第3部 パリ、毒薬 / 第11節 パリ千夜一夜物語 第二夜(1) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 

  
  


  パリに来てから瞬く間に一年以上が過ぎ、気

が付けばもう一六七九年だった。

  華やかな社交界に呑まれて自分を見失ってい

たのもしれない、それとも毒気に当てられ、感

覚が麻痺していたのだろうか。意味の無い会話

と悪意ある噂話に明け暮れ、酩酊して眠りに就

き、茫然として朝を迎える。そんな自堕落な日

々が続いていた。

  あの出来事が起こるまで。


  
  或る夜、レナール夫人の邸で一際大きな夜会

が開かれ、自分も招かれて出掛けていった。邸

に招き入れられて、真っ先にマリアンヌの姿を

捜したが、残念なことに彼女の姿は無かった。

その代わり、そこにいたのは、あのラ・ヴォワ

ザンで、レナール夫人とそんなに親しい間柄だ

とは知らなかった自分は少なからず驚いた。し

かし、よくよく考えてみれば、ラ・ヴォワザン

を私に紹介したのは、レナール夫人だったわけ

だから、驚くほどのことではないのだと思い直

した。しかし、良く見ていると、衣装だけは人

一倍豪華でも、育ちの悪さを隠しきれないラ・

ヴォワザンをレナール夫人は煙たがっているよ

うにも見える。

  ラ・ヴォワザンは私を見付けると話し掛けて

きた。

「この間は恐ろしい毒殺魔のお話を聞かせてい

ただいて、とても為になりました。残念ですね、

またお会いできたのに、生憎、私はもう帰らな

ければなりませんの。今、邸に客を待たせてい

るでしてね。今夜は私どもの邸でも夜会が開か

れていますのよ、是非、お寄りになっていただ

きたいわ。また、あの時のように、お話を聞か

せていただきたくて」

  言葉は丁寧だったが、その声に切迫したもの

を感じた自分は、申し出を無碍(むげ)に断るの

も躊躇(ためら)われた。

「しかし、この夜会が終わってからでは、大分、

遅くなりますし」

「大丈夫よ、私どもの夜会は日が昇るまで終わ

りませんわ。後で馬車を寄越しますから。ここ

では飲み過ぎないようにしてくださいね」

「でも……」

「行ってらっしゃいよ」話を聞いていたレナー

ル夫人が割って入ってきた。「ラ・ヴォワザン

に招かれるなんて名誉なことだわ、パリの有名

人よ。普通はお金を積まないと、会えない人な

のよ」

「ありがとう、レナール夫人。それではサンド

ロさん、お待ちしていますので」

  私の返事を待たずにラ・ヴォワザンはその場

を立ち去った

  
  その夜、レナール夫人のサロンは盛況だった。

当時、パリは宮廷を舞台にした愛憎劇で話題騒

然となっていた。人々は出来事に関して無責任

な意見を交わし、大いに沸き返っている。そこ

には以前「宮廷の女たちを巡る夜話」を語って

くれた役者も来ていた。その男は余興に、あの

時のように一部始終を詩にして聞かせてくれる

という。もう既に知っている話ではあったが、

パリの人々がこの出来事をどのように感じてい

るのかを知る良い機会だと思った。それでは、

お手並み拝見。私はそう思いながら椅子に腰を

下ろした。

「さすれば今宵お集まりの紳士淑女の皆様に、

失礼を承知でお耳を拝借――」

  あの時と変わらぬ切り口上で物語は幕を開けた。

  
   マントノン夫人とモンテスパン夫人

   古くからの親友同士はそれらしく

   お互いの腕を取り

   楽しげな会話と笑い声を後に残し

   ヴェルサイユの小径をそぞろ歩く

   隠し持ったナイフを相手の心臓に

   突き立てるのは

   今この時かと不安げにその様子を

   見守られながら
  
   最後に国王の心を征服するのは絢爛豪華

   な美女にして官能の女神

   モンテスパン夫人なのか

   迷える国王を神の道に導こうとする

   信仰の人

   マントノン夫人なのか

   勝敗決着の時に備え深謀遠慮が宮廷に

   渦を巻く

   財務卿コルベールはモンテスパン夫人

   に近しく

   軍務卿ルーヴォアはマントノン夫人を

   後押しする

   宮廷は派閥に別れて足の引っ張り合い

   に余念が無い

   しかし、ある時、様子がおかしいこと

   に人々は気が付いた

   国王の心は別の所にあるのではないかと

   人々は訝しんだ
  
   マリー・アンジェリク・ド・

   フォンタンジュ

   その両親は娘の類い希な美貌を見て

   一族の栄達を確信

   金をかき集めて娘を宮廷へ送り込んだ

   青春十八の盛りにして真っ白な肌

   とバラ色の頬

   恋物語から抜け出た主人公のような姿形に

   宮廷中から賛嘆の声が集まった

  「外から見れば地上に舞い降りた天使のよう

   中身を見れば空っぽの籠のよう」

   国王がフォンタンジュ嬢に一目惚れした

   という噂はあるが

   宮廷の人々には確信が持てなかった

   年で言えば二十四も違う娘に国王が

   一目惚れなどするものなのか

   しかし、或る日の出来事で疑いは確信

   に変わった

   偶然、フォンタンジュ嬢の部屋の扉が

   開け放しになっていて

   偶然、そこにモンテスパン夫人のペット

   の熊が通り掛かり

   偶然、熊はフォンタンジュ嬢の部屋

   に入って

   部屋を滅茶滅茶に壊してしまったから


   国王と狩りを楽しむフォンタンジュ嬢

   風でほどけた髪を靴下留めのリボンで

   頭の上高く結い上げれば

   その愛らしい姿が大評判

   フュンタンジュ風として誰もが真似る

   流行の髪型に
  
   
   芳紀十九の天使の前に

   死闘の末ようやく掴み取った寵姫の座

   もあえなく陥落

   王妃付首席侍女の座と引き替えに

   モンテスパン夫人は国王から引き離される

   泣き喚こうとも恋敵の悪口を

   触れ回ろうとも

   離れてゆく男の心を繋ぎ止める術は無く

   かつて愛の甘い囁きは痴話喧嘩に

   成り果てる
 
  「貴方のような悪臭を放つ男につべこべ

   言われる筋合いはない」

   国王さえもたじろぐ悪口雑言を投げつけ

   ヴェルサイユの女王は宮殿を飛び出した