
2003年に、亡き母との約束をきっかけに始めた活動は12年目。仲間たちと美しい歌声を届け続けている。
11年前。池永さんは介護をしていた母親の川辺カツコさんから、こう声をかけられた。「えっちゃん、いつもありがとう。何もしてあげられないけど、100歳まで生きて祝金をあげるね」。別府市では100歳になると祝金として当時5万円を支給する制度があり、祝金でお礼をしようということだった。
池永さんはこの頃、約20年間のスナック経営で鍛えた歌唱力を生かし、友人と2人で介護施設の慰問を始めていた。「じゃあ私は100回慰問する。一緒に頑張ろうね」と約束した。
翌04年には、ほかの人も加わり「歌集(かしゅう)会」を結成。カツコさんが06年に92歳で亡くなった後も、仕事の合間をぬって月1回程度、別府市、国東市や姫島村などの介護施設へ慰問を続けた。
記念の100回目の舞台はデイサービス事業所「心和(しんわ)の里」(別府市扇山)。カツコさんが通っていた施設で、カツコさんは生きていたら100歳。思い出の場所で、オリジナル曲「由布院慕情」や歌謡曲など14曲を歌集会のメンバーと披露した。
利用者ら約20人は手拍子をしながら、なつかしい名曲を楽しんだ。植村ミキ子さん(96)は「すごく楽しかった。来てくれてうれしいです」と笑顔を見せた。
池永さんは「聞いてくれる人が笑顔になってくれるのがうれしい。母も見てくれていると思う。慰問は生きがいなので、これからも続けたい」と語った。(村上喬亮)