前回、山の句を鑑賞した。少し前には、海の俳句も鑑賞した。旅行の句の回もあった気がする。山も海も、もちろん旅も大好きだ。しかし、よく考えてみれば、私は東京生まれで東京在住。社会人になってからは職場もずっと東京の私としては、お出かけといえば、都内であることが圧倒的に多い。ここ数年はずっと在宅勤務で、9割は家に居るとは言え、月に何度かは職場のある都心にも出向く。街を歩きながら、あるいはバスや電車の中の景から発送を膨らませて、句を作ることが多い。
そこで、今回は主に東京を詠んでいる俳句や、具体的な地名は入っていなくとも私が東京のどこかのイメージで鑑賞した俳句を選んでみた。いつもの、どちらかといえば無機質な風景の中にも、色んな詩があるのだということを改めて思った。
東京の蝉時雨とはうすつぺら 松本てふこ
家の近所に大きめの公園があるので、季節になると蝉時雨はかなりうるさく響いてくる。だけどそう言えば新宿や渋谷で、蝉がうるさいと思った記憶があまりない。もちろん、鳴いては居るんだろうけど、存在感が「うすつぺら」であるのだろう。たぶん、東京では人間の数方が蝉より圧倒的に多いからだと思う。
秋灯のこれらすべてが世田谷区 松本てふこ
ビルの窓から外を見ているのか、それとも小田急線の車窓から見ているのか、東名の可能性もある。広がる柔らかな夜の光、すべてが世田谷区、と区切ったのが面白い。住宅地が多い世田谷区の、そういえば私の実家も秋灯の一つである。
ちらちらと土筆環状八号線 松本てふこ
都心の外側をぐるりと半円で通る都道、環状八号線。大地震後に大きな火災が起きた場合、火事は一旦環八で止まると言われている。物理的にも、都心と多摩地区の最初の区切りなのかもしれない。そんな環八沿いには、空き地が案外多い。排ガスを浴びながら、土筆がのんきにそよいでいる。こういうディテールが、すごくリアルな東京だなと思う。
しぐるるや駅に西口東口 安住敦
俳句を始めた頃に知って、とても好きな句。後で調べて、田園調布の前書きがあることを知った。私はどうも新宿のイメージで 読んでしまう。西口と東口、それぞれ賑やかさも、いる人たちも、表情が違うけれど、時雨が降っていることは同じ。
豆撒きの鬼の乗込む山手線 中橋文子
「山手線」と言うチョイスが好きな句。昔、山手線ではなまはげを見たことがあるくらいだから、きっと豆撒きの鬼もいるだろう。本人はちょっと照れ臭かったりするのだろうか。
幻の羽子板のあり山手線 山岸由佳
こちらも山手線で遭遇。有名な作家さんの羽子板だったのだろうか。聞いてみたいけど、すっと来てすっと降りていくのが山手線。すれ違うけど、それだけの空間というあっさりさが「幻の羽子板」と言う少し大袈裟な言い方との対比で面白い。
野分あと歩行者天国にこども 山岸由佳
銀座、新宿、秋葉原。主要な街には歩行者天国がある。まだあっちもこっちも自転車が倒れていたり、ポスターが剥がれていたりと暴風の傷跡が残る街で、どこから現れたのか、たくさんの大人や子どもで賑やかさを取り戻した街。人がどこからかじゃんじゃん湧いて出てくるのが、東京っぽい。
マフラーや銀座新宿人違ふ 高田風人子
東京で最も大きな繁華街というと、銀座か、新宿になるのだろうか。この句では「人違う」とはっきり言っているのが、おっしゃる通りだし、面白い。マフラーを巻く人たちにそれを見出しているのもまた良い。お金でもなく、ブランドでもなく、品がどうこうという単純な話でもなく、それでも何かが違うのだ。
銀座と新宿の句を並べてみた。
目刺し焼くここ東京のド真中 鈴木真砂女
銀座で小料理屋「卯波」を営んでいた真砂女の一句。東京のド真ん中、と言い切ってしまう気持ちよさがある。普通の目刺しでも、銀座で焼けば、ちょっとした特別感。言葉選びにユーモアとプライドを感じる。
涅槃西風銀座の路地はわが浄土 鈴木真砂女
真砂女にとって自分の庭でもある銀座の路地は、「浄土」と言い切ってしまえるほど大事な場所だったのだろう。浄土からの迎えの風と言われる「涅槃西風」を季語に。
絵日傘を夜の銀座に忘れけり 大村やよひ
日傘を忘れたというだけの句でも、「夜の銀座」であるとちょっとした映画のワンシーンが生まれる感じがある。これは「詩」というより「ドラマ」なのだ。夜の新宿や、夜の上野、夜の阿佐谷に忘れるのとは、全く趣が違う。銀座がとても効いている。
銀座らしきミキモトらしき聖樹かな 萩谷幸子
40年続いた冬の銀座の風物詩、ミキモト本店前のジャンボクリスマスツリー。ミキモトは日本を代表する真珠ブランドで、その銀座本店ともあれば日本一の有名なクリスマスツリーとも言える。そこをあえて「らしき」をつけて、わかる人だけにわかる、と読んでいるのが、これまた銀座だからこそな感じがある。
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る 福永耕二
西新宿のビル群が真っ先に浮かんだ。今は都内どこでも高層ビルは珍しくないが、1980年より早くに40階を超えるビルが乱立した西新宿は、今見るよりよほど恐ろしい光景だったのではないかと思う。空を奪われた鳥たちが、さらにその上を飛んでいく。きっと新宿から人がいなくなる日がきても、鳥はその墓碑の上を渡り続けるだろう。
夕焼や新宿の街棒立ちに 奥坂まや
「夕焼」の色が美しくて、街の中の人々が「棒立ち」になっている景だと言うふうにも読めるが、やはりこれは西口の高層ビル群の、そして東口のごちゃごちゃとした雑居ビルや細いビルが乱立している感じの、あるいは歌舞伎町の、どこもかしこも歪なビルが大小所狭しと並んでいる「新宿の街」そのものが「棒立ち」している景に見える。夕焼けの一瞬に、ビルもまたホッとするように。
新宿に山の荷とあり十三夜 望月たかし
新宿は、言わずもかな乗降者数世界一位の駅だ。東京の中でも、交通の要であることは間違いない。「山の荷」でにやりとしてしまって思わず選んだこちらの句。新宿から八ヶ岳も奥多摩も秩父も行ける。今はバスタ新宿から、どこへでも行ける。「十三夜」に、夜行バスで上高地に行きたい。
おぼろ夜の東京だいだらぼつちがゆく 加藤秋邨
東京の生活は、とにかく色んなものに埋れてしまう。自然への畏敬を思い出すには、あらゆる人工物が視界にうるさく見えすぎてしまうから。ビルとビルの隙間から、大空を見出すのは割と難しい。空が見える場所まで行けば、地平線を埋め尽くす果てしない街が見えてしまう。だけど、朧なら。全てがぼんやりと包まれた朧夜ならば。通り過ぎる何かを、感じることができるかもしれない。
出典
句集『汗の果実』松本てふこ(邑書林)
句集『丈夫な紙』山岸由佳(ふらんす堂)
575筆まか勢「新宿」「銀座」「東京」 https://fudemaka57.exblog.jp/
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