朝、皆が作業に出発し、洗濯部隊は宿舎にて残って作業していた時

午前9時57分に、三陸沖で震度4(震源10km、マグニチュード7.1)の地震がありました。


校舎の外の手洗い場にて、洗い物をしていたら・・・

窓ガラスがカタカタと音を鳴らせ、足元に揺れを感じました。長い間揺れを感じたので、野蒜小学校に居る代表に、すぐに電話しました。

津波注意報が発令される前に、高台に避難したようでした。

発令後は、野蒜小学校付近が閉鎖され、立ち入り禁止区域になった為、代表たちは、もう一つの現場を回った後、早めに宿舎に戻ってきました。


戻ってきてから、注意報は解除されましたが、テレビで大船渡と相馬では10センチの津波が計測されたと聞きました。

地元の方々は、『今度津波の被害にあったら、本当に立ち直れなくなってしまう』と、今までに何度も聞いたことがあります。


地震後、心配してすぐにメールをくださった、池田さん、中京大学の村井くん、ありがとうございます。

離れた所からも、私や、宮城にいるみんなの事を気にしてくださっている人たちがいるのは、嬉しいものですね。

気にかけてくださっている人に心配をかけないためにも、きちんとした対応をしていけるように頑張ろう!と思うと、震災に対する恐怖心も薄れる気がします。

以前の私は、地震がものすごく恐く、少しの揺れでも、かなり動揺してしまい、動くこともできずに、揺れがおさまるのを待っていましたが、いくらか冷静に『まずは震源地など情報を得よう』と思えるようになりました。


もう、あんな震災は起こらないと信じたいですが、天災は恐ろしいものだと意識することを忘れず、活動していきたいと思います。


私は、ボランティア参加者の須田斉政さんに、仙台駅まで送っていただき、午後3時41分発の新幹線で埼玉に戻ってきました。

娘が、仕事休みで、駅まで出迎えにきてくれました^^

自宅駐車場まで戻り、車で春日部の事務所まで、二人でいきました。

いろいろ鬱憤が溜まっていたらしく、機関銃のように話す娘が可愛かった。

どんな話にしろ、親に話してきてくれるのが、私には嬉しいです。


明日は、車庫証明の書類が出るので、取りに行ってきます。


宮城には、15日に向かいます。