「新規に亜空間をひとつ作れ」
私はカゲに命じた。

「標的たちが籠城しているアジトごと...」
この世のものではないヤクザ組織は、
要塞のようなアジトに立て籠もっているはずだった。

「すべて丸ごと移送しよう」
移送とは、亜空間に移し入れるということだ。

亜空間...
私のつくったカゲたちは、
この世でもない、あの世でもない、
まったくオリジナルな空間を作ることができる。

私はたまに気が向いたときなどに、
標的を私のオリジナル空間に移して、狩る。
そこは、私が極めて有利に戦える「場」なのだ。


私「標的全員をアジトごと移送」
カゲ「......」
私「まず隕石群を降らせろ」
カゲ「......」
私「地下から火柱を無数に噴出」
カゲ「......」
私「正面から砲撃開始」
カゲ「......」
私「空爆開始」
カゲ「......」
私「三方向から機甲師団を」
カゲ「......」

数え切れないほどの私のカゲたちの中には、
軍隊もある。
戦闘機、爆撃機、戦車部隊、砲撃部隊、艦隊、
歩兵、工兵、特殊部隊、いろいろと揃っている。


私「先制攻撃の間...」
カゲ「......」
私「向こうの防御の特徴を見極めろ」
カゲ「......」

攻撃が簡単に決まることは、普通はない。
敵の防御をいかに崩すかが重要となる。

カゲ「まだ解析途中ですが...」
私「......」
カゲ「標的の防御は五重で...」
私「......」
カゲ「オートカウンター式の城塞型と...」
私「......」
カゲ「性質変換防御、休眠型防御、それに...」
私「......」
カゲ「ロックオン誤算誘導型...」

これらはどれも過去の戦いにおいて経験があり、
敵防御の突破方法について、いろんなノウハウがある。

私「既知のタイプの防御に対しては...」
カゲ「......」
私「それぞれ個別に通常対応でいい」
カゲ「......」
私「最後のもうひとつは未知のタイプの防御か?」
カゲ「そうです」
私「解析を急げ」


敵の防御のデータを取るために、
さらに攻撃の手を加えることにした。
データが揃うまで攻撃を続けないといけない。

私「南原を用意させろ」
カゲ「......」

南原とは、私のカゲの中で、
少し変わった特殊技能を持っている者だ。
南原は敵の無意識領域に干渉することができる。
いわばメンタル兵器のようなものだ。

「南原、標的全員に...」
私はその南原に対して話しかけた。

「愛する者の惨殺イメージを刷り込め」
これは...あまり美しい攻撃とはいえないが、
戦いとは、往々にして醜いものだ。


「標的からカウンターがもうすぐ届きます」
カゲが報告してきた。

自分から攻撃を仕掛けると、
よほど弱い相手でない限りは、
カウンター攻撃が敵から返ってくる。

カゲ「意識されたマニュアル対応によるもので...」
私「......」
カゲ「複数でかつ多種のカウンターです」

これも普通のことだ。
いちいち驚いているようではいけない。

私「こちらの通常結界の一カ所を開けて...」
カゲ「......」
私「標的からのカウンターをそこに集中させろ」
カゲ「......」
私「そのまま返せるものは三倍返しでまた返せ」
カゲ「......」
私「返せないタイプは吸収して消化する」
カゲ「......」
私「私の周囲には散らさないようにしろ」
カゲ「......」

私の仕事のとばっちりによって、
私の実生活における周囲の人たちに被害が出ることは、
私にとっては恥ずかしいことだ。
なぜなら、
それは私の防御が不完全であることを意味するので。


カゲ「最後の未知の防御タイプが判明...」
私「......」
カゲ「おそらくはマニュアル式の全無効化で...」
私「......」
カゲ「ダメージを吸収させる専用の穴に...」
私「......」
カゲ「ゴミを捨てるように廃棄して...」
私「......」
カゲ「ダメージを無効にするようです」
私「!」
カゲ「しかも、その吸収穴は...」
私「......」
カゲ「集団全員で共用できるようです」
私「ほう!」

興味深い防御方法だ。私はうなった。
またひとつ防御の種類を敵から学んだ。
戦歴が多ければ多いほど学ぶものが増える。

敵は敵ではあるが、見方を変えれば敵ではない。
学ぶべき教師でもあるからだ。


私「そのダメージ吸収専用の穴をふさぎ...」
カゲ「......」
私「標的全員と穴との連絡ラインを分断しろ」
カゲ「......」
私「そして無効化されたこちらの攻撃を...」
カゲ「......」
私「全復帰させるように」

やがて私の脳内で、多くの悲鳴や絶叫が響いた。
痛みや苦しみや悲しみに満ちたものだった。


私は次の一手を打つことにした。
要塞のようなアジトの中にいる敵組織の、
頭領や幹部を最終的に仕留めるために、
内部に突入する必要がある。

私「そろそろ中に突入するか」
カゲ「......」
私「逮捕状の出ている標的を残らず殺す」
カゲ「逮捕では?」
私「所轄には死体を引き渡せばいい」
カゲ「......」
私「そのまま封印でも、蘇らせて懲罰でも...」
カゲ「......」
私「好きにしてくれと所轄に通達」
カゲ「変わりませんね」
私「え?」

