代表のおばあちゃんの三回忌で、板橋のお寺に行ってきました。
そこの和尚さんが、当会の車を見て「児童養護施設支援の会とは、どうゆう会ですか?」と聞いてこられた。
代表が簡単に説明をすると、「それでは、子供たちにこれを」と言って、折り紙やベーゴマやかるたを持たせてくれました。
今度、宮城に行く際、持っていきたいと思います。
まさか、お寺に来てこうゆうお話に繋がるとは思いもしませんでした。
和尚さんもまた、出来る事から始めて震災支援を行われていて、気にかけているからこそ、うちの車をみて、興味を持って聞いてくれたのですから、人の輪って、どこでどう繋がるか、分からないものですね。
関東にいて、色々な人と話すと、思うことがあります。
私や代表は、現地に行き、直接見て、動いているからこそ、精神的に”楽”な面もあるのだと。
東京や埼玉などにいて、被災地のことを忘れず気にかけながら生活を送っている人は、まだまだ沢山いて、でも「何が出来るか分からない」人は、気をもみ、行動しない周りの人や自分を責めたりまですることもあったり・・・
「現地に行けないけれど、何かしたい」と思う人の気持ちも背負ってこそ、私たちの動く力にもなっているんです。
だから、「私は何も出来ないけど」なんて、言わないで下さい。
必要なのは「忘れないこと」で、「何か出来るチャンス」があった時に、力を発揮すればいいと思います。
私の場合、”忘れない”というのは、震災自体ではなく、「応援したい気持ち」のことです。
人それぞれ、得意分野が違うなら、「できることの時期」も違うかもしれない。
「どうしているかな」と、気に掛ける気持ちが
「困っている人がいるのに、何もできない」と苦しみに変わってしまってはいけないと思うんです。
偉そうに言いながら、私自身、「いくら良いことをしたって、大事な娘を一人にして、母親としてそれでいいのか?」と、自問自答する日々もありました。
寂しくて一人泣いた日々もあったという娘。
物わかりのいい子すぎて、泣いたら私が困るのを知っているから耐えたんだろうと思うと、抱きしめたくなるけど、実際は・・・抱きついたら蹴られるw(ふざけてだけど、時々本気で痛くてマジ切れしますw)
そんな娘が、ある時、抱きついたら抵抗せずにいた時には、ビックリした。
蹴り返さないほど、寂しかったんだなぁって。
悩みながら活動してたら、良いことも素直に喜べません。
申し訳ない気持ちでいっぱいの私を救ったのは、
私たちの活動に対し、娘が「誇りに思う」と言ってくれた言葉。
”寂しい思いをさせてまで、被災地にいくだけのことはある活動”だと認めてくれた。
今じゃ、逆に「がんばれ!」と励まされたりもする。
家族にしろ、友人や知人にしろ、「人の想い」が伝わるからこそ、元気になれる。
だいぶ前にもブログに書きましたが
自分を理解してくれる人がいてくれるのは幸せなこと。
そして理解してくれる人と過ごす時間は楽しい時間。
その上で、人のために動ける時は最高にぜいたくで幸せなこと。
明日は、娘につきっきりで過ごしたいと思います。