受けたものの、

 

義父からはなんの言葉もなく現在に至ります。

 

義父の存在を知った父は錯乱状態に陥り、

 

一時は実家が地獄絵図のようでした。

 

逃げるようにして私は元夫と結婚。

 

その後、息子を産むことになります。

 

結婚は喜ばれるものではなく、

 

父からは「俺を捨てるんだな」と非難され、

 

母からは「やめた方が良いんじゃないの」と言われました。

 

両親が離婚したとき、

 

 

「なんとか引き留められないのか」

 

 

と、涙ながらに私に懇願してきた祖父母だけが、

 

私の結婚を喜んでくれました。

 

元夫の両親はすでに他界されており、

 

私の両親は顔を合わせると事件に発展しかねないため、

 

結婚式は二人だけで挙げました。

 

 

息子が生まれてから私はノイローゼになり、

 

産後鬱と診断されるのですが、

 

生まれてすぐから手のかかりすぎる息子に、

 

ずっと『何かある』と思っていた私を、

 

誰も理解してはくれず、

 

元夫も私の両親も、

 

保育園や小学校の先生も、

 

みんなが私のことを神経質な親だと言って責めました。

 

5年生で発達障害だと診断されたときには

 

心の底からホッとしました。

 

 

元夫は息子の障害を認めない時期が続いていましたが、

 

ここ半年ほどでようやく、

 

少しずつ理解しようと努力しようとしています。

 

 

私の父や母、義父は、

 

息子の障害も私の障害も、

 

 

「よくあること」

 

 

の範囲に収めたがり、

 

辛さやしんどさを認めようとはしません。

 

誰にでもあることと言って、

 

私たち親子の苦しさを理解しようとはせず、

 

息子の不登校に関しては、

 

 

「困ったもんやな。」

 

 

「頑張って学校に行けよ。」

 

 

といった反応です。

 

 

私が離婚した際には、

 

一時的に実家に身を置かせてもらいましたが、

 

 

『離婚したくせに悲壮感がない、

 

離婚したくせに笑っている』

 

 

といった理由で、

 

毎日のように息子の前で父親から罵倒され、

 

このままでは私の障害は悪化する、

 

息子のためにもならない、

 

と判断し、

 

大急ぎで家を探し、

 

現在のアパートに引っ越してきました。

 

とても不便な田舎で、

 

みなが口を揃えて、

 

 

「なんでこんなところに引っ越したんだ。」

 

 

と、私を責めましたが、

 

こんなところであっても、

 

一刻も早く父から離れる必要があったこと、

 

当時私が借りることの出来る物件は、

 

ここしかなかったことが決め手となりました。

 

 

4月下旬に祖母が亡くなり、

 

お通夜とお葬式に行った際に、

 

父と叔母に顔を合わせましたが、

 

二人からの理不尽な扱いや、

 

私だけが祖母の身内ではないかのように扱われてしまったことをきっかけに、

 

私の体調は悪化。

 

実家にはもう、関わらないようにしようと思い、

 

四十九日や初盆には顔を出していません。

 

こんな両親なので、

 

私のほうから積極的に関わろうとは思えず、

 

ここ何年も、

 

実家や母の家には自分からは行っていません。

 

 

元夫とは、

 

寄ると触るとケンカになるし、

 

腹が立つこともいっぱいありますが、

 

高校時代からの同級生でもあり、

 

何でも知っていることから、

 

腐れ縁のようなもので、

 

未だに交流はあります。

 

元夫もまた、

 

双極性Ⅱ型障害であり、

 

おそらく自閉症スペクトラムでもあると思います。

 

同じ発達障害でも、

 

私とは全く特性が違うため、

 

お互いに理解できずに腹が立つことも多いですが、

 

解り合える部分もあるので、

 

息子の両親として、

 

このまま交流はしていっても良いのかなと思っています。

 

 

離婚前後の時期は、

 

元夫の病状がかなり酷く、

 

本当に辛い時期でした。

 

今も、

 

当時の記憶はあまりありません。

 

夫婦共に正常ではなかったと思います。

 

そんな中で息子を育てるのは、

 

あまりにもむごすぎると判断しての離婚でした。

 

今は離婚してよかったと思いますし、

 

離婚は選択肢の1つであって、

 

不幸なことではないと思っています。

 

元夫も、

 

私たちと距離が出来たことで、

 

次第に落ち着いていきました。

 

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私自身の病状は、

 

上がったり下がったりと

 

不安定ながらも、

 

大きな波はなく、

 

今は小さく揺らぐ毎日です。

 

2年前に大きな波におそわれて仕事を退職し、

 

今は、自宅療養しながら、

 

息子の生活を全力で支えています。

 

 

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今までの人生の中には、

 

心を大きく揺さぶる出来事がいくつもありましたが、

 

息子が生まれてくれたことで、

 

私は大きく変わりました。

 

息子の存在が、

 

今の私を支えています。

 

今は、

 

生きていてよかったと思っています。

 

そして、

 

息子が居る限り、

 

私は笑って生きていたいと思っています。

 

 

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最後まで読んで下さり、

 

ありがとうございました(*^^*)