カゲは私のやり方を熟知している。
いやというくらい一緒に仕事をしてきた。

私「一度ちょっと引退したからといって...」
カゲ「......」
私「変わる理由は特にないよ」


カゲの微笑む気配を感じながら、
私は突入して標的を仕留める者の人選を決めた。

私「五本指を五人とも呼び戻せ」
カゲ「......」

五本指とは、私のカゲたちの中で、
とりわけ数多くの実戦を重ねてきた連中で、
元々は五人のメンバーからなるグループなのだが、
目的に応じて個別に使うことも多い。

その五本指は五人とも、
私に招集されるこの時まで、別々に派遣されていた。
中東、アメリカ、ロシア、中国、EU圏...
それぞれの派遣先で、
私に何を命じられて何をしていたかは、秘密だ。

 

 

 

私は五本指の五人に、
中に攻め入るように命じた。

カゲ「五本指だけでいいですか?」
私「標的のアジトには...」
カゲ「......」
私「どれくらいの数の標的がいる?」

察するに相当数の相手がいるはずだった。

カゲ「数千人います」
私「じゃあ...」
カゲ「......」
私「あの五人で十分だ」
カゲ「はい」

五本指は、私が彼らを生んでからの数年間、
まだ一度も仕事を失敗したことがない。
どんなに多くの敵がいても、
どんなに困難な仕事の内容であっても、
まだ一度も、失敗をしていない。


ふと空腹に気付いた私は、
薄い壁にあるインタフォンの受話器を手にした。

「すいません、カレーライスお願いします」
私はフロントに夜食を注文した。

いい忘れていたが、
私は現在、ネットカフェにいる。
ネットカフェでコーヒーを飲みながら、
気の向くまま適当にネットサーフィンをしている最中に、
師匠からの連絡があり、
そしてカゲたちに調査をさせ、報告を受け、
そのまま異世界のヤクザ組織への攻撃を始めた。

このネットカフェは、
6階建てのビルの6階にある。


カゲ「くれぐれも...」
私「......」
カゲ「そのインタフォンで...」
私「......」
カゲ「私たちへの指示を...」
私「......」
カゲ「間違って話さないようにして下さい」

想像するだけでも恐ろしい。
私はこれ以上ないほどに、苦々しく笑った。
絶対にありえない間違いではないだけに、
冗談では済まないような怖さがある。

私「あのさ...」
カゲ「......」
私「そこまでボケたら...」
カゲ「......」
私「今度こそ本当に引退するよ」

たくさんの笑い声が聞こえた。
私の周囲に潜んでいる複数のディフェンスチームや、
さまざまな分野の側近たちが、
みんな笑っていた。

私が脳内で会話を交わしているカゲは、
その中のひとりであり、
私との連絡を主に担当している者だ。


五本指による殺戮が、やがて始まった。
標的たちの悲鳴が聞こえないように、
私は脳内の受信感度を、意図的に落とした。

私は、今回のヤクザ組織について、
ボンヤリと考えていた。

彼らは...
はたして昔からずっとヤクザ組織だったのだろうか?
ひょっとして、そうではないのではないだろうか?
ほんのこの近年に、
ヤクザ組織に転落したばかりではないのか?
以前はちゃんとした立派な身分や役職があって、
崇められるような存在だったのではないのか?


ヤクザヤクザとこれまで表現してきたが、
例えば、所轄を動かしている地域管理者たちと、
そのヤクザ組織との間に、
どのような違いがあるかというと、
実はそれほど違わない...と私は思う。

この世には、多くの国や民族や宗教があり、
それぞれの背後には霊的な管理者たちがたくさんいる。
地域によっては、
管理者が率先して血の贄を集めるところもあるし、
所轄とヤクザの両方を指揮する管理者もいる。

古来、常に異世界における争いが絶えなかった。
敗れた管理者がヤクザに転落したり、
勝ったヤクザが管理者に成り上がることも、当然ある。


いまから数年前の夏から秋にかけて、
異世界で、ある覇権を賭けた比較的大きな戦争があり、
この国はまさにその主戦場だった。

幾多の台風がこの国に上陸し、全国が水害に見舞われ、
そして大きな地震もあった。
私も、その霊的な戦争に参加していた。

今回の捕縛劇のヤクザ組織は、
ひょっとしたら数年前のあの戦争で、
敗北し転落した側だったのではないか?

かつての力を削がれ、アウトローに身を堕としながらも、
なんとか少しでもエネルギーを隠れて収奪しようと画策し、
苦肉の策として、犯人が発覚しにくいような方法で、
血の贄を求めたのではないだろうか?

私はこのことは、カゲたちにはあえて聞かなかった。
多分、知っていても答えにくいはずだった。


カゲ「標的の頭領からメッセージです」
私「ん?」
カゲ「......」
私「うん、聞こう」

おそらく私が放った五本指のうちのひとりが、
その頭領の眼前に迫っているのだろう。
切羽詰まった様子が浮かんでくる。

カゲ「欲しいものは何でもやる、とのことです」
私「!!」

私はこらえきれずに爆笑してしまった。
そして、慌てて自分の口に手をあてて塞いだ。
周囲にはほかの利用者たちもいる。
ここはネットカフェなのだ。

そうだ、ここは6階建てのビルの6階にある、
たくさんの利用者がひしめくネットカフェなのだ。
設計や建築に完全な信頼を置ける保証などどこにもない、
6階建てのビルの最上階なのだ。


ネットカフェの狭い個室の中で、
届けられたカレーライスをゆっくりと食べ始めながら、
私は突入させた五本指へ、指示を与えた。
迷わずトドメを刺すようにと...

