拝啓 寒冷の候、ますますご活躍のことと存じます。

加藤シゲアキ様、アイドルとしてだけではなく、作家として、俳優として、様々なお顔を拝見できますこと、大変有難く思っております。

 


さて、本日はお祝いを述べたく、筆を取らせて頂きました。

ただ作家における加藤シゲアキ様への思いを綴ろうとすると、とてもじゃありませんが言葉にできません。

そこで今回はこのように、手紙という形を取らせて頂きました。

前置きが長くなりましたが、加藤シゲアキ様、作家10周年を迎えられたこと、誠におめでとうございます。

心よりお祝いの言葉を述べさせて頂くと共に、深い感謝の念でいっぱいです。

 




この感謝の気持ちをどう伝えたらいいか、まるで終着地点は見えておりませんが、思うがままに綴らせて頂きたいと思います。

また僭越ながらここからは、普段呼ばせて頂いている「シゲ」と、失礼ながら呼ばせて頂きますことお許しください。

 

 

 

この想いを伝える為には、まず私とシゲとの出会いから始めなければなりません。

シゲとの出会いは、今思い出しても数奇な巡り合わせだったと感じているのですが、それも全て必然で、運命だったんだと思っております。

きっかけは、後輩に勧められたスマホゲームの『NEWSに恋して』。

その時の私は恥ずかしながら、NEWSのメンバー全員の顔がわからず、名前は聞いたことがあるが怪しいレベル。そもそもジャニーズとは、縁遠い生活をしておりました。


ゲームを始めたきっかけは、ただ「キュンキュンしたい」という安易な気持ちだけ。

正直やり始めた当初は、アイドルを好きになるなんて微塵も思ってはいませんでした。

ですが私は見事に、恋に落ちたのです。

このアプリでシゲへ恋に落ちた過程は省きますが、私は最初二次元の加藤シゲアキを好きになりました。




(今もまだ、会いに行く扉はそのままで)



ただこの時まだ私は気づいておりませんでした。

このゲームを体感した方ならわかるでしょう。『NEWSに恋して』は神ゲームだと思っており、今でも復活を願っておりますが、唯一難をあげるとしたら、彼らの美しさまでは再現出来ていませんでした。(ただそれは画素数的な問題もあり致し方ないことです)

私は加藤シゲアキの顔面偏差値の高さをまるで知らない状態で、シゲ自身の性格をトレースしていると言っても過言ではない、あの拗らせにまんまと落ちてしまったのです。

だって突然トランクから魚を出して鷲掴みにしたかと思えば、それをあげると差し出してくるんですよ?そんなの心まで鷲掴みにされるに決まっています。(既にこの時恋心が芽生えていたのでしょうね)

ここ最近の拗らせ出来事といえば、シゲのラジオでしょうか。確実に人見知りなのに「自分は人見知りではない」と、シゲぴは言い切っておりました。

そんな所も、愛おしくて仕方ありません。

 


少々話は逸れましたが…。

それから本当に、加藤シゲアキの沼に入るまでは一か月もかかりませんでした。

このアプリを勧めた後輩が、ジャニーズ好きというのも、私が沼に入ることになった大きな要因です。その後輩は他G担だったのですが、NEWS担の友達から布教グッズを借り受け、私に貸してくれたのです。

その布教グッズは、『NEVERLAND』の円盤と『ピンクとグレー』でした。





前者についてはいわずもがな、ここで綴る必要性すらありませんが、二次元で静止画の加藤シゲアキしか知らない私にとって、歌って踊る三次元の加藤シゲアキが正に青天の霹靂だったことは、容易に想像がつくでしょう。

ただ特記するならば、『あやめ』で沼に堕ちた。それに尽きます。

他の曲目でどれだけかっこよく、美しく、可愛いシゲアキを拝めたとしても、もし最初に知ったのが『あやめ』でなければ、私はここまで好きにはなっていなかったかもしれません。

あの神々しいまでに美しく洗練された『あやめ』。

それをシゲが自ら作詞作曲、演出したと知ったとき、私は「ようやく出会えた」と思いました。

言葉は悪いですが、正直ただの美形やただのイケメンには興味がありません。自分の全てを捧げてまで「知りたい」とは思えません。

でもシゲは違いました。私の恋心だけではなく、知的好奇心すらも大いに揺さぶってきたのです。




 

こうして加藤シゲアキというアイドルを知り始めた私は、とうとう『ピンクとグレー』の扉を開きました。

本好きとは言えないまでも、元々小説を読むのは大好きだったので、読むにあたって抵抗は何もありませんでした。

そして私は、『あやめ』以上の衝撃を受けるのです。

あらすじも何も調べない状態での初見だったので、ラストに衝撃を受けたことももちろんあります。

しかしそれ以上に、果たして今までこれほどまで心に響く小説に出会ったことがあっただろうか、という驚きと感動です。

シゲがよく口にする『キャッチ―・イン・ザ・ライ』。私にとってのそれは『ピンクとグレー』でした。

 




