追憶の日々一つの結論を経、またその向こうに結論を望み見ること。それを人生と詠む。よく似た声に心躍らせて前を見る。それも人生だと詠う。時が経つにつれ、過去の自分が遠いフィクションに思えてくることに一憂のみを憶えるのは異端だろうか?こんなもの、まるで命を懸けているみたいじゃないかと今更ながらに問い、当たり前だと応え堪える。駆け抜けた夜は今というレンズにより屈折収束し、未来に終息する。(ちなみに就職決まりました)スタンダップ、ゴン。敢えて強敵に向かうという惨事に賛辞を送る。フィクションではないと言われても信じられんな。まぁこれも人生と詠んでおくこととするか。
勝負の先例えば、強大な敵が目の前にいたとして。とても大切で助けたい人がその後ろに倒れてる。しかし、目の前の敵を倒さないとそこにはたどり着けない。きっとその時の自分の気持ちは「助けたい」とか「どけ」みたいな感情になるだろうけど。敵に勝たないとその人は助けられない。たどり着けない。闘わないといけないから闘うだけ。少し消極的な動機な気がする。「助けたい」のであって、別に「闘いたい」わけじゃない。でも「助ける」ためには「闘わなくてはいけない」「ほざいてないで、私を倒してそいつのところに行ってやれ。」その敵は言う。手加減する気もないくせに。今の自分がすべき事。なんで知ってんだよ。なんでお前の方がよく分かってるんだ。
なんちゃら統一トーナメント健全な青少年を育成する漫画→読むか?3月26日から休職中の身である。途中、10日間ほど土木関係の仕事をしていたが、諸々の事情にて退職。実質、半年近く定職についていない。3年前からしたら、信じられない状況であるのは間違いない。そして残念な事に、これは現実なのである。現在、就職活動の身ではあるが、やはり不安は消えない。不安な点を挙げればきりがないので割愛する。「今度こそ。」と意気込み、自分を変える気で挑戦するが、順当に挫折する。その度に新しい自分を発見させられる。まだまだ自分も白面郎ということか。もちろん、年上のお偉いさんが決めることだから、そいつに駄目って言われたら駄目って事になるんだろうけど。出来れば、それでも体が動く間はこうやって魂掲げて弱点丸出しで生きてみりゃいいんじゃねーかと思ってる。モテ期もたぶん3回使っちゃったし、正直、20代はもう修行パートの気がしてならないんだけどね。『予感なんて信じるガラじゃねーけど』『誰が勝ってもスッキリ出来る気がするんだ』んじゃ、おっ始めよーぜ!!!