 

 

 

前項の亜空間を読んで、
鋭い人ならある疑問が生じたと思う。

その疑問とは、こうだ。

もし、異世界のヤクザ組織が陰で糸を引いて、
現世における耐震偽装問題を発生させたのなら、
耐震偽装で発覚した違法建築の全てにおいて、
それらの設計前の段階ですでに、
異世界ヤクザが現世の人間に干渉しているはずである...

そうすると、
異世界ヤクザがこの世に干渉したのは、
かなりの年月をさかのぼった過去においてのはずだ...

それなのに、
私がボンヤリと推測した中で、
ほんのこの近年にヤクザに転落した連中が、
その後に起こした未遂事件かもしれないと思ったのは、
時系列からいうと、矛盾してるのではないか...

少なくとも、
耐震偽装の違法建築が建てられたあとからでは、
異世界ヤクザが現世に干渉できるはずがない...

このような疑問を持った人が、
いたとしてもおかしくない。


現世的な時間感覚というか常識で考えれば、
まったくその通りである。
しかし、その現世的な時間感覚が通用しないのが、
異世界の異世界たるゆえんなのだ。

乱暴なまでに簡単にいってしまえば、
この物質世界とは違う世界、
異世界、別世界、あの世、どう表現してもいいが、
そこにおいては驚くべき事に、
過去、現在、そして未来、
これらの区別が、あまり存在しない。

これはちょっと、わかりにくいことかもしれない。

つまり、こういうことだ。
異世界の住人たちは、
この世の「過去」に干渉して、操作できるのである。
現世の当事者たちに気付かれないうちに、
自在に「過去」を塗り変えてしまうのだ。


例をあげてみたい。

ある人が、かの有名な平将門の首塚の前で、
すごく将門を怒らせるような行為をしたとする。
その人間は、将門に祟られるかもしれない。

で、その人が、
首塚で無礼をはたらいた翌日に、
職場で転勤の辞令を上司から突きつけられたとする。
全然希望していなかったような遠い地方へ。

この、本人にとって苦痛に満ちた突然の転勤の話は、
ひょっとしたら、将門の祟りかもしれない。
しかし、
よく考えるとおかしな面がある、かもしれない。

転勤辞令を人事責任者が発行したのが、
なんと、本人が上司に告げられた二日前だったりする。
平将門の首塚で無礼を働いた前日だ。
もしこれが将門の祟りだとしたら、時系列的に矛盾する。
将門の祟りとして転勤になるのにしては、
その転勤は、祟られる前の段階で決定しているからだ。


このようなことは、
異世界の住人にとっては、普通のことである。

無礼を働いたまさにその翌日に、
転勤辞令でその相手に仕返しをするのに、
過去にさかのぼって小細工をするというのは、
特に珍しいことではない。

三次元の世界を「空間の広がり」とすると、
四次元の世界は「空間」に「時間の流れ」を加えた、
いわば「時空」といえるものだとよくいわれる。

霊的な異世界は、まさに「時空」の世界であり、
日本からアメリカに旅行にいくような感覚で、
現在から、過去や未来に往来が可能...らしい。


前置きが長くなった。

異世界のヤクザ組織を狩った三日後に、
私に別の仕事が舞い込んできた。
クリスマス・イヴを三日後に控えた日だった。

私はこの仕事に、
みっちりと約三週間も関わることになった。
クリスマス・イヴも年末年始も吹っ飛んでしまい、
ひっそりと孤独に働いた。

静かな夜の時間に...

 

 

 

カゲ「メッセージが届きました」
私「ん?」
カゲ「......」
私「誰からだ?」
カゲ「......」
私「ハルか...」

ハルとは、私の知り合いのひとりだ。

知り合いではあるのだが、
私はまだ、一度も直接は会ったことはない。
しかしそれでもハルは、
日本のどこかに人として生きているらしい。


男なのか女なのかも不明だし、
年齢や、住んでいる地方や、人としての職業なども、
詳しいことはわからない。
インターネットでも、出会ったり話したことはない。

ただ、この世ではない別の世界でハルという者がいて、
そちらで私と仕事の上でいろいろ関係があって、
どうもそのハルは、
私と同様にこの世で肉を持ち、人として暮らしており、
しかも、はっきり意識しながら異世界で仕事をしている、
ということは掴んでいた。

ハルは、
日本の霊的な管理者たちから構成される管理組合に属し、
かつ、
その就任からそれほど長くは経っていなかった。


ちなみに私の師匠は、
日本の管理組合には属していないし、その傘下でもない。
どこかの国や地域の管理関係者というわけでもない。
ヤクザでもない。
私を育てた私の師匠は、その素性に関しては、
ちょっと気味の悪いところがある。

いや、師匠の素性のことなどどうでもいい。


私とハルは、
数年前に一度戦ったことがある。
そのあとしばらくしてから、私たちは戦友になった。

そしていつの間にか、ハルは役職に就いていた。
反対に私は、
仕事にイヤ気がさして一度完全に身を引いた。

今度の仕事は、そのハルが、
師匠を通さずに直接私にもってきた。
ハルからのメッセージで事情を知った私は、驚愕した。


「日本列島全体が、占拠されつつある」
はあ?

「このままでは蹂躙され、多数の死者が出る」
待て、それは何のことなのだ?

