最近、「安心のためにやってるはずなのに、なぜか不安が消えない」
そんな相談や投稿を見かけることが増えました。

 

FIRE、副業、新NISA、自己投資……
それぞれに意味があるし、選択肢が増えることは本来良いことのはず。

 

でもふと、私はこう思ったのです。

「これって、私が自分で選んだことだっただろうか?」

 

正しさに乗って、問いを手放していた。
誰かの言葉の上に、自分の人生を乗せてしまっていた。

 

 

私はそんな感覚と向き合う中で、
ある言葉を思いつきました。

 

それが「私育(し・いく)」という言葉です。
“投資より、私を育てる”という逆説の中に、私の小さな決意が宿っています。

 

そして本日、noteをはじめました。

🔹 「問いを持つこと」
🔹 「誰かの答えに依存しないこと」
🔹 「自分で考える力を育てること」

そのすべてを言葉にした3本のnoteです。

 

 

📝 公開中のnote3記事:

① 【私育とは】

正しさの中で、自分を見失いかけた話
noteトップページへ

② 【自由になる違和感】

「私は間違っていたかもしれない」と思えたとき、私は自由になった

③ 【有料記事】

なぜ私は「問い続けること」を手放さないのか(800円)

 

noteは“正解”を渡す場所ではありません。
むしろ、あなたの中に眠っていた「問い」を、静かに目覚めさせる場所です。

考えることは、しんどいです。
でも、思考を手放した瞬間から「私」が消えてしまうような気がして。

だから私は、問いを持ち続ける人生を選びました。

 

 

noteでは、そんな静かな思考の旅を綴っています。
“誰かの答え”ではなく、“あなた自身の問い”と出会いたい方へ──
そっとリンクを置いておきます。

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