ぜんぜんブログの更新をしていない。
ヨーロッパで生まれ、高校卒業までヨーロッパで育った息子が一般受験で日本の国公立医大に合格するまでの家庭学習を紹介するつもりではじめのですが、、、、
去年の夏あたりからトランペットの練習に時間を使うようになり、ブログの更新は疎かに。
トランペットの方は、この秋の妻の誕生日に「HappyBirthday」を演奏して一段落。
その後、知り合って25年経ってやっと本気で日本語を勉強し始めた妻のために、日本語学習のアプリ制作を開始。他にも日仏家庭の友人からのリクエストもあったので、ちょっと本気で制作中。
完成したら、ここでも紹介させていただきます。
さて、本題
私は子どもたちが幼い時から高校卒業まで、いつも横にいて生活や勉強に関してかなり面倒を見てきたと思う。正直、鬱陶しいぐらい。もちろん、口だけでなく、身の回りの世話や勉強の手伝いのために、自分の時間をほぼ全てを費やしてた。
そんな感じで世話を焼きながら、頭のどこかで
「親は無くとも子は育つ」
「子どもは一人で育つ」
などとよく言われている事が常に気になっていた。
実際、私は自分の親から「勉強しろ」と言われたことは一度もない。
確かに、現在でも自分の将来をシッカリと見据えて、一人でコツコツと努力している子どもはいる。
でも、ほとんどの子どもは、そうは見えない。
「子どもは一人で育」たない、と思う。
なにが「親は無くとも子は育つ」の時代と違うのか、ちょっと考えてみた。
「親は無くとも子は育つ」の時代は、戦争などで親をなくした子どもが沢山いたので、現代の事情とはもちろん違うと思う。でも、五十路の私達の時代でも、一部の「お受験」を頑張る家庭はあったものの、ほとんどの学生は、親の意向よりも、自分で決めていたと思う。
極端な言い方をすると、昔の子どもはもっと自主性があったと思うが、今の子どもたちは放って置くと何もしない。(←極端な言い方です)
で、私の個人的な結論は
昔の子どもは、子どもでいることが嫌だった。はやく大人になりたかった。
一方、現代の子どもたちは、子どもでいることがとても楽しいので、大人になる準備なんてしたくない。
です。
もちろん原因はスマホやインターネットの出現です。ドーパミン中毒に陥り、一過性の「楽しい毎日」を享受できます。先進諸国では、見かけの平和は保たれているので、生活を脅かされる心配もない。
毎日、誰かが作ってくれたご飯を食べて、決められた時間に学校にいって、決められた課題をこなして、のこりの時間はスマホでドーパミン大放出。もちろん、学校の宿題も課題も、それを無難に終わらせることが目的で、内容を正しく理解しようとはしない。「内容を深く理解」しようとする子どもは、それをすることによって一つの成功体験ができ、等しくドーパミンも出る。だから、それを繰り返す。でも、スマホを使って数分でドーパミンを出せる子どもは、いちいちそんな邪魔くさいことはしない。
私は、自分の子どもたちに対して、ネットアクセスの制限をしたり、学校の課題もしっかり理解することを求めた。逆に言うと、しっかり理解できているなら、学校の成績が悪くても良くても全く気にしなかった。
こんなエピソードがある。
子供たちが友人に話していた会話:
娘「うちでは、学校で悪い成績をとっても、親は全然気にしない」
息子「その代わり、いい点数をとっても「ふ~ん」ぐらいしか反応ない」
「学校では、理解していなくても良い点数を取る方法はある。それも社会で必要なスキルになると思うけど、それだけではダメ。中身のない人間になるから。」と説明していた記憶がある。
話は逸れたが、要は私が子供たちを放って置かなかったのは、こんなことを頭の片隅で考えていたからでしょう。
ちょっと引用。
A happy childhood is poor preparation for life
- Kinky Friedman
たぶん、Sidonie-Gabrielle Coletteの"A happy childhood is poor preparation for human contacts."からの派生だと思う。てっきり、ヘミングウェイだと思ってましたが。
もちろんここの「Happy」は「幸せ」ではなく「楽な」です。
子どもにとって「幸せ」は重要です。でも、「楽」と「幸せ」は違います。
“One of the luckiest things that can happen to you in life is to have a happy childhood.”
- Agatha Christie