「東京が、最も悲惨な被害が出てしまう」
だから、一体何の話なんだ!!

「いますぐ気象衛星図を見てくれ」
気象衛星図??

私はすぐに携帯電話で気象情報のサイトを開き、
気象衛星画像を確認し、そして戦慄した。

関東以外のほぼ日本列島全域が、
分厚い雲に覆われ寒波に襲われている!
いまはまだかろうじて関東だけがスッポリと抜けているが、
このままでは、
関東地方も大雪と凍結からなる寒波に飲み込まれるのは、
もう時間の問題にすぎないと思われた。


「いま、緊急事態だ」
こんなになるまでなぜ誰も防げなかった!!

「手伝ってくれ」
当たり前だ!! なぜもっと早く連絡しない!!

この時は、すでに日が暮れて夜になっていた。
私は、すぐに車で出掛けることにした。

自然災害による被害がなるべく少なくなるように、
仕事をしている者たちが、この国にはたくさんいる。
人として生きながら働いている者も多い。
それぞれの地方に、それぞれ腕の利く連中がいる。

何らかの災害により、大勢の人間が死傷した場合は、
防ぐ側からすれば、それは失態というしかない。
しかし大災害を防ぐのは、時には不可能に近い。

今回の寒波襲来ほど、ものの見事に、
防ぐ側がなんら対策を講じることもできないまま、
ふと気付いたら日本列島全体が...という事態は珍しい。

おそらく、防御する陣営を丸ごと手玉に取るような、
そんな決定的な仕掛けがなされたに違いない。


「ここ数日の、気象の過去を操作した者がいるな?」
私は、車に飛び乗りながらカゲに話しかけた。

「そのようです」
カゲはおそらくそう答えただろうが、
急いでいた私にはもはや聞こえなかった。

 

 

 

私は急いで車を運転しながら、
携帯電話でネットにアクセスし、ある掲示板を開いた。
連絡をするためである。

「仕事だ、手伝え」

私はその掲示板に、たったこれだけ記した。
名無しの相手に対して、名無しでの書き込みだ。
仕事の詳細については勝手に調べるだろう、と思った。
師匠が私に、いつも簡単な連絡しかしない理由が、
私にもなんとなくわかる。面倒なのだ。

脳内でメッセージを交わすのに比べて、
ネットで連絡する方が、はるかに確実だ。
思念のやりとりだと、
その時々の調子や、感情的な状態や、
外部からの妨害などの影響を受けやすい。
その点、ネットは確実に文字になる。

私には、ネットを介した仕事の知人が、
十人以上いる。
いずれも、油断のならない曲者ばかりだが。


おそらく、人知れず異能を持った、
この国の裏家業の人間たちには、
総動員体制といっていいほどの規模で、
緊急連絡が出回っているはずだった。
使える者は全員使う、いや、使うべき事態だった。

いま、この国に、
このような事態で仕事をする者がどれくらいいるのか、
それも生身の人として生活しながらの人員の総数について、
私の知る限りでは、
だいたい、千人程度いるようだ。
関東だけでも、きっと数百人はいるだろう。


私は、首都高速に乗った。
霊的な防壁を張るつもりだった。

私「関東以外は...」
カゲ「......」
私「もう間に合わない」
カゲ「......」

気象衛星画像を見る限り、そうとしか思えなかった。

カゲ「敵の真の目標を...」
私「......」
カゲ「くれぐれも見誤らないで下さい」
私「......」

カゲのいっていることの意味が、私には理解できた。

私「わかってる」
カゲ「......」
私「敵の主攻目標は、東京だ」
カゲ「......」

おそらくは、他の地域の寒波襲来は囮であって、
最も強力に攻め落としたいのは、東京のはずだった。
より多くの人命を贄として得るのならば、
きっとそうだろう。


私「防ぎきれない最悪の事態での...」
カゲ「......」
私「首都圏における最大死者数の予想は出せるか?」
カゲ「......」

その次の瞬間、私は自分の背筋が凍るのがわかった。
カゲが、数千でも数万でも数十万でもなく、
数百万人と答えたからだ。

 

 

 

私は首都高速を走りながら指示を出した。

私「他の地方はその地域の者に任せ...」
カゲ「......」
私「こちらは首都圏に集中する」
カゲ「......」
私「予備の軍を全て首都圏に配置」
カゲ「......」
私「予備の龍群を二分し、この車の前方と周辺を警護」
カゲ「......」
私「本田、青山、石橋、佐藤、泉屋、加藤、野田...」
カゲ「......」
私「川崎、丹羽、西村、星野、淡口、以上を用意」
カゲ「......」
私「首都圏での新たな過去操作を阻ませろ」
カゲ「はい」

過去が操作されて塗りかえられるかどうかは、
簡単にいうと、
変えようとする力と、変えさせまいとする力の、
力関係で決まる。

私は大抵、過去を塗りかえさせない側にいる。


この世で人として生きる者が、
異世界を介して過去を操作しようとする際、
決して破ることのできないルールがある。

自分がすでに既成事実として知っていることは、
絶対に変えられない。

例えば、戦っている敵である人間を、
最初から生まれなかったことにしたいとか、
幼少時に事故死したことにしたいとか、
そういう形で消そうと思っても、
自分がこの世の人間として意識があるなら、不可能だ。
どんなに強い異能をもっていたとしても。

なぜなら、
その敵である人間が現在まで生存していることを、
既成事実として認識してしまっているからだ。

肉を持たない者であれば、
そういう敵の消し方も可能かもしれないが、
当然、そうさせまいとする守備力の抵抗にあうだろう。


過去を塗りかえようとする時空操作戦は、
きれいに勝負がつくことは、ほとんどない。

ものの見事に狙い通りの結果を出すことなど、
よほど際だった名人でないとできない。

それだけに、
今回の日本列島全体を寒波に覆わせた時空使いは、
相当なレベルの者と思われた。
最も防御の固い関東だけ、やりそこねたようだが...