あの読み終わった直後の気持ちは、今でも鮮明に思い出すことができます。

東京出張帰りの、夜遅いバスの中。外は雪混じりの雨。

読み終わると涙を流していて、しばらくは放心したように窓の外を眺めていました。

でもその瞳に映るのは、薄暗い街並みでも、夜道を照らす街頭でもなく、ラストシーンのようにスポットライトに照らされた、眩しい程の光の中にいる加藤シゲアキでした。

そのシゲから感じたのは、悲しみ、もどかしさ、痛み、怒り…そして弱さ。

でもそれと同じぐらい、圧倒的で激しい強さ。

 

 

『やらないなんてない』

 

 

この言葉に突き動かされるように、私の感情が爆発し、同時に自分に対して激しく嘆きました。

なんて中途半端に生きているんだろう。

なんて堕落した道を歩んでいるんだろう。

こんな自分に本当に満足しているのか?

そんな人生で本当にいいのか?

今の自分は…一体何をやっているんだ?

 

心の整理がつかず、しばらくただ涙を流しながら、私は自分を変えたいと強く思いました。

大したことができるわけでもないし、何の能力も才能もない。

でも、自分がやりたいことをやろう。そう、強く思ったんです。

『やらないなんてない』。

やる前から諦めて後悔するぐらいなら、やればいい。その単純な事さえ、出来なくなっていた自分に気付きました。


このブログを始める決心をしたのも、きっかけはそれです。

稚拙ながら小説を書いたり、文章を書いたりするのが好きなのに、仕事で活かせるわけでもない。

ただひたすらに”書きたい”という欲だけがあったのに、社会人になってからは何も出来ていませんでした。

じゃあ、やるとしたら好きなことから。

『ピンクとグレー』に背中を押され、私はブログを始めたのです。

たかがブログ…と思われるかもしれませんが、日記が3日坊主で終わってしまう私が、ここまで長く続けられていることは自分にとっては快挙です。

またブログという場所が自分にとってすごく大切な場所になっていると考えると、あの時勇気を出して始めてよかったと心から思います。



そういえば初めて書いた記事は『傘をもたない蟻たちは』のことでした。

文庫本が発売されたと知り、すぐに本屋さんへ行ったんです。

『ピンクとグレー』の次に読んだのがこの短編集。



「生」と「死」をテーマにしたという、ジャンルの幅広さ、あっと驚くストーリー展開。

シゲの多様性が凝縮されたようなこの本で、加藤シゲアキにより惹かれていきました。

それからすぐに加藤シゲアキの著書を全て集め、読み終わる頃には作家加藤シゲアキの大ファンとなっておりました。

もちろんその時にはNEWS自体も好きになっておりましたが、私が初めて購入したNEWS関連のものは、この『傘をもたない蟻たちは』だったんだなぁと、こうして書いていて気づきました。



果たして、あの頃と自分と今の自分、成長できたかはどうかわかりませんが、ただ1つだけ確実に言えることは、あの頃の自分より、今の自分の方がずっと好きです。

加藤シゲアキを好きな事を誇りに思っているので、そのシゲを好きな自分も、前よりずっと好きになれたんです。

それに「シゲが頑張ってるんだから自分も頑張る」。この心の支えが出来たことは、何よりも自分を励ましてくれました。

それともう1つ格段に違うのは、時間を持て余していたあの頃とは違って、毎日が充実していること。

それは加藤シゲアキさんと、NEWSと出会えたから。

情熱を注げるものとの出会いは、私にとってかけがえのないものでした。

 

前述しましたが、自分の全てを捧げてまで「知りたい」とは思ったのは加藤シゲアキさんだから。

そしてその要素として、シゲが作家でもあることは非常に大きいと感じています。

『あやめ』も然りですが、私は”想像”させてくれるものを好む傾向にあります。

小説でも、写真でも、絵でも、映画でも。その世界に飛び込むように浸っては、自分の中にその世界を取り込んで、今度はそれを自分の世界の中で構築していく。

そうやって”想像”することが好きなんです。(もっとわかりやすくいうと、”妄想”ですね)

その点、小説という物語、世界そのものを生み出すシゲは、私にとって想像を大いに掻き立ててくれる最高のシゲきです。

シゲは私の想像の翼を大いに広げて、色んな世界へ連れて行ってくれます。

それは私が今まで見たことも触れたこともない世界だったり、自分と重ねてしまうような身近にある世界だったりと多種多様ですが、その世界はどれも心地が良く、また行きたいと思うものばかり。

