へき地診療所に赴任、患者と近くやりがい | 国際そのほか速

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へき地診療所に赴任、患者と近くやりがい 

53歳の転身

 

 笹井平ひとしさん 60歳 診療所長

  • 53歳の転身、へきち診療所へ。訪問診療で女性を診察する笹井さん。「患者さんに親しみを感じてもらえるように」と白衣は着ない(静岡県西伊豆町で)
  •   「お肌ぴちぴちだね。足の爪もきれいだよ」。静岡県西伊豆町の田子地区。

      この地域でただ一人の医師笹井平さん(60)は、診療のため訪問した家の女性(93)に笑顔で語りかけた。「どこも悪いところないからねぇ」とベッドで半身を起こし、うれしそうに話す女性。笹井さんは、近くで暮らす家族に食欲の具合などを確認し、玄関を出た。

      人口約2500人、高齢化率49・8%。かつてカツオの遠洋漁業で栄えた田子地区に笹井さんが赴任したのは、2008年4月、53歳の時だった。地元漁協1階を改装した田子診療所が第二の仕事場だ。

     

      和歌山県に生まれ、鳥取大医学部を卒業。外科医を約5年務めた後、日本たばこ産業(JT)などの研究所でがんの遺伝子に関する基礎研究に明け暮れた。「試験管を振る毎日はとても充実していた」

      40歳代後半になると、若い研究者20~30人を束ねる管理職としてデスクワークが増えてきた。職場環境は良かった。ただ、次第に現場に戻りたいという気持ちが強くなっていった。「人を助けるという実感をもっと持ちたくなった」

      そんな中、医師不足の土地に勤務医を派遣する公益社団法人「地域医療振興協会」(東京都千代田区)の再研修プログラムを知った。「無医村で医者をやる」という学生時代の思いが、ふつふつとよみがえってきた。07年3月にJTを退職。「家族に反対されるかも」。そんな不安が一瞬よぎったが、妻の和子さん(55)は「やるからには後悔しないで」と背中を押してくれた。

      退職後、同協会が運営する神奈川県と群馬県の病院で1年間、20歳代の医師たちに交じり、救急医療や最新機器の扱い方などを学んだ。研修を終えると、同協会から田子診療所を紹介され、和子さんと一緒に横浜市から移り住んだ。

    ◇  ◇

     

    •   診療所を訪れる患者は1日、50~60人。ほとんどは糖尿病や高血圧などを抱える70~80歳代だ。午前と午後の診療時間の合間を縫って、自ら軽乗用車を運転し、週に3度は訪問診療もこなす。急な坂と細い路地の多い田子地区では、足腰の弱った高齢者は診療所にたどり着けないためだ。「さみしい」「眠れない」。一人暮らしをする高齢者の話に耳を傾けるのも大切な役割だ。「研究職時代とは違う、患者との距離が近い今にやりがいを感じている」。この春で7年がたつ。横浜に住む初孫になかなか会えないのはさみしいが、「体力が続く限り、頑張りたい」。(社会保障部 板垣茂良)

       「無医地区」の現状改善遠く 厚生労働省によると、「無医地区」は705か所(2009年)あり、20年前より約3割少なくなっている。無医地区とは、半径4キロ・メートル以内に50人以上が住んでいるのに、医療機関までの時間が、バスなどで片道1時間以上のこと。
        減少したのは、過疎化で住民が50人未満になったことなどから無医地区の定義から外れた地域が増えたため。同省地域医療計画課は「へき地医療が改善しているとは言い難い」とする。山間地など医療の確保が困難なへき地の診療所は現在、1038か所ある。