看板ベンチャー社長のブログ

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サイベイトミッション(企業の目的・意義・使命)
「全従業員が幸福で調和し、取引パートナー、顧客に感謝される存在であり、人類、社会の調和に貢献する事」

純粋に力強く。

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3ヶ月ほど前から、東北ツアー

(震災を機に東北に移り住み、色んな活動をしている変態(笑)に会いに行く。)

 

を、はじめています。

 

「組織における幸福の最大化」

 

が、経営者としての一番重要な役割だと考えている僕は、一昨年から従来型のヒエラルキー組織ではこれからの経営環境に適応できないという意識を強くし、分離、分断、部分最適の意識から自他一体、全体意識、コネクティング、繋がりへの意識変革を軸にした経営スタイルへの変更に挑戦しています。

 

流行りの組織文脈で表現をすれば

ヒエラルキー組織からホラクラシー組織(ボトムアップ)です。

 

東北ツアーをはじめたきっかけは、新しい組織運営における変革のボトルネックが社長だ!(笑)と感じはじめたタイミングで、

 

震災を機にボランティアで被災地に入るという、全体意識行動をとった人達との交流で組織について学ばせていただけることや、多少お役に立てることはないものか?

 

といった動機でした。

 

現時点で感じたことを書き留めておこうと書いています。

 

結論やっぱり「意識改革」

 

様々な課題は小さなものから大きなものまで、人と自分を区別する分断意識から成り立っている感覚が強くなりました。

きっと戦後の日本、高度経済成長の日本人は、日本の復活という共通の全体意識を持った上で個人個人が自分の果たすべき役割を志として果たしていたのだろうと思います。

被災地の共通の目標を持って協力して生きる姿には感動と活力があります。

 

そして、逆説的に、一定量豊かになった人々が、変化を恐れ既得権益にしがみつきたくなる思考パターンは、悪気なくあまりにも自然にコミュニティに住みつき、悪気ないなかで、新しいチャレンジを潰し、コミュニティに停滞と諦めを作り上げる構造もまた明確に存在していることを感じました。

 

会社というコミュニティにおいても、時流に沿ったビジネスモデルの成功で、一定の安定を得ることで、組織に悪気なく変化への抵抗や成功経験への固執が起きることと似ています。そしてそれは結局、組織の衰退と守りたかった個の幸福を奪っていきます。

 

あまりにも自然に巣くう人間のそういった感情を抑え、常にチャレンジし続けるにはどうしたら良いのか?

 

女川町では、30年後の孫がいかに幸せに暮らせる町にするか?その時に孫にかっこいいと思って貰えるか?というコンセプトが自然に語られていました。時間を超えた全体意識、そのために今何をするのか?

 

「組織における幸福の最大化」

 

というテーマで考えた時、計れない幸福がそこに存在していることが一番の収穫です。

世の中にはたくさんの課題があります。

 

貧困、格差がその代表的なものです。

 

世界の人口の半分の貧困者と同額の資産と世界のトップ資産家8人の資産は同額だそうです。

8人の人たち。。。解決しないの?課題。。。

ビルゲイツが声かけてくれていて、解決するらしいよね。近いうちに貧困は。

 

資産家8人の意識、貧困を作っている世界の人たちの意識

これって、他人事なのか?

 

1974年~4年間で、カンボジアでポルポトが900万人の国民の3分の1を殺した。

今も世界中で戦争したり、なんか色々やってる。権力持った人たちが。

人間恐ろしい。これって他人事なのか?

 

経営者が自分のスタンスで他の人を否定する事と何が違うのか?

 

ポルポトが300万人ひとりひとり殺したわけじゃない。

 

みんな、権力に盲目になって自己正当化していう事聞いただけ。

 

これって、社員が「現実はしょうがないんだよ」って言いながら、自分の魂の叫びを裏切りながら日常の仕事をしている事と、そんなに違うのか?

 

全ての社会課題は、自分の心の中にあるんじゃないか?

 

そこを無視して、人のせいにしたり、ごまかして、できる範囲の良い事をして社会課題を解決するんだって言っても、なんか、それって8人の人がやってそうな事なんじゃないか?

 

1人1人の意識で世界はできていて、僕の中心は僕の意識。

 

僕の意識を僕は制御できているか?

 

僕の会社ではできているか?

