sigesugasonのブログ

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無職、わずかな年金で生活します。社会のため、自分のため、と働きにでる高齢者が多いですが、ロビンソンクルーソーのように、自立した老後活動をめざします。

 5月11日、青森県在住の青年に宛てて書いた手紙

 

 

 

備考
(1)原文は、万年筆による手書きのものですが、スマホのアプリ、キープメモによって活字に変換させております。その技術の進歩に驚きます
(2)以下の動画で、読み上げもしております。下手くそな音読ですがよろしければどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=YHlMRiv_gnQ

【郷土力士の勝敗を我が事のように一喜一憂】
相撲については、世間の皆様が熱狂するほど、私も興味が湧かないのですが、秋田県に居た頃(一九七三年三月までは、郷士出身の清国(きよくに)関が登場すると、テレビの前に村の誰もが集まって、真剣なまなざしで応援したものでした。勝負の結果に我が事のごとく一喜一憂しました。そんな大人たちの反応は、傍らにいる我々子供たちにも伝わってきました。
今では、松戸市のあちこちに琴櫻(旧・琴の若)のポスターが貼り付けられて、市民のみならず、県民にも力士の存在が知られるようになりました。

【机に向かう習慣は高三の受験時代に身についた】
高三の頃、ラジオ講座というのがあって予備校講師による問題解説が深夜に放送されたのですが、その中で数学の先生がおっしゃったのです。
「勉強して必死に覚えた事も歳月が流れると大半は忘れてしまうものだが、机に向って長い時間がんばって座っていられたという習慣は、体のどこかに潜んで生きているものだ。それだけでも大変得がたいものだ。」と。
 それはまさにその通りでした。年金生活になって、仕事をやらずに済むようになって、毎日、図書館に通い、机に向かって有意義な時間を過ごす事を心がけております。この生活習慣は、高三、中三の受験勉強において形成されたのです。
 老後に限らず、失業か何かで余暇が生まると、図書館に通ってそこで毎日を過ごすという生活でした。

 【これまでに書いた事のない体験を文章にしてみるのも醍醐味の一つ】
 頭の中に浮かんで来る種々な情景の中で、これまで一度も描いたことの無かったことを書いてみるというのも、文章を書くことの面白さの一つです。その一部を、石川県のある方に思い切って手紙にして送ってみた事がありました。案の定、大変おどろかれてしまいました。そして返信も来なくなってしまいました。それからは、奇抜と思われる事は、他人様に書いて見せるというようなことは止しております。

【雑文のデジタル化に取り組んでいる】
 息子が27歳になります。先の琴櫻関とは幼稚園が同じでした。その息子が、私の亡くなった時点にて、厖大ともいえる手帳の数々をことごとく廃棄すると宣言しています。私は決して文章が上手ではないのですが、その中には、他人様のお役に立てるような情報もないとは言えないと思っています。そこで、過去のノートのデジタル化にも取り組んでいます。面白いと思ったのは、ユーチューブなどに、少しずつ投稿して公開していこうとも考えております。

【手本としている文章】
自己流に書いているわけではなく、手本にしている文章はあります。森鴎外「青年」のはじめの十ページあたりなどは、すばらしいと思い、繰り返し読んでおりまう。夏目漱石もそうです。わかりやすく書くのが一番です。志賀直哉の短編のように、身近な所に素材を求めて書く姿勢も良いのだと考えております。