自分は
どこの宗教を信じる、というのは
ありませんが
神話というのは、
人間臭さを感じるので
幼いころからよく読んでいました。
ギリシャ・ローマ神話がメインでしたが、
聖書の物語や、そのほかの宗教も
興味深いものでした。
その中にあるのは
神様という存在をからめつつ
人間の愛や欲望や嫉妬、などと
いかにして向き合うか、どうあるべきかと
考えさせられるようなテーマでした。
どの文学作品も
そういうテーマが隠されていますね。
神道もそうです。
古事記などもそのようなことが
多く書かれています。
神道のこころを伝える というサイトも
古事記を読み返すことができるので、
最近読ませていただいています。
そこの記事で
イザナキとイザナミの話が出ていました。
国づくりをした男女の神さまです。
小さい頃に話を読んだことが有る人は
おわかりかとおもいますが、
イザナキとイザナミは愛し合い
たくさんのものを産みだしました。
そして、
火の神様を産んだところで
やけどがもとで
イザナミは黄泉の国に行ってしまいます。
イザナキはイザナミに
黄泉の国から戻ってきてほしいといい、
イザナミは
イザナキの願いをかなえようとします。
イザナミは
黄泉の国の神様と相談する間
自分の姿は見ないようにと言います。
でも、イザナキはみてしまいます。
そこには
腐乱したイザナミの姿がありました。
約束を破ったイザナキ。
イザナキはその姿をみて
おそろしくなって
イザナミを捨てるのです。
怒りにくるったイザナミは
イザナキを追いかけますが
イザナキはイザナミを黄泉の国へ
追い返してしまいました。
そして、汚いものにふれてしまった、
と、みそぎをして、
自分一人で神様を産みだします。
アマテラス、ツクヨミ、スサノオです。
すごい神様を産みだしたのだから
それでいいじゃないって思いますか?
イザナミという女性は
現世に帰ってきてほしいという
イザナキの願いを叶えるべく、
黄泉の国のルールを変えてもらおうと
必死で交渉をしていたはずです。
死んでしまったのですから
当然、現世の人から見たら
うじがわいた 醜い姿になっています。
だから、
黄泉の国でのことが決着がつくまでは
イザナキには
そういう姿をみられたくなかった。
決着がつきさえすれば、
元の美しい姿で愛する男性の元に
帰ることができる、
それまではそういう姿はみられたくない。
それなのに、イザナキは
イザナミの今の姿をみて
帰ろうと努力しているところなど見ないで
気持ちがわるい、おそろしい、と
逃げ出してしまいました。
女性は当然怒りますよね。
オルフェウスは
エウリュディケを
黄泉の国から戻すために
自らが努力をしましたが、
イザナキはイザナミに丸投げして
自分は待っているだけでした。
世の中の日本の男女も
そんなかんじです。
男性は女性に
ああしろ、こうしろといいます。
誰も刺激しないように、
おとなしくしてろと言ってみたり、
そちらの問題は
そちらで解決しろといってみたり。
日本の男性は 恋愛とか絡むと
自分ではあんまり問題を解決するために
動いたりしない人が多いかもしれません。
そして、それに応えようと
女性は女性が出来る範囲で頑張るのに
その頑張っている姿が
たとえば、
腐乱している姿を知ってしまって
自分にとっては みたくなかったからと
熱がさめてしまう。
俺はそんなことは頼んでない、
俺のいったことを守ってない、なんて
逃げるのです。
自分が女性に対して言ったことを
忘れてしまって、
自分の都合のいいお願い事だけ
覚えていたりします。
自分がイメージしていた
美しい女性だけしかうけいれられない。
でも、
彼女の内面もみて
愛していたのなら、
たとえ腐乱した姿を見ても
もとに戻れることは
わかるはずですし、
そういう姿さえも
愛することができるはずです。
女性もまた、
男性のお願い事を
こんなに一生懸命やっていたのに、と
彼に対して、そして
彼のまわりにたいして怒りを覚えます。
もう少ししたら、美しい姿で
元のように戻れたはずなのに。
誰が、彼をそそのかして、
自分の必死で頑張っている姿を
悪く見せたのだろう、って。
そして
お互いに自分の主張をいいあい、
反発しあいます。
お互いに愛していればこそです。
一方的な愛ではなく、
双方が深く深く、
愛し合っているから起きることです。
こういう、ボタンの掛け違いのまま
イザナキとイザナミの話は
終わってしまいますが
皆さんは
この話しの続きがあるとしたら、
どうなるとおもいますか。
個人的には、
イザナキが、
冷静にものごとを見つめなおして
イザナミの努力、
イザナミのイザナキを思う気持ちに
気が付いてくれて、
イザナミも
イザナキの心を汲んで
ふたりでより新しく発展的なものを
産みだしていってもらったらいいなと
おもっています。
