歴史を登る

                  ~菅江真澄とみちのくの山~ 「旅の始まり」 

 

「菅江真澄」の名前を再度目にしたのは「杣温泉」(そま温泉)であった。秋の紅葉を楽しむために秋田県の「森吉山」登山に出掛けた時であった。「様田コース」を使って森吉山を目指すため、宿泊を国民宿舎「森吉山荘」に予約しておいた。宿舎への到着が予定より早かったため、宿舎手前で目にした「杣温泉」へ日帰り湯に行く事にした。温泉は国道から車で数分入った場所に位置し、山裾を流れる清流沿いにあった。重厚で年季の入った木造りの旅館は、自然林の美しさとせせらぎの音に包まれ、「秘湯」の雰囲気を十分に醸し出していた。車を降り、橋を渡ろうとした時である。橋のたもとの「菅江真澄の地」と書かれた白木の標識に驚かされた。期待を裏切らない味わい深い木造の浴室で熱めの温泉に浸り、「真澄はなぜ、どのようにしてこの地を訪れたか。」頭がのぼせるほどの長湯をさせられた。真澄との驚きの再会であった。

 「遊歴文人」(柳田國男が与えた称号)、最近では「民俗学の祖」ともいわれる菅江真澄との最初の出会いは学生時代、文化人類学の講義の中であった。講義の中のわずかな時間での出会いであって、宗祇や西行、そして芭蕉以外に、東北、北海道地方を遊歴し、市井の人々の生活風景(風俗や習慣、器具など)を文章だけでなく絵図で書き残し、近代民俗学に多少なりとも影響を与えた人物が存在した事を知っただけで、特にそれ以上の興味も沸かず、論文のテーマにすることなど全く考えなかった。ただ、町や村をめぐり日記や詩歌を残すだけでなく、多くの山々にも興味を持ち登山していた点が強く印象に残ったのは事実である。

 その程度の出会いにも拘わらず、「杣温泉」での再会がきっかけとなって、今更ながら「真澄」への興味を高めたのである。深田久弥が提唱した100名山などに出てくる魅力ある高山への挑戦には既に限界を迎え、今後も楽しく登山を楽しむためにどのような登山がいいのか悩んでいるタイミングでの出会いが菅江真澄であったのである。花をめでる登山、三角点を訪れる登山など様々な登山の在り方がある中で、一人陸奥を遊歴し東北の山々を訪れた真澄の足跡を追う歴史を辿る、言い換えれば「歴史を登る」というテーマによる自分だけの新しい線路を見つけたというのが実感である。真澄の登山の主な目的は、薬草の採取、鉱山見学、神社仏閣への参拝で幣を奉納することだった。人生の半ばから後半生をかけ、生地「三河(岡崎)」を離れ北海道まで出かけた学究魂と、山々へのロマンを持ち続けた「遊歴文人」の足跡に直接触れるための山行意欲なのである。「真澄が訪れたみちのくの地、山々を歩いてみたい、登ってみたい」である。そこで、まずは書籍を頼りに真澄の辿ったみちのくの地(山々)を明らかにする作業を始めた。(詳細は最後に参考資料として掲載する)