私は若い頃、本当に、自分の感情や考えを人に押しつけまくっていたと思う。
特に、自分の好きな人、大事な人には容赦がなかった・・・。
あまりに淋しい考えや、哀しいことをいう人には、
容赦なく、泣いて訴えたりもしていた。
そう。
昔は、「30までに死にたい」なんて言っていた私だが、
好きな人に出会い、「早く死にたい」と言われ、愕然とした。
「死にたい」ではなく、「死ぬ」と言われた日もあり、
必死で、その人の考えを改めさせることを考えた。
何でも良い、何か、その人の心を救う手立てはないか???
必死で考えた。
私では何もできないのか、
私ではダメなのか、
必死で考えた。
悩んで悩んで、泣き続けた。
ま、今もその人は生きてるわけで、哀しいことは相変わらず言うが、
私の彼への想いも変わり、私にはどうすることもできないなと
思うようになったわけだが。
若いということは、それだけで、エネルギーに満ちあふれていると思う。
それが故に、間違いもたくさん犯す。
私の、自分の考えや感情を押しつける、という行動は、間違いだったと、
今にして思う。
私は、自分の弱さ故か、病故か、今でも、死にたい、という気持ちになる時がある。
死にたい、消えたい、居なくなりたい。
そういう思いは今も、心の底から溢れてくるわけだが、
必死で言わないようにしているし、隠すようにしている。
それを健常者である友人知人、家族に言うことで、いかに彼らを傷つけ、
苦しめることになるか、ということを知っているからだ。
しかし、それを隠すことで、私の心には、時々歪みができる。
大声を上げて言いたくなるのだ。
私は死にたい!消えたい!居なくなりたい!!!
そう言うことで、救われたいのかもしれないし、解放されたいのかもしれない。
今は、もう、自分を傷つけることはなくなったが、
自傷したくなる気持ちはわかる。
おかしくなる日は、やっぱり今でもある。
ただただ、息子が私の抑止力になっているのだ。
彼は、本当に神様のような存在であり、悪魔のような存在でもある。
私の自由を奪うという意味においては、その両方を感じさせるのだ。
少々、話が逸脱してしまったが・・・
私は、今、自分の考えや、感情を、極力抑え、人に伝えないように生きている。
そうすることで、自分を守っている部分もあるし、相手を守っている部分もある。
ただ、私のこの行動は、ある意味では、“自傷”なのではないかと思う時がある。
自分を傷つける、自分が傷つく、と、解っている方向へ向かう時、
それはある種の自傷行為なのか?と、思うのだ。
悲劇のヒロインを気取っているわけではない。
そんなつもりはないのだが、私は、往々にして、自分から傷つく場面へ飛び込む。
初めは良いのだけれど、深みにはまるともう、どうしようもない。
毎日、地獄のような気持ちで過ごしている。
それを、へらへらと笑って、必死でごまかしている。
私は、哀しい時、困った時に、笑うようになった。
昔の私が、今の私を見たら、きっと驚くだろう。
どうしたの?!何で、そんな風になっちゃったの!?
ってね。
今日は、長くなってしまったなぁ・・・。
珍しく、病んでいるブログになってしまったし、
超引くよね(笑)
でも、こんな一面もあるんです。
一応、精神障害者なもんですから。
特に、自分の好きな人、大事な人には容赦がなかった・・・。
あまりに淋しい考えや、哀しいことをいう人には、
容赦なく、泣いて訴えたりもしていた。
そう。
昔は、「30までに死にたい」なんて言っていた私だが、
好きな人に出会い、「早く死にたい」と言われ、愕然とした。
「死にたい」ではなく、「死ぬ」と言われた日もあり、
必死で、その人の考えを改めさせることを考えた。
何でも良い、何か、その人の心を救う手立てはないか???
必死で考えた。
私では何もできないのか、
私ではダメなのか、
必死で考えた。
悩んで悩んで、泣き続けた。
ま、今もその人は生きてるわけで、哀しいことは相変わらず言うが、
私の彼への想いも変わり、私にはどうすることもできないなと
思うようになったわけだが。
若いということは、それだけで、エネルギーに満ちあふれていると思う。
それが故に、間違いもたくさん犯す。
私の、自分の考えや感情を押しつける、という行動は、間違いだったと、
今にして思う。
私は、自分の弱さ故か、病故か、今でも、死にたい、という気持ちになる時がある。
死にたい、消えたい、居なくなりたい。
そういう思いは今も、心の底から溢れてくるわけだが、
必死で言わないようにしているし、隠すようにしている。
それを健常者である友人知人、家族に言うことで、いかに彼らを傷つけ、
苦しめることになるか、ということを知っているからだ。
しかし、それを隠すことで、私の心には、時々歪みができる。
大声を上げて言いたくなるのだ。
私は死にたい!消えたい!居なくなりたい!!!
そう言うことで、救われたいのかもしれないし、解放されたいのかもしれない。
今は、もう、自分を傷つけることはなくなったが、
自傷したくなる気持ちはわかる。
おかしくなる日は、やっぱり今でもある。
ただただ、息子が私の抑止力になっているのだ。
彼は、本当に神様のような存在であり、悪魔のような存在でもある。
私の自由を奪うという意味においては、その両方を感じさせるのだ。
少々、話が逸脱してしまったが・・・
私は、今、自分の考えや、感情を、極力抑え、人に伝えないように生きている。
そうすることで、自分を守っている部分もあるし、相手を守っている部分もある。
ただ、私のこの行動は、ある意味では、“自傷”なのではないかと思う時がある。
自分を傷つける、自分が傷つく、と、解っている方向へ向かう時、
それはある種の自傷行為なのか?と、思うのだ。
悲劇のヒロインを気取っているわけではない。
そんなつもりはないのだが、私は、往々にして、自分から傷つく場面へ飛び込む。
初めは良いのだけれど、深みにはまるともう、どうしようもない。
毎日、地獄のような気持ちで過ごしている。
それを、へらへらと笑って、必死でごまかしている。
私は、哀しい時、困った時に、笑うようになった。
昔の私が、今の私を見たら、きっと驚くだろう。
どうしたの?!何で、そんな風になっちゃったの!?
ってね。
今日は、長くなってしまったなぁ・・・。
珍しく、病んでいるブログになってしまったし、
超引くよね(笑)
でも、こんな一面もあるんです。
一応、精神障害者なもんですから。