私「敵はどこの誰だ?」
カゲ「......」
私「まだわからないのか?」
カゲ「はい」

正体を隠蔽するのがうまいのかもしれない。
姿を被覆や偽装で隠すのも得意と考えるべきだろう。

私「ただの寒波ではないのだろう?」
カゲ「......」
私「攻め手が来てるのではないか?」
カゲ「......」
私「こちらの軍を攻めてくる相手の...」
カゲ「......」
私「情報をできるだけ集めろ」
カゲ「はい」

これから戦えば、
おそらく敵方の素性は判明するはずだ。

私「これから東京に防壁を張り直す」
カゲ「......」
私「ほかの防御者たちの張る防壁と...」
カゲ「......」
私「バッティングしないように調整してくれ」
カゲ「はい」


平素、自然災害による被害が最小限になるように、
防御する仕事をしている者は、
それぞれ自分のやり方で、それを行っている。

神道、密教、陰陽道などの関係者であれば、
それらの伝統的な術式によって行うだろうし、
どの宗教宗派や術派にも属さない者であるなら、
ほとんど我流のはずである。

ちなみに私は、完全無所属の完全我流である。
実生活において誰にも教わっていない。
肉を持たない見えない師匠を師匠と呼ぶのは、そのためだ。
実際ほかには、師といえる者が全然いないのだ。

防御者たちは、基本的にお互いを知らない。
通常は横の繋がりなど、ない...に等しい。
多くの者は、仕える神仏から命じられたと認識している。

起こりそうだった地震が回避された時など、
とある掲示板などでは、
自分が止めた、と自慢げに語る者がいつも複数現れる。
他の防御者の存在さえ知らないためだ。

それほど、横の繋がりがないのだといえる。
みんな孤独な存在だ。


この国には、
宗教関係者の防御者が、伝統的に多かった。
しかし、彼らをもってしても、
約80年周期の大地震はずっと防げなかったし、
戦争も防げなかった。

1980年代の終わり頃から、
どの宗教や術派にも属さない異能者たちが、
この国に、にわかに増え出したそうだ。

1990年代、そして2000年を越えてからも、
それら無所属かつ我流の仕事師たちは、
次々と現れ続けた。

現れた?
いや、表立っては現れてはいない。
それらの存在を知る者はほとんど皆無に近いから。
みんなただのサラリーマンだったり、
本屋だったり、シェフだったり、風俗嬢だったりする。


そろそろ来るはずの大地震が、
およそ80年おきに南関東を壊滅させるはずの大地震が、
なかなか起こらず首都圏がいまだ安泰なのを、
不思議に感じたことはないだろうか?

東アジア近隣で軍事的緊張が高まっても、
それでも戦争が勃発しそうでしない状況を、
不思議に感じたことはないだろうか?

こんな大きな台風が首都圏を直撃したら、
どれだけの被害が出るのかというほどの台風が、
都合良く曲がって逸れていくのを、
不思議に感じたことはないだろうか?

いや、別に不思議に感じる必要はない。
まったくその必要はない。


私は車で首都高速に上がってから、
まずはいわゆるC1をぐるりと一周し、
湾岸線やC2を通って、またC1に戻り、
これを何回も一晩中繰り返した。
そしてC2から外環道へ回り、高速を降りて環八を走った。

つまり、東京の中心部を、
渦巻き状にグルグルと回った形になる。

夜が明けた。徹夜だった。
車内で私が具体的に何をしていたかは省略する。
話すと長くなるので。

ただ、これだけはいえる。
ぐったりと、ものすごく疲れた。


翌日の衛星気象画像は、
まるでマンガなどのフィクションのワンシーンのような、
奇妙この上ないものだった。

日本列島全体が冬の雪雲に覆われているのに、
首都圏だけが、小さな円形状にスポンと抜けており、
かろうじて太陽を浴びることができていた。

この日この気象画像を目にして、
不思議に感じた人は、はたしてどれだけいただろうか?
いや、
別に不思議に感じる必要はまったくないのだが。

 

 

 

「クトゥルー??」
私はなかば呆れ顔で聞き直した。

「おかしなこといってないで調べ直せ」
私はカゲに再調査を命じた。


私はあの晩から、さらに一週間ほど連続して、
東京の中心部に防壁を張り続けた。

その間、北陸のある県では、
寒波と積雪によって大きな停電があったし、
東北のある県では、
突風による列車の脱線事故があった。

大停電はものの二日で復旧し、
凍死や餓死などの被害は避けられた。
脱線事故の方は、
驚くほど少ない被害者数にとどまった。

私「あのあたりには...」
カゲ「......」
私「どう考えてもスゴ腕がいるな」
カゲ「......」

今回大停電があった県は、
数年前の大地震のときも驚くほど死者数が少なく、
しかも走行中の新幹線が脱線したのにもかかわらず、
ひとりの死者も出さなかった地域だ。
ガケの中に埋まった自家用車から、
生存していた子供が奇跡的に救出されたのも驚きだった。


今回、北陸や東北だけではなく、
関西や中部なども例年では想定しにくいほどの、
寒波や積雪に見舞われていた。
日本列島の大部分が大寒波に襲われていた。
首都圏は、無事だった。

もし、首都圏で大寒波と大雪による、
大規模停電と交通網遮断と物流途絶が生じていたら、
その状態で一週間以上も氷点下に曝されていたら、
いったいどうなっていただろうか...

