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サインデザインの研究日誌

サイン、オリジナルサイン、オリジナルデザインの
サインを研究する日記です!

こんにちは。

今回はそもそも日本がはんこ社会になったのは?についてお話し致します。

はんこ社会になったのは、明治時代になってからなのです。


1871年、太政官布告で、あらかじめ庄屋や年寄りなどに印鑑を届け出て「印鑑帳」を作成し、いつでも印鑑を照合、確認できるようにしなければならなくなりました。

1873年の太政官布告で「証書の類に爪印・花押などを用いる事を禁じ、実印のない証書は法律上、証拠にならない」と定めサインよりもはんこを重視するようになりました。
それ以降、土地取引や商業取引には、はんこが必要となりました。



1877年の布告では「証書に中に本人が自著し、かつ実印を押すことが必要」となります。
サインも併用されたと考えればいいです。
実印は偽造や盗用の弊害があり、サインに切り替えた方がいいが、庶民はまだサインに慣れていないので、はんこを併用するのがいいという方向に考え方が微調整されました。
既にこの時代から偽造や盗用の弊害を指摘しているのです。
その後、条約改正や商法典の改正などに際してサインに切り替えようという動きもあったのですが…。

1899年の「商法中署名スヘキ場合ニ関スル法律」の「自書することの能ワザル場合ニハ、記名捺印ヲ以テ之ニ代フルコトヲ得」という法律がはんこ社会を決定付けました。

「自書することの能ワザル場合ニハ・・・」とあるように自署が最も相応しいとしながらもこれに変わる方法として捺印が認められるようになったものであります。
たった2行の法律はいまでも生きているのです。

この法案は衆院議員、木村格之輔による議員立法であったが当時の明治政府はこの法案にまっこうから反対したといいます。
識字率の低かった100年以上も前の、しかも代替案として法制化されたものが、現代社会の実情を無視するかのように今も尚、唯一の認証手段として定着し、頑なに運用されているのです。

では「自書することの能ワザル場合ニハ・・・」の「能ワザル」が何故、生じているのかは、自分の名前さえ書くことのできなかった識字率の低さに加え、漢字の持つ多画数から生じる難しさや煩雑さ、 更に筆記用具(当時は墨と毛筆)がどこにでも置いてあるような時代では無かったことに起因した不便さ故であろうと思います。
印鑑の持つ一番の課題は、容易に複製が可能なことから生じる本人による確かな認証であるかどうかです。

目視による見分けの付かない精巧な偽造印も可能な認証は余りにも疑問が多いです。
このことは大きな社会問題とはなっていないが、印鑑による認証の真偽を争う訴訟件数が膨大な数にのぼる事実に加え、本人が知らない間に無断で押印され たことを証明するのはほぼ不可能に近く、このことを悪用した銀行が相当数に及ぶことをご存じ無い方が大多数である。

鎖国したままでも国の存立繁栄がもたらされた時代ならともかく、情報化された今の社会で世界的な潮流を無視してでも守るべきものとは何なのだろうか?