父のおむつ拒否 教訓に | 国際そのほか速

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父のおむつ拒否 教訓に 

高原豪久 53 ユニ・チャーム社長

 

 <台湾全土をまわる>

  •   5年間の銀行勤務を経て、父が経営していた当社に入りました。家業なので必然だと思っていました。

      台湾の子会社にナンバー2として出向したのは、入社4年目のことです。現地企業との合弁会社で当社製品を販売していましたが、業績が悪かった。当時、台湾の年配の方は日本語が話せたので、「日本から来るヤツはゴルフしかしない」とか、「ユニ・チャームが開発した商品のせいで、クレームが寄せられる」など散々文句を聞かされました。

      不信感を払拭するために、1週間かけて台湾全土を自動車と列車で回り、営業拠点や取引先と腹を割って話すことにしました。

      とにかく酒席を設け、杯を交わすのが台湾流の礼儀。昼も夜も宴会続きで最後は何も食べられないほどでした。それでも飲み続け、相手の言葉に耳を傾けました。すると「こいつは一生懸命だ」と思ってくれたのでしょう。社員は徐々に仕事に身を入れてくれ、子会社は1年半で黒字転換しました。

     <社長継いだが>

      社長交代が発表されたのは2001年2月。39歳の新社長に経営がつとまるのかどうか不安視されたのか、株価はみるみる下落し、6月の株主総会の日には、発表時の6割にまで落ち込んでしまいました。

      当時、総会は創業の地の愛媛県で開いていました。当日の朝、生家で父と朝食を一緒にとっていた時のことです。私は総会でのあいさつを考えながら、黙々と箸を動かしていました。

      突然、父が立ち上がり、私を指さして「おまえのせいで株価が下がるんじゃ」とどなりつけるのです。ITバブルが崩壊し、日本の株式市場からはどんどんお金が去っていく状況でした。それなのに、私のせいと決めつけられ、ぶぜんとしました。

      父は自分が作り上げてきた会社が傷ついていく状況に、いてもたってもいられなかったんでしょうね。八つ当たりのような叱責でしたが「経営者になるということは、会社と一体になることなんだな」と、覚悟を決めるきっかけにもなりました。

     <大人用普及に力>

      当社の大人用おむつは、本人だけでなく介護する人の負担を軽減するための製品です。父が脳出血で倒れ、夜にトイレへ行くにも母の助けが必要になった時、製品の使い心地を自ら評価してくれるんじゃないかと期待しました。

      ところが、母から「おむつを嫌がるのよ」と聞かされびっくり。「今までお客さんに勧めてきたじゃないか」と着用をお願いしても、父はぶすっとして返事もしてくれません。誰よりも便利さを理解し、普及の先頭にたってきたはずの父でも、心理的な抵抗があるのかとショックでした。

      この後、大人用おむつの浸透に一層力を入れるようになりました。活用すれば年をとっても旅行や運動を楽しめるということを、繰り返しアピールしています。今では、父もおむつを使ってくれています。(聞き手 中西梓)

     

      《メモ》 1986年成城大経卒、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)を経て1991年ユニ・チャーム入社。4月から全社員を対象に就業時間内の完全禁煙を導入するなど、健康増進に力を入れている。

      ユニ・チャームは、赤ちゃん用おむつや大人用おむつで国内シェア(市場占有率)トップ。インドネシアやタイなどアジア市場への進出にも積極的で、2014年3月期の海外売上高比率は57%に達している。