そして、
記録的な寒波は、日本だけではなかった。
ロシア、ウクライナ、北欧などユーラシア北側のみならず、
この年末は、
欧州全域、北米、そしてインドまでも歴史的厳冬となった。
世界中で多数の凍死者が生じることになるのである。


私「クトゥルー??」
カゲ「......」
私「あれは作り話だろう?」
カゲ「......」
私「からかってる場合じゃないぞ」
カゲ「......」

再調査を命じられたカゲが、再度同じ報告をした。
私はすぐには信じなかった。

だって、当然だ。
クトゥルー神話など、
作家たちの手によるただの架空の創作神話にすぎない。


クトゥルー神話...
20世紀前半にラブクラフトによって小説として創始され、
その後ダーレスによって整理された架空の神話体系である。

太古に地球を支配していた異形の旧支配者たちが、
現在は地上から姿を消しているが、
やがて現代に蘇るかもしれない...
というコンセプトが基本となっている。


私「ああ、そうか」
カゲ「......」
私「例のインスピ・リークか」
カゲ「......」

インスピ・リーク...
私の造語である。

この世の人間が、ある時ふいに、
直感的になにかをひらめいたりイメージが湧く時、
そのインスピレーションの内容は、
なんと、異界の住人に吹き込まれた場合が多い。

ときに先祖が危険を教えてくれるケースもあるし、
自分が死んだことを肉親に知らせるケースもありうる。
重要な科学的発見のヒントを学者が授かったり、
独創的なモチーフを小説家や漫画家が受けることもある。

断言しよう。
インスピレーションというものは、
ひらめいた人間が完全に独力で直感することは、
驚くほど少ない。

直感力のある人というのは、
実は、受信能力の秀でた人ということだ。


そして、
異世界での出来事や、異世界の住人の存在を、
小説家などのこの世の創作者が、
インスピレーションをきっかけにして表現することがある。
これを、
私はインスピ・リークと呼んでいる。

小説家が現実離れした創作小説として書いたものは、
あくまで架空のフィクションであり、
それを読んだ人は誰もが、
それらを決して現実ではない物語として楽しむ。

しかし、
多くの人の記憶の中にずっと残り続け、
何世代にもわたって記憶されていくことには、
リークした側の異世界の者には大きな意味がある。
ある種のアピールとなるからだ。


例をあげる。
誰もが知っているあの「西遊記」である。
三蔵法師がありがたいお経を求めて、
中国からインドに長い旅に出る。

その三蔵法師を、
半人半獣の猿と豚とカッパがお供をして、
さまざまな異形の化け物の攻撃を退けながら、
旅を続けていく。

三蔵法師は玄奘三蔵という実在した人物だ。
しかし史実では、彼はたった一人で旅を往復した。
彼の回りには孫悟空も猪八戒も沙悟浄もいなかった。
あたりまえの話だが、
半人半獣の猿や豚やカッパなど実在するはずがない。

しかし、
異世界的には、どうも西遊記は史実らしい。
三蔵を、不可視の守護者たちがガードしつつ、
行く先々で奇怪な妖怪たちを撃退していった...そうだ。

「西遊記」は玄奘三蔵の死後、
およそ千年ほど経過したあとに、
中国のある作家が小説として書いたといわれる。
「西遊記」はなんと、約500年かけて世界中に広まり、
現在では、洋の東西を問わず老若男女に人気がある。

あと数千年くらいしたら、
いつ誰が書いたということは忘れ去られ、
「西遊記」のストーリーだけが世に残るかもしれない。
そうなったらもはや、
これはひとつの神話といえるだろう。


インスピ・リークの実態としては、
いくつかのパターンがある。

ある異世界の者が、表現力の優れた人間に、
書かせたいことを吹き込んでイメージさせるパターン...
異世界の者が、自分の関係者を人として転生させて、
インスピレーションを授けて書かせるパターン...
そしてさらには、
異世界における物語の主役本人が、
人間として転生して記憶を蘇らせながら書くパターン...
などがあげられる。


さて、問題はクトゥルーである。

仮にカゲたちの調査が間違っていないとするなら、
クトゥルー神話の面々は異世界に確かに存在し、
彼らは太古の昔、この星の管理者たちだったことになる。

今回、彼らは寒波と降雪で攻めてきた。
極めて短絡的に推察するならば、
彼らは地球が寒波と雪原で覆われていた時代の、
旧支配者、つまり旧管理者であろう。

氷河期時代の旧管理者たちということだ。

彼らがもし、これから本格的に復活し、
再びこの星における覇権を狙うのであれば、
それは、
地球が氷河期に再突入することを意味するはずだ。

 

 

 

私はネットでクトゥルー神話のことを、
ごくおおざっぱに調べた。
正直いってほとんど知らないからだ。

万物の王、知の支配者、水の精、風の精、
地の精、時空の超越者、深き者ども...

