《質問》
君はいろんな宗教を訪ね、天理教が一番良いと思って信仰しているのですか?
《答え》
いいえ、違います。
天理教のことすら、深く分かっていません。
ましてや、他の宗教のお話など、噂話程度でしかありません。
《質問》
では、何故、天理教を信仰しているのですか?
《答え》
いろいろ理由はありますが、一番の理由は、この教えが気に入っているから、好きだからです。
《質問》
それでは他に好きな宗教が現れたら、君はその宗教に移るのですか?
《答え》
その時になってみないと分かりませんが....
おそらく、他の宗教には行かないと思います。
好きになったきっかけがありますので、それを語らせていただき、答えとさせていただきます。
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ちょっとビックリ屋敷です😬
今は取り壊され空き地になっています。
この家の向かい側が天理教の教会です。
私は生まれ出た時から、天理教の内側にいましたが、その環境が嫌で嫌で、我が家の極貧状態もあり、中学を出て、直ぐ働きに出まして、その会社の寮に入りました。
毎月、定まったお金が入るサラリーマンの生活に憧れていましたので、ささやかながらも夢が叶いました。
我が家は極貧状態でしたので、毎月の仕送りは欠かすことなく渡していましたが、それでも自分で働いた分だけ、お給料として入ります。
そのお金は輝いて見えましたが、数ヶ月もしますと、輝きは薄れ、お給料の少なさを感じるようになりました。💸
『私が夢見た、自分で働いて収入を得る生活とはこんなものだったのか?』と思ったことを覚えています。
恋多き、悩める青春期となり、その頃から《人間とはなんだ?》《生きる意味とはなんだ?》と思うようになりましたが、その時に参考にしたのは神や仏ではありませんでした。
その頃ブームであった《吉田拓郎や河島英五》のフォークの表現に傾倒して行きましたが、ギターの上達が直ぐ止まり、シンガーソングライターの夢はあっさり終わり《聴き専》になりました。🎸
さて、順調にサラリーマンを謳歌していた20歳の時、友達に誘われて、生まれて初めてスキーに行きました。⛷
終日フリー券を買いましたから、転んで足の痛みがありましたが、勿体ないから簡単に止める訳には行きません。
フリー券を充実させる為に、その日は我慢して、最後まで滑り、自宅に戻りました。翌日足は立たなくなり、靱帯を伸ばしていると言われ、全治50日と言う診断がおり、入院することになりました。
後で知ったのですが、その病院には、上級教会の役員さんが入院していまして、そのため、「ついでの面会」がよくありました。
そんな訳で天理教関係者が私の部屋にもついでに訪れ、おさづけを取り次ごうと致します。
その頃の私の人生設計には天理教を信仰することことは入っていませんし、むしろ天理教に対して嫌悪感が渦巻いておりました。
『断ろうか…。』
とも思いましたが、教会に家族で住み込ませていただき、飯も食わせてもらった5年間の恩義もありました。
しかし、天理教のお世話にはなりたくない。
『治るな~!
俺は医者の力で治るんや!』
と逆祈りを致しました。
ですから、母に対しては、本音でおさづけの祈りをトコトン拒否を致しましたし、ひどい言葉を投げかけたことも何度かあります。
ある日の夜中、私は足元に何かの気配を感じました。
母でした。
私がおさづけを断るもんだから、夜中にそぉっと病室にやって来ておさづけを取り次いでいたのです。
私は胸が一杯になってしまいました。
『これだけ断っているのに、どうして、おさづけを取り次ごうとするのだろうか?』
その理由を、即ち《天理教とは何か?》について、子供の幸せを願い、真剣に信仰をしている母の息子として知らねばならんように思えてきたのです。
『天理教で納得するものが得られなかったらアッサリ辞めたらええやんか』
そう思い、神様のお話、《別席》をおぢばで聞いてみようと思いました。
退院して、それなりの思いを持って一人で本部参拝に行くと、神殿は不思議な感覚で、ヒンヤリ感と、温かさの両方を感じました。
20歳の時の素直な感想としましては、
『母親の思いを少しでも、子供として知ろう。』
と思ったからで、「神様とは何ぞや?」と聞かれましても『さあ…。』と言う状態でございました。
この時はまだ信仰者とは呼べない状態でしたが、約一年後、おさづけの理を拝戴しました。
《この半端者のお話は不定期に続きます》