主は、20台の頃、いや10台後半からブランド品への欲求が凄まじかった。

 

というのも中2の頃、親が甘い同級生がヴィトンのマルチカラーの長財布を持っていた。それが見事に私のコンプレックスを刺激した。

 

自分の親におねだりするも勿論だめ!実家は割と裕福なはずなのだが、金銭的な問題ではなく

『そんなの持っていたら、アンタ援交してるって思われるよ!大人になってから自分のお金で買い!身の丈に合ってない!』

今この歳になって母親の言いたいことはわからんでもない。

 

ただ当時、反抗ホルモン大量の思春期だった私には寝耳に水、むしろ欲しい気持ちに拍車がかかる。

 

そんなコンプレックスを持ち、自分のお給料で生活するようになりある程度お金に余裕が出た私は、貯金・貯金・貯金

そう、ただブランド物を買うためだけに

 

ブランド物を身につけた私は有頂天だった。「ブランド物を身につけてるワタシ=価値のあるワタシスター

なんて思っていた。

安いバックを持った友人を小馬鹿にする発言もしたなって今になって大反省

 

街中のあらゆる人を見て、身につけてるものが安物だったら内心「あの人恥ずかしくないのかな」なんて思っていたりした。

 

月日が経ち、人生のいろいろな修羅場、涙、辛さを経験した今、ブランド品のバックを持つことも欲しくなることもなくなった。

 

ブランド物なんて、ブランド自体に価値があるだけでつけている本人とはなんの価値も結びつかない。

人の表面的なごく一部にしかならないと気づいたのだ。

俗にいう、ブランドに着られている。

 

そんなあからさまに見てわかることより、きちんと自分の選択で自分の人生を歩いているかということを重要に考えるようになった。

そんなただの製品に人生の重きを置かなくなった。

 

服にアイロンはかかっているかとか靴はきちんと手入れされているかとか姿勢を正すとかの方が手っ取り早く自分を綺麗に見せてくれる気がした。

 

時にブランド品なんて意味を持たない

 

 

そうは言ってもブランド物の欲しさに仕事を頑張っていた過去の自分を一切悔やんでなんかいない。その時はその時で楽しかった

きっとみんなが通る道だと思う。

 

こんな記事を書いておきながらブランド物のバックを買うことは今後あると思う。だがそれは見栄ではなく自分への資産として買うだろう。