9月はじめに、父が他界しました。
心臓も腎臓もギリギリで、もってあと半年くらい……と宣告されてからかれこれ3年近く経っていました。
私は、義父から始まり義母、実母と介護に全力を注いできました。
義父に関しては身も心も尽き果てるのも気付かずに、医療的な部分も含め栄養の管理、心のケア、なりふり構わず5年以上尽くしました。
並行して義母も難病が発覚し、義母の介護もしていました。
義父の介護当初は午前パートを終えてすぐに義父の元に行く生活でしたが、何年かしてパートも辞めて介護に専念。
義父が他界してから半年後にフルタイムの仕事を始めたのもつかの間、実母の末期ガン発覚で本当に心休まる事も無く走り続けてきました。
でも、それが私の天命だから辛いとか考える事も一切無く……
でも、3人看取ってきて私も歳をとってきている事や、半月板損傷で仕事も辞めて体力も無くなって、なんだか急に全て気力が抜けてしまい
無気力症状態💦
多分燃え尽きたんだと思います。
父の介護に関しては、引越しをして実家から少し離れてしまい自転車の距離では無く車の免許も無い。
実家には末の妹が同居しているし、もう1人の妹は車で来れる。
日中だけのお世話役は出来るけれど、実家のワンコの散歩もしなくちゃで、膝を傷めている私にはそれが大変なのです。
もちろん、朝晩や夜中も物音に敏感でなくてはならない妹は大変なわけで💦
でも、泊まりがけでその役目をするには心療内科通いで眠剤を飲む私には早寝早起きはもちろん、薬で眠ってしまうと余程の地震じゃないと起きないくらいなので、父が転んでも気付けない約立たずなわけです。
だから、私はほとんど役に立てなくて(՞. ̫ .՞)
情けなかったです。
亡くなる前危篤で病院に運ばれて、病院に泊まった際、眠剤を飲んでいないから当然眠くならずに明け方近くになんだか気分が悪くなりかけて慌てて横になりほんの少しウトウトしました。
酸素マスクで、常に呼吸が乱れていて痰が絡んでゼロゼロしている父を見つめていると
私まで呼吸を合わせてしまっていて無呼吸が長かったりするので、酸欠になり
昼になる頃には、なんというか…ワラワラする気持ち?ここから離れないと!
と、妹達に「ちょっと家帰ってすぐに戻るね」と、
父の状態も悪いのに、ワンコ1人だから様子見ないと💦とか意味不明で無理やりな理由で
一旦帰宅_:( _ ́ω`):_
帰宅するなり急に尿意もよおしてトイレに駆け込むもさほど出ず……でも、トイレから離れると漏れそう漏れそう💦とまたトイレに…出ないんだけど
漏れそうに感じる

とにかく、安定剤やら薬をワサワサとバッグに入れて病院にバタバタ戻る。
父は変わらず呼吸が苦しげで、見ていたら私も酸欠になっているのを周りが異変に気付いて
「大丈夫なの?」と、聞かれた時には
「だいじょばない、多分過呼吸かも」と
急いで安定剤をいつもより少し多めに飲んでみた。
兄妹に「姉さんはオジーさんの顔見ない見ない!」と

ただただ手を握っていました。
もう、峠を何度も超えてるすごい生命力の父

付き添う方が先に逝きそうだから〜「そろそろもう頑張らなくていいよ」と、妹達も声をかけ、
私達、もうそろそろダメだね…というタイミングで「頑張ったね、ありがとうねおばあちゃんが待ってるからね」と、何度いよいよの声がけした事か…
姉妹で泊まり込んだ日も峠だった、朝方が危ないのかもね、といいつつももはや毎分30の呼吸になって何度アラームがなる事か、何度アラームの数値設定を下げても、呼吸が復活する凄まじい生命力
皆、もはや「もうさ、十分看取った看取った!」
末の妹と兄だけ残るから
帰って身体休めた方がいい!
と言われやっと自宅のベッドで眠剤飲んで爆睡。
早朝、連絡が来て「亡くなったよ」と。
そのままの格好で病院に……
誰も泣かなかった。
みんな疲れ果てていたから
お別れの言葉お礼の言葉労いの言葉をかけ尽くしていたから
かな
家族葬をして、一昨日49日法要で母の遺骨もやっと一緒に納骨されました。
父が、俺と一緒に納骨にしてくれ!と言ってきかなかったから……
長いこと実家にいた母の遺骨。
今頃天国で母を追っかけてるかも
