《言葉はその人の心意が
伝わらず、勘違いされることも
あります。》
その一例です。
数年前に、専修科を中心とした仲間と、姫路城で同窓会をしたことがあります。
お昼ご飯はお城🏯が一望出来る名古山霊園の駐車場ですることになりました。
マイクロバスは名古山の一方通行の中にある駐車場に車を停め、和やかな時を過ごし、出発しましたら、出口の広場では小動物の慰霊祭を行なわれていました。
パイプ椅子が並べられ、参拝者達は、その場違いなバスの出現に唖然とし、また多勢に無勢で退いてくれる気配もありません。
『ウソォー! 聞いてないよ!」
そんな状態の中、運転手さんは細道を上手くバックをしてくれてことなきを得ました。
脱輪したら、沢山のお墓の中にマイクロバスが落ちてしまい、
《天理教の信者が墓を壊す!》
と、新聞を賑わすことになるかも知れません。
にをいがけの逆バージョンとなってしまいます。
いろんなことがありながら、お城見物の最期にお別れの挨拶を順番にマイクでしました。
某氏(小田とか言ってました)の嫁さんが深く考えてなかったのか、とんでもないことを言い出しました。
🎤
「運転手さんはバックが上手くて、こんな経験は初めてで、とっても良かったです❤️」
たしかに運転手の技術は素晴らしく、拍手喝采であったのですが、あまりにも時が過ぎたお礼の言葉に、みんなは瞬時に意味がよくわからず、その主人は真っ赤な顔で狼狽え、
「お前、何を言ってんねん?」
とフォローも出来ず.....
名古山でバックした時の感想であったことを、段々と理解は出来ましたが、みんなも連想することは同じなのか、笑いをこらえるのに必死でした。
その日の内容を知らず、その言葉だけを聞いた者は、赤面するような激白でした。