シゲが描き出す世界は、どれも優しに溢れ、あたたかさを感じるんです。

だからこそ、また触れたくなってしまう。


世の中にはそうではなく、例えば、酷く嫌悪感を感じるけれどもそれこそが目を背けてはいけない核であり、人間誰しもの心の中に潜んでいるものを描いたような物語もあります。

良い悪いではなく、そのような作品は多くあるし、その中には名作と呼ばれるものももちろんある。シゲが主人公の仮装をした『時計じかけのオレンジ』もその1つです。

そうした作品は触れるのが怖い、でもどうしても強く惹かれるものがある。

私自身、そういった作品も非常に興味深く思っており、いくつか忘れられない心に刻まれている作品もあります。

シゲの作品も全てハッピーエンドで終わるわけではないし、読後感が悪いと言われる作品や、人間の深淵を描くような作品もあります。

先程あげた『傘をもたない蟻たちは』もその1つでしょう。

でもそうした物語であってもまた触れたくなるものがあり、読み終わったあと感じるのは負の感情ではなく、その闇が暗く深いほど、それを照らすあたたかい光を見つけられる。

だからシゲの作品の根底に流れているのは優しい世界なんだと、私は思っているのです。


シゲが描く世界はどれも”ヒカリ”を感じることができる。

そして自分もその”ヒカリ”を信じたいと、そう思わせてくれる。

その”ヒカリ”を、シゲは「アイドルだからサービス精神が染み付いてしまっている」という風に表現したこともあったけれど、だからといってそれを誰しもが描けるわけではありません。

シゲ自身が、”ヒカリ”を信じているからこそ、またその”ヒカリ”そのものだからこそ、こんなにも心に寄り添った物語を描けるんだと思っています。

 

 

ですがこれまでの道のりは、本当に言葉では表せられないほど、辛く困難で、大変な道だったかと思います。

10年前の今日、シゲは目覚めた時に「叩かれる日々が始まった」と思ったと仰っておりました。

でも厳しい声がある一方で、「世界は思った以上に優しかった」と思われたと。

そのエピソードを思い出す度に、私は胸が切なくなります。

でもシゲがシゲである以上、それは優しい世界だったのではなく、努力がきちんと報われる世界だったんだと思うのです。

シゲが心血込めて作り上げた作品に、こうして胸を打たれて一歩踏み出した人間がいるんです。

そこまでの作品を生み出すのに、一体どれほどの努力と情熱を注いだのかわかりません。

それに『ピンクとグレー』は、やはり特別な作品。シゲ自身を反映している作品だと、思っております。

その人生を掛けた物語に、心を打たれない人間がいるでしょうか?

筆力や構成など、小難しいことは私にはわかりません。ですが物語は、感じたことが全て。

シゲは心に届けられる物語を生み出すことができる、素晴らしい作家だと私は思っております。


そして事実、シゲはこの10年の間にアイドルとして活躍し続けながら、コンスタントに作品を書き続けてきました。

短編から長編、中にはポエムや、エッセイ、自身の短編をベースにした戯曲まで。

その幅の広さも筆力の向上も目に見張るものがあります。

そしてその努力と才能が、ようやく世間にも広く認知される時が来たのです。



『オルタネート』

第164回 直木賞ノミネート

第42回吉川英治文学新人賞受賞

第8回高校生直木賞受賞

2021年本屋大賞 8位入賞

ダ・ヴィンチBOOK OF THE YEAR 2021 小説部門第1位




いつかシゲに文学賞をと願っておりましたが、これほどまでに輝かしい世界を見せてくれるなんて夢のようです。

ですが一番嬉しいのは賞を取ったことではありません。

シゲが、自分で自分を認めてくれたこと。

それが何より嬉しかったことであり、願ってやまないことでした。

誰よりも努力家なのに自己肯定感が低く、自分で自分を褒めることをしないシゲ。

それは、自分を認めてしまうことで、更に上を目指すことが出来なくなるのを恐れてのことかもしれません。

でもそれにしても、もっと褒めていいのに、もっと喜んでいいのにと、謙虚過ぎるシゲにやきもきしたことがあるのは、おそらく自分だけではないでしょう。

だからこそシゲが受賞をきっかけに「自分を少しは褒めようと思う」と言ってくれたことが、何よりもの喜びでした。


10年前のシゲに伝えたい。

あなたが歩む道のりには荒野もあるかもしれない。でも歩き続ければその果てには、こんなにも素敵な景色が広がっていると。

そしてその姿は多くの人に届き、心に響いてやまない唯一無二のものになると。

 



