大江山鬼退治 渡辺 綱のお話し1

大江山鬼退治 渡辺 綱のお話し1

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前回 大江山のお話1で 国道9号線沿いの看板に書かれた 百人一首のお話をしましたが 今回はその

続きです。


この歌は 作者の小式部 内侍(こしきぶのないし) が母親である 和泉の式部 を丹後の天橋立を訪ねた時 この福知山市の生野地区で読んだと言われています。


それで福知山市のロータリークラブがこの生野地区に歌の看板を建て 観光に一役かってもらおうと

たくらんだ訳です。


でも 調べた結果 それは違うことが分かりました。

では どう違うのか?  それは お話3でご紹介します。お楽しみに!


参考

・歌は「大江山 行く野の道の遠ければ まだ ふみ も見ず 天の橋立」で 小倉百人一首の60番目の作品です。ちなみに天智天皇が1番で和泉式部が56番目、紫式部は57番目です。

・作者の小式部内侍(こしきぶのないし)は 和泉式部の娘で 999年生まれで25歳で亡くなりました。

 式部は宮家に仕える役職名で 小 は若いから付いたとか 母親と区別するため付いたとか言われています。今でも宮家には式部官という役職の人がいます。内侍は今で言うと 女官です。

・和泉式部は当時 丹後の守と再婚して丹後に住んでいました。ちなみに子式部内侍は 1回目の主人  の和泉守の子供です。

・福知山市のロータリークラブも市の観光課から頼まれ よく理解せず 金を出して建てたと思われます。