関わって頂いた皆
一年間本当にありがとうございました。

震災からもう4年

保証されていない今日という毎日を愛おしみながら生きなくてはいけないと思いながら、まだまだ日々を惰性で生きていたり、

あらゆる自分のエゴの存在に気付いてすらいないで、分かったような事を言ってみたり、

まだまだ伸びしろたっぷりの自分ですが、皆さんのおかげで、感謝に溢れる日々でした。

今年のテーマは燃える闘魂、アントニオ猪木!
元気デスカー!
ここ数年も素晴らしい経験と成長の年でしたが、今年は会社が大変なクォンタムリープを起こしそうな気がしてます。

よくわかりませんが(笑)今年もよろしくお願い致します。
昨日会社の全社飲み会でみんなの決意を聞いていて

「もっと純粋になる!」と飛び入りで決意表明をしました。

その後のフィードバックの感じで伝わってない感じがしたので(笑)
こみ上げてきた「純粋さ」について書こうと思います。


「純粋さ」は言い換えれば「良くしたい純粋さ」だと思っています。
家族でも、会社でも、世の中でも、人間関係でも。

僕の場合は会社や世の中を良くしたいという「純粋さ」が足りない!
って感じて発表しました。

会社をゼロから立ち上げた時は、ただただ、純粋に成し遂げようと思ったことに取り組んでいました。

3年間給料ゼロで家族に迷惑をかけ、各種保険の支払いを滞納し、偉そうな人たちに馬鹿にされ、それでもそんな事には目もくれず「純粋」にがんばっていたと思います。

それが時を経て、会社が一定の規模と仕組みが出来上がると。

取材して頂いたり、講演の依頼を頂いたり、受賞をしたりさらに売上をとか、業界NO1とか、上場は?とか経営指標が、とか個人資産が、投資効果、とか

そんな話が多くなり、そういう事を気にしないタイプだと自認しているつもりの自分でも、少しずつそういうものに囚われている事を感じるのです。

いや、囚われている!(笑)

僕は自分の命を使って世の中を良くしたいのです。

まわりに評価されるような会社を作ってすごいですねーとか言われたいんじゃないのです!

少し利己的な言い方を言わせてもらうなら、社会の中で自分の役割、生きた証を残したい。(あーやっぱり、こう考えるともう純粋じゃなくなってくる)

だから良い会社を作りたい。良い会社は
「全従業員が幸福で、関わる人たちも幸せで、社会も幸せにできる会社!」

起業した時より断然良いことを思っていると思います。そしてあらゆる力もついてきたと思います。だから、成し遂げられないわけがないと思っています。

純粋さを維持できれば。


純粋さは力だと思うのです。強さだと思うのです。


古代インドのサンスクリット語で

「偉大な人物の行動の成功は、その行動の手段によるよりも、その人の心の純粋さによる」

という言葉があると稲盛塾長に教わりました。

今、組織においても、事業においても純粋に良くしたいと思えています。
くだらない私心をそぎ落として、より純粋に、


組織をよくしたい。

社会をよくしたい。


という思いに忠実に生きていこうと決意しました。
みんなの純粋な発言に触発されてそう強く思ったので発表しました。ありがとう。

失敗するかもしれないとか、損するかもしれないとか、外部にどう思われるかとか、そんなことはどうでもいい!

良くするために全力で。良くしたいという思いだけを胸に。良くするために成長。

そんな人強いに決まってると僕は思うのです。
会社が生き残る確率は10年で3%さらに10年で3%という。

3%の確立を生き延びた人なのに、またもやそこから3%。
最初の10年と、それ以降には抜本的な違いがあるのだと思う。

最初の10年の起業家としての適性はなんとなくわかる。
まずはベースでいい人。そして強い信念。あきらめない気持ち。
そんな感じかなと思う。

では次の10年はなんなのか?10年なのかどうかはわからないけど、
次なる成長にとって、「既得権」ってのが大きなキーワードだと思う。

一定の成功をおさめる起業家には上記の共通点をあわせもつ以外は様々
な特徴的なタイプが存在する。幹部構成も含めて、文化とも言うべき
独自性がある。これはたいてい社長のパーソナリティに偏る。

少し視点を変えて。

起業が継続して成功する大きなポイントにイノベーションがあると思う。
継続して発展を続けるにはイノベーションが不可欠だ。

イノベーションは自分の価値観が、違う価値観が出会ったときに生まれる
のではないかと思う。

即ち一定の成功までは、頑固ともとれるようなこだわりが必要だが、
次の10年を考えるには違う価値観を受容する事が求められる。
すなわち、頑固と柔軟性という両極面を併せ持つ事を要求される。

これが即ち10年3%という驚くべき確率を生き残った起業家が同様にその後
3%を問われる理由であって、、

簡潔に言うなら謙虚さを忘れないこと、即ち自分の成功体験という既得権に
しがみつかないことではないかと思う。

そしてそれは、起業家だけではないと思う。

あらゆる立場の人間が、1回目の成功の次に「継続発展」という次元に
進むために求められるのが、「自分は何者かである。」という
本人も気づかない既得権益からの脱却がポイントになるのではないかと
思うのです。

既得権益ってなにも利権のようなものだけではなくて、まわりの人からの
一定の尊敬とか、ポジションとか、発言力とか。
自分がそういうものに縛られていないか