さて、気付いたら長文となっており、大変申し訳ございません。

まだまだお伝えしたいことは山のようにありますが、とても伝えきれるものではございません。

少しでも、作家加藤シゲアキさんへの敬意と感謝の念をお伝えできればと思っていたのですが…いささか自信がございません。

ですので改めて、お礼を伝えさせてください。


これからも頑張って書き続けていくと仰って頂いていること、またその為に並々ならぬ努力をして頂いていること、本当にありがとうございます。

こうして読み続けることができる、応援し続けることができるのは、この上ない幸せに存じます。

シゲが生み出していくであろう、これからの様々な作品達を、心から楽しみにしております。

 

またシゲの作品だけではなく、世界を広がるきっかけを与えてくれたことにも、深く感謝しております。

シゲは本の世界そのものの楽しさも教えてくれました。

大人になってから遠のいてしまっていた、本の世界への扉を開いてくれたのはシゲです。

シゲが読んだという本、俳優として出演したドラマの原作、シゲが紹介してくれた本。

それらの本を読むことも、私の楽しみであり、更に私の世界を大きく広げてくれました。


(雑な並びで未だ積読も多くお恥ずかしい限り…)


『オルタネート』がノミネートされたことで新たに知った文学賞の存在も、それに大きな影響を与えております。

自分のようにシゲを通して本の面白さを知った人は数多くいることと思います。

それを考えるとシゲが文学界に与える影響は多大なものであると感じると同時に、私自身作家加藤シゲアキの読者として、シゲの名に恥じぬよう見識を広げていきたいと思います。

だからこそシゲは、もっと自由に、好きなように書き続けてください。

読者はちゃんとついていきます。一緒に育っていきます。

「読者を信用できるようになった」と、いつからか仰って頂けるようになりましたが、その思いに応えられるよう、シゲの作品だけではなく、色んな本の世界に触れていきたいと思います。


 

…読者として成長したいと言っておきながら、少し邪道に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、アイドル加藤シゲアキのファンの立場としても、最後に書かせて下さい。


以前「波」という雑誌で、シゲはこのように語っていらっしゃいました。

 

「アイドルって、自分という物語を見せるもの。

作家としてやっていることも一緒。

やりたいのは自分の人生を使って、魅力的な物語を作るということ。」

 

シゲの作品は正にその通り、加藤シゲアキの片鱗が随所に散りばめられた物語です。

でも加藤シゲアキを知らなくても当然読めますし、加藤シゲアキを知る必要性もありません。

寧ろ小説は小説として楽しむのが、本来の読み方でもあるべきなのでしょう。

それはもちろん一読者として心得ておりますし、意識せずとも小説を読んでいるとシゲが書いていることを忘れてしまうぐらい、物語の面白さに引き込まれます。


ただ加藤シゲアキのファンは、それだけでは終わりません。

小説としてその本を楽しむ一方で、その物語からシゲを感じることができるのです。

これは加藤シゲアキファンだけの特権。シゲ担だけに与えられたギフトです。

シゲが創り上げた世界に浸りながら、シゲを感じて、シゲの心に触れ、シゲを味わうことができる。

こんなに贅沢なことはありません。

本の読み方としては邪道なのかもしれない。

ですが、アイドルであることも作家としての武器です。

本を二重三重と楽しめるのは、アイドルでもあり作家でもある加藤シゲアキの読者だけです。


特にエッセイ『できることならスティードで』は、その最たるものでしょう。

「自分を煮詰めたもの」とシゲが言っていたぐらい、そのシゲシゲしさは堪らないものがあります。

且つこのエッセイは、ベストエッセイに選ばれた2作品も掲載されており、エッセイとしても非常に素晴らしい作品でもあります。

本は苦手だけど加藤シゲアキを知りたい方に、ぜひともおすすめしたい一冊です。


(『できることならスティードで』ご紹介記事)




そもそもアイドルでありながら作家活動をしている加藤シゲアキという人物が存在している、この現実こそが正に奇跡。

加藤シゲアキと同じ時代に生まれた事、人生で加藤シゲアキに出逢えたこと、それが私の何よりもの幸運。

自担アイドルの作家10周年をお祝いできるファンなんて、加藤シゲアキ担以外にいないでしょう。


その奇跡と幸運に感謝しながら、これからも加藤シゲアキを応援し続けます。

どうか、いつまでも応援させてください。 

今までもこれからも、愛しています。

 



敬具

 

  令和3年1月28日

 

加藤シゲアキ様





※シゲ担ながら不勉強で、誤った言葉遣いや文法があるかもしれませんが、広い心でお読み頂けますようお願い致します(。-人-。)

(間違いがあればこっそり教えてくださると嬉しいです)