旅だった祖母へ

 

 

私は、

 

生まれたときから27年間、

 

祖母と同居していました。

 

祖母も祖父も、

 

私のことを本当にかわいがってくれたようです。

 

私の弟が生まれたとき、

 

みんなの目が弟に行くと思い、

 

祖母と祖父は私を大事に扱ってくれました。

 

 

幼い頃から情緒不安定で、

 

不安の強かった私は、

 

夜が怖くてたまりませんでした。

 

眠れない夜や、

 

夜中に目を覚ましては、

 

祖母の布団に潜り込んで、

 

一緒に寝ていたのを覚えています。

 

冬は、

 

豆炭のコタツをしていて、

 

豆炭をコタツの中に入れるのを

 

祖母が手伝わせてくれました。

 

若い頃は、

 

過干渉な祖母がうっとうしくて、

 

邪険にしたこともありました。

 

早く嫁に行けという祖母に、

 

大きな声で怒鳴ったこともありました。

 

母と父が離婚したときには、

 

私に何とかしてくれないかと泣きついてきて、

 

本当に困ったのを覚えています。

 

母に離婚を後押ししたのは私で、

 

その後もずっと、

 

私は自分を責めました。

 

私が母に離婚を勧めなければ、

 

祖父母はこんなに悲しむことはなかったのではないかと、

 

罪の意識に押しつぶされそうでした。

 

祖父が亡くなったとき、

 

納棺の時の祖父に向かって、

 

 

「おじいさーん」

 

 

と、声をかけていた祖母。

 

その姿が目に焼き付いていて、

 

祖母は本当に祖父が好きだったんだなぁと思いました。

 

祖父が亡くなって約1年後、

 

祖母はアルツハイマーを発症しました。

 

後から思えば、

 

祖母はもっと前からアルツハイマーを発症していたんだと思います。

 

物忘れの激しい祖母を

 

陰でこっそり祖父が祖母をかばっていました。

 

火を消すのを忘れて鍋を焦がすと、

 

父にきつく叱られる祖母。

 

父に叱られる前に、

 

祖父は祖母の焦がした鍋をこすって、

 

きれいにしているのでした。

 

 

6年前から、

 

祖母はグループホームに入りました。

 

最初はとても元気で、

 

自立度も高く、

 

面会に行くと満面の笑みで私と息子を迎えてくれました。

 

一緒にご飯を食べたり、

 

おやつやお茶を食べたり飲んだり。

 

忘れてしまうから、次々甘いものを食べる祖母に、

 

 

「お菓子を買ってきて」

 

 

と、せがまれたこともありました。

 

緩やかに、徐々に進行していく祖母。

 

だんだん、字が書けなくなってきて、

 

毎日記録をつけていた祖母は、

 

ある日、自分のつけた記録に覚えがなくなって、

 

不安になったんでしょう、

 

記録をぐるぐるに黒く塗りつぶしていました。

 

だんだん、

 

面会に行った私を

 

 

「誰か解らん」

 

 

と言うようになりました。

 

それでも、

 

最初の5分以内には、

 

必ず私の名前を呼んで思い出してくれました。

 

2年ほど前だったでしょうか。

 

施設で転んだという祖母の額から目にかけて、

 

真っ青な痣が出来たことがありました。

 

自分では全く痛くないようで、

 

鏡を見る度に驚いているようでした。

 

だんだん自立度が低下してきて、

 

排泄を失敗する日が増えていきました。

 

ある日、

 

面会に行った祖母の部屋で、

 

 

「トイレに行きたいんじゃないの?」

 

 

と聞いた私に、

 

 

「連れて行って」

 

 

と、答えた祖母。

 

部屋の中の、

 

すぐそばのトイレなのに、

 

不安なんだなぁと思いました。

 

トイレが終わった頃、

 

なかなか出てこない祖母。

 

私が声をかけても返事をしない。

 

 

「ごめん、ちょっと覗くよ~」

 

 

と言って中に入ると、

 

どうして良いのか解らずに戸惑っている様子の祖母でした。

 

私はその時初めて、

 

祖母の排泄介助をしました。

 

 

昨年、

 

車がない私を、

 

三重にいる母がグループホームに連れて行ってくれました。

 

久しぶりに会った私を見て祖母は、

 

 

「誰か解らん」

 

 

と言いました。

 

 

「えーっ。思い出してよぉ~。」

 

 

と笑う私に、

 

少しして、

 

 

「あぁ。○○ちゃんやな?」

 

 

と、突如思い出してくれました。

 

 

ここ2,3年、

 

祖母は覇気がなくなり、

 

会いに行っても寝てばかりいました。

 

祖母は、私が面会に行くと、

 

いつも手をつないで私と歩くのでした。

 

部屋まで行くとき、

 

いつもなら一人で歩くのに、

 

私が行くと必ず、

 

すっと手を出して手をつないでという仕草をするのでした。

 

帰りはお昼ご飯にしていました。

 

そうじゃないと、きりがないからです。

 

 

「座って良いよ。

 

ご飯やからな。」

 

 

という私の後をついて、

 

必ず玄関まで見送ってくれました。

 

名残惜しそうに握手をしたり、

 

手を振ってくれる祖母の顔が忘れられません。

 

ある日、

 

祖母は外までついてきて、

 

私の車を指さし、

 

 

「私もこれに乗るんかいな?」

 

 

と言いました。

 

 

「違うで。

 

おばあさんは、

 

ここまでやで。」

 

 

と言うと、

 

淋しそうな顔をして手を振るのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おばあさん、

 

お疲れ様。

 

92年という年月、

 

天寿を全うしたことでしょう。

 

やっと、

 

おじいさんに逢えるなぁ。

 

きっと、楽しみにして待ってるよ。

 

頼りないおばあさんを心配しながら、

 

ちょっと怒りっぽく、

 

無愛想に待ってるよ。

 

そんなおじいさんに、

 

早く逢いたいやろ?

 

気をつけていくんやで。

 

淋しくなったわ。

 

待っててな。

 

いつかは私もいくんやで。

 

でも、

 

私はまだまだ会いには行けへんから、

 

首を長ーくして待っててよ。

 

忘れたらあかんで。

 

思い出してよ。

 

私も、

 

思い出すからな。

 

いっぱいいっぱい愛してくれてありがとう。

 

すごくすごく好きやったで。

 

今でもすごく好きやで。

 

なかなか会いに行けなくてごめんな。

 

いつも、思ってたよ。

 

会いに行けなくても、

 

ずっと思ってたよ。

 

ごめんな、

 

酷いことも言ったよな。

 

怒鳴りつけたこともあったよな。

 

優しい孫にはなれんかったかもしれん。

 

おばあさん、

 

私は自慢の孫やった?

 

ダメな孫でごめんな。

 

おばあさんに、

 

逢いたいわ。

 

また、逢おうな。

 

夢の中でも逢おう。

 

ありがとう。

 

私の大事なおばあさんでいてくれて、

 

ありがとう。

 

あなたがいてくれたから、

 

優しい心と、

 

思いやりの心を持つことが出来たよ。

 

 

 

ありがとう、

 

ありがとう。

 

 

またな。