今回初めて耳にする固有名詞が多く、
発音しずらくてとても覚えられない。
それに、
詳細はよくわからないが、いろいろ揃っている。

気になるものがあった。
時空の超越者...


私「こいつか?」
カゲ「......」
私「気象の過去をいじったのはこいつか?」
カゲ「......」
私「もしや、人じゃないのか?」
カゲ「......」
私「こいつは肉を持って人として生きてないか?」
カゲ「......」

古い勢力が復活して実権を取り戻そうとする場合、
だいたいは、
主力の誰かをこっそりと人間として生まれさせ、
先行して蘇らせておくことが多い。

その際、先兵として送り込まれたその人間は、
成長期に記憶を思い出すこともあれば、
成人してから思い出すこともあるし、
一生思い出さないこともある。

あらかじめ与えられた霊的な役割は、
はっきりと意識して行うこともあれば、
記憶を取り戻さないまま無意識に行うこともある。
または、自分の意志で、
元々の役割を放棄したり変更したりすることも...


私は待っていた。
この時まで待っていた。

気象の過去操作をしたであろう誰かが、
どういう系統のどういう相手なのか、
ほんの少しでもいいので見当がつくのを、
私はこの一週間、ずっと待っていた。

時空操作で過去を塗り変えた場合、
決して避けられない、ひとつのデメリットがある。

履歴が残るのである。

履歴とは何なのか、どこに残るのか、
それらはここでは言及しない。
とにかく過去を操作すると必ず履歴が残ってしまうのだ。

時空戦で優位に立てるかどうかは、
ひとつのポイントとしては、
履歴の検索能力がどれだけあるか、ということだ。


私「列島全域の寒波について...」
カゲ「......」
私「過去を操作した者の履歴を...」
カゲ「......」

私は一呼吸おいた。
高ぶった気持ちを落ち着かせるためだ。

「これから早急に検索しろ」
私は努めて平静を保ちながらいった。

「もう検索は済んでます」
カゲは私に即答した。

 

 

 

私「さて、誰をどう使うかな」
カゲ「......」
私「......」
カゲ「......」
私「なんかいいたそうだな」
カゲ「......」
私「......」
カゲ「たまには自分でやったらどうです?」

カゲは、時に私の心臓をえぐるような、
そんな厳しいことをいう。

私「私が? 自分で?」
カゲ「そうです」
私「......」
カゲ「ずっとやらないと忘れますよ」

それはその通りだ。
そういえばもう半年近く自分ではやっていない。
ずっと、カゲたちを使ってばかりだ。


最後に私が自ら手を汚したのは、
たしかブッチを仕留めたときだ。
ブッチを葬ってから私は仕事がイヤになった。
一時的に引退してしまった原因のひとつでもある。

ブッチとは、
私が一年以上かけて何度も争った、
かつて私の最大のライバルだった男だ。
彼はこの世に、肉持ちとして生きていた。
不撓不屈の巨漢の大男だった。
彼は何度私に敗れても、繰り返し挑んできた。
どれほど傷付いても決して諦めなかった。
そして最後には、彼は脳出血で死んだ。

その最後のとき、
私はカゲたちに任せきりにはせず、
自ら陣頭に立って動いていた。

帰ってこい!!
どんなに呼んでも、彼は二度と帰ってはこなかった。
戻ってもう一回やろう!!
私がどう叫んでも、彼は二度と戻ることはなかった。


私「わかった」
カゲ「......」
私「今回は私もやる」
カゲ「......」
私「ちょっとだけな」
カゲ「......」

今回の相手は、
ほぼ間違いなく数万を超える配下が周辺にいるだろう。
いや、数万では過小評価になるかもしれない。
私が使うカゲたちのような存在が、
相手にも無数にいるはずと考えるべきだ。

私はカゲたちに陽動を任せて、
その間隙を突いて自分で動くことにした。

陽動を受け持つグループには、
核となる者が必要だ。
簡単には倒されることのない、強い者でないといけない。


「十兵衛を呼べ」
あの、柳生十兵衛を、ぜひ想像してもらいたい。

十兵衛は五本指の中のエースである。
そして同時に、
私のカゲたち全体の中でのエースでもある。

 

 

 

私はさっそく仕掛けることにした。

私「標的を正確に捕捉、見失うな」
カゲ「......」
私「まず対防オーロラをかけとけ」
カゲ「......」

対防オーロラとは、
標的の上空にオーロラを出現させるのだが、
これを標的が見てしまうと、
よほど強力でない限り標的の防御が無効化される、
というものだ。

何重にも防御を張りめぐらせているであろう相手には、
あらかじめ対防オーロラをかけることがある。
しかし、使わないことの方が多い。
一枚一枚薄皮を剥ぐように敵の防御を破っていく方が、
やり方としては私はずっと好きだ。