どこの宗教を信じる、というのは
ありませんが
神話というのは、
人間臭さを感じるので
幼いころからよく読んでいました。
ギリシャ・ローマ神話がメインでしたが、
聖書の物語や、そのほかの宗教も
興味深いものでした。
その中にあるのは
神様という存在をからめつつ
人間の愛や欲望や嫉妬、などと
いかにして向き合うか、どうあるべきかと
考えさせられるようなテーマでした。
どの文学作品も
そういうテーマが隠されていますね。
神道もそうです。
古事記などもそのようなことが
多く書かれています。
神道のこころを伝える というサイトも
古事記を読み返すことができるので、
最近読ませていただいています。
そこの記事で
イザナキとイザナミの話が出ていました。
国づくりをした男女の神さまです。
小さい頃に話を読んだことが有る人は
おわかりかとおもいますが、
イザナキとイザナミは愛し合い
たくさんのものを産みだしました。
そして、
火の神様を産んだところで
やけどがもとで
イザナミは黄泉の国に行ってしまいます。
イザナキはイザナミに
黄泉の国から戻ってきてほしいといい、
イザナミは
イザナキの願いをかなえようとします。
イザナミは
黄泉の国の神様と相談する間
自分の姿は見ないようにと言います。
でも、イザナキはみてしまいます。
そこには
腐乱したイザナミの姿がありました。
約束を破ったイザナキ。
イザナキはその姿をみて
おそろしくなって
イザナミを捨てるのです。
怒りにくるったイザナミは
イザナキを追いかけますが
イザナキはイザナミを黄泉の国へ
追い返してしまいました。
そして、汚いものにふれてしまった、
と、みそぎをして、
自分一人で神様を産みだします。
アマテラス、ツクヨミ、スサノオです。
すごい神様を産みだしたのだから
それでいいじゃないって思いますか?
イザナミという女性は
現世に帰ってきてほしいという
イザナキの願いを叶えるべく、
黄泉の国のルールを変えてもらおうと
必死で交渉をしていたはずです。
死んでしまったのですから
当然、現世の人から見たら
うじがわいた 醜い姿になっています。
だから、
黄泉の国でのことが決着がつくまでは
イザナキには
そういう姿をみられたくなかった。
決着がつきさえすれば、
元の美しい姿で愛する男性の元に
帰ることができる、
それまではそういう姿はみられたくない。
それなのに、イザナキは
イザナミの今の姿をみて
帰ろうと努力しているところなど見ないで
気持ちがわるい、おそろしい、と
逃げ出してしまいました。
女性は当然怒りますよね。
オルフェウスは
エウリュディケを
黄泉の国から戻すために
自らが努力をしましたが、
イザナキはイザナミに丸投げして
自分は待っているだけでした。
世の中の日本の男女も
そんなかんじです。
男性は女性に
ああしろ、こうしろといいます。
誰も刺激しないように、
おとなしくしてろと言ってみたり、
そちらの問題は
そちらで解決しろといってみたり。
日本の男性は 恋愛とか絡むと
自分ではあんまり問題を解決するために
動いたりしない人が多いかもしれません。
そして、それに応えようと
女性は女性が出来る範囲で頑張るのに
その頑張っている姿が
たとえば、
腐乱している姿を知ってしまって
自分にとっては みたくなかったからと
熱がさめてしまう。
俺はそんなことは頼んでない、
俺のいったことを守ってない、なんて
逃げるのです。
自分が女性に対して言ったことを
忘れてしまって、
自分の都合のいいお願い事だけ
覚えていたりします。
自分がイメージしていた
美しい女性だけしかうけいれられない。
でも、
彼女の内面もみて
愛していたのなら、
たとえ腐乱した姿を見ても
もとに戻れることは
わかるはずですし、
そういう姿さえも
愛することができるはずです。
女性もまた、
男性のお願い事を
こんなに一生懸命やっていたのに、と
彼に対して、そして
彼のまわりにたいして怒りを覚えます。
もう少ししたら、美しい姿で
元のように戻れたはずなのに。
誰が、彼をそそのかして、
自分の必死で頑張っている姿を
悪く見せたのだろう、って。
そして
お互いに自分の主張をいいあい、
反発しあいます。
お互いに愛していればこそです。
一方的な愛ではなく、
双方が深く深く、
愛し合っているから起きることです。
こういう、ボタンの掛け違いのまま
イザナキとイザナミの話は
終わってしまいますが
皆さんは
この話しの続きがあるとしたら、
どうなるとおもいますか。
個人的には、
イザナキが、
冷静にものごとを見つめなおして
イザナミの努力、
イザナミのイザナキを思う気持ちに
気が付いてくれて、
イザナミも
イザナキの心を汲んで
ふたりでより新しく発展的なものを
産みだしていってもらったらいいなと
おもっています。