名月を
とってくれろと
泣く子かな
― 小林一茶 ―
昔僕が見た記憶では,
たしかに「あの月を」という
詠みはじめだったのに,
今は検索すると
「名月を」となっていますね。
昔「あの月を」と書いてあったのは,
とある学習関係から出版されている本でしたが,
そういえばまだあるわ,と取り出したところ,
やはり「あの月を」と書いてある。
誤植かなあ。
それにしてはあまりにもあからさまなミスだよなあ。
歴史の年号とかでもよくあることだけど,
もしかしたら新しい事実が確認されたみたいな
そういう事情があるのかな。
個人的には,
「名月を」とするよりは,
「あの月を」とするほうが,
断然いい気がする。
うん。
情景が浮かびやすい気がするなあ。
子どもが「あれとって」みたいな感じで
指さしてねだってる様子が浮かぶ。
名月っていうと,なんか,どの月?みたいな感じだけど,
「あの月」っていう,今まさに目にしているあれがいいっていうのが
子どもらしさを引き立たせる印象。
まあ,それはそうと,名月についても考えてみたい。
昔はたぶん,今より全然道とかも暗かっただろうし,
とにかく夜は明かりに困ることが多かったと思う。
そんな中で,名月と呼ぶにふさわしい月は,
やっぱり満月だったんだろうな。
助けられるっていうか,そういうありがたみを感じることが,
その対象を美しくみせる,みたいなこと多いですよね。
「名月」っていう言い回しは,いずれにしても
ちょっと大人っぽくある。
そういう観点からすると,大人から子どもをみた,という意味で
「名月を」という選択なのかな。
情景と子どもを少し客観的にとらえて,且つ名月に対する親しみも併せて感じながら,
やや季節感も出てくる。
そんな感じなのかな。
小林一茶は,当時2歳だった実子を亡くしたあとだったと思うので,
そういううら寂しさが,実はしっくりくるのかもしれない。
ということで,
どちらが正しいのか,よくわかりませんが,
大事なのは,僕が初めて読んだ時に感じた気持ち。
子どもの頃に読んだものを,大人になって改めて読むことは,
やってみるといいかも。
思ったより色んな発見ありました!