私「アルティメット・サンを発動」
カゲ「......」

オーロラの次は灼熱の太陽である。
これは単純に目くらましだ。必ず別の手を同時に使う。

私「MBB一万発を連弾」
カゲ「......」

MBBとは、マイクロ・ブラックホール・ボムの略である。
読んで字のごとくだ。
要するにただの小型ブラックホール爆弾である。

私「四方と上下からステルス軍を進めろ」
カゲ「......」

ステルス軍とは、全兵器全兵が透明化されており、
相手からは認識されにくい。

私「忍軍を敵陣内部にテレポートで送り撹乱させろ」
カゲ「......」

後方撹乱や敵陣内工作に、しばしば忍者部隊を使う。

「十兵衛、正面からゆっくりいけ」
私は、十兵衛に指示を出した。

「目立っていい、注意を引きつけろ」
十兵衛には絶対の信頼を私は置いている。
彼はこの数年間、それだけのことをしてきた。


私はたまに、十兵衛を生み出したときの事情を、
昨日のことのように思い出す。

数年前の9月初め、
ネットのある掲示板のあるスレッドで、
興味深い人物がいた。女性だった。
彼女は、地の底の龍と話ができるといっていた。

彼女が会話できる地の龍、つまり地龍は、
南関東の地下にたまっている地震のエネルギーを、
たくさんいる彼ら地龍の一族のみんなで、
東北沿岸や千葉・茨城沖に流していると語っていたそうだ。
それで南関東の大地震を可能な限り防ごうとしていると。

そして、その女性がいうには、
彼女に話しかけている地龍にはある悩みがあって、
その解決法を探している、とのことだった。


その悩みとは、
東京中心部の西側にたまっている地震エネルギーを、
東京よりもずっと西に運びたいのだが、
西の方には富士山があり東海地方があり、
飛ばすなら名古屋付近になってしまうと。

東京を守るために名古屋を犠牲にする訳にもいかず、
それで地龍とその一族は深刻に悩んでいる、とのことだ。
女性は地龍の悩みをそのまま文字にして、
その掲示板のそのスレッドに書いていた。

私はレスを入れた。
「とりあえず西に飛ばして山か海に弾くしかないだろう」
別の誰かがすかさずレスをした。
「お山はいま手一杯です、山以外にお願いします」
おそらくこれは山の関係者だったのだろうか。
浅間山噴火もあったし、富士山も不気味な時期だった。
私は再度レスを入れた。
「じゃあ海だ、名古屋に飛ばして海に弾くしかない」


私はこの直後、深夜から夜明け前にかけて、
十兵衛を生み出し、そして命じた。

私が今までに生んだどのカゲよりも強くあれ、
どんな者が相手でも決して負けるな、
私が命じた仕事は必ず成功させろ、
以上のことのためにお前は私の肉体を賭けていい、
私がこの肉をもって生きている限り、
決してお前は死なないし負けない、
お前が負けて死ぬときは私の肉が滅んで私が死ぬときだ...

私は十兵衛にさらに命じた。
これからすぐに名古屋にいけ、
そして地龍たちが東京から西に流した地震波を海に弾け、
東京も名古屋も両方とも壊滅させない、
決して失敗してはならない...

私は地龍に使者のカゲを出し、
その上でさらに、私は夜明けにレスを文字で明記した。
「こちらは準備完了、いつでもOK、今月中に希望」

まさにその日の夕方から、
伊勢湾の南、紀伊半島の東の沖で、
M7クラスの地震の激しい連発が始まった。
それは何ヶ月も続いた。


9月の中旬、
私は胃痛を少し感じ、そして黒色便が出た。
私のカゲに何らかのダメージがあると、
それは私の肉体に返ってくる。
私は市販の胃薬を服用し毎日牛乳を多く飲み、
そして祈った。

負けるな! 私も負けないから!

私と女性と山の係のネット上のやり取りは、
いまもネットのどこかに過去ログが確実に残っている。
私は特に探し出して読もうとは思わない。
しかし、ごくたまに思い出す。とても懐かしい。
十兵衛誕生のエピソードだからだ。


話を戻す。
クトゥルー族が相手の話だ。

私は念には念を入れるタイプだ。
日常生活はとてもいい加減だが、仕事になると別人になる。
十兵衛にサポートを数人つけることにした。

私「図書館から、少佐と東郷と空海を呼び戻せ」
カゲ「......」

少佐は近接戦闘とハッキングが得意であり、
東郷は遠距離狙撃に長けており、
空海は防御破りの専門家だ。


図書館...
時空操作の履歴を調べることのできる場所である。
いや、場所という表現は適切ではないかもしれない。
いいにくいのだが、つまりはそういうところだ。

図書館には、過去や現在や未来の、
さまざまな記録がある。膨大な情報量だ。
人間の頭脳では、
ここに蓄えられている情報量を消化することは不可能だ。
私も当然不可能だ。私は人間にすぎないので。

実は私は、
自分のカゲたちの主力のほとんどを、
この図書館に送っている。


「少佐、東郷、空海、三人で十兵衛を支援しろ」
私はこの四人だけでも何とかなるだろうと思いながら、
今回は自分も参加しようと決めていた。

「孔明、私が出ている間、指揮を任せる」
私の側近にはガードチームのほかに、
参謀スタッフのような連中が数人いる。
彼らは政略参謀、戦略参謀、戦術参謀に大別できる。
孔明、アウグストゥス、マキャベリ、子房、ハンニバル、
クラウゼヴィッツ、孫子、半兵衛、マンシュタイン...

孔明とは、私のカゲたち全体の統括責任者だ。
私が普段やり取りをしてるのは、この孔明である。

「じゃあ、任せたから」
私はおよそ半年ぶりに出かけることにした。
引退前でさえ年に数回しか直接自分では動かなかった。
うまくいくだろうか...