悪の巣窟 コンノート・プレース (1) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録


 久しぶりのデリーは到着時から比べれば、それでも少し涼しくなっていま

した。 暦は既に十月、インドも秋の気配です。

 私はショッピングには全く興味が無いのですが、日本をしばらく
空けてしまったので、

 

そこは日頃お世話になっている人への恩返し、少しはお土産ぐらい買わねばと、

 

コンノート・プレースに行くことにしました。 地下鉄を手前で降りて、見物がてら歩いて

 

みたものの、いくら歩いても、それらしい雰囲気にならないので、不安になって、

近くのおじいさんに道を尋ねてみました。

 そのおじいさん、方角を教えてくれるのかと思いきや、

「ああ、それならこっちだよ、ついてきて」

 と、先に立ってすたすた歩き始めるではありませんか。 そのままどこまでも歩き続ける

ので、これは絶対にまた何か起こると思った私は、わざと遅れて距離を取り、

何とか途中で撒くことができました。 私もこの旅で随分、成長したというか、

インドずれしてきたというか・・。


 それでも何とか辿り着いたコンノート・プレース。

 そこはインドの銀座――と言うには、かなり無理があるような。

 人通りも日本の商店街程度。 道路こそ広々としていますが、舗装はひび割

れて砂利が剥き出しになっている所も。 手入れのされていない建物からは、

寂れた雰囲気すら漂います。

 道をあるいているとブランド物を扱っている店が唐突に現れたりしますが、

私のような貧乏旅行者が入っていくと、おまえのような人間の来る所じゃな

いよ、みたいな雰囲気を醸し出すのがまた憎たらしい。 お高く止まるのはい

いけど、その前に店の前の道をなんとかしなさい、ゴミだらけでしょ。


 各州物産店の入っている建物を探してみたのですが、あるのは団地みたい

な殺風景な建物だけです。 おかしいなあ、この辺なんだけど。 私は、通り掛

かりの男性に物産店の場所を尋ねてみました。 その男性、方角を教えてくれ

るのかと思いきや、

「ああ、それならこっちだよ、ついてきて」

 と、先に立ってすたすた歩き始めるではありませんか。 そのまま結構な距離を歩き

 

続け、「ここ、ここ」 と指さした所は、確かに土産物屋には違いないのですが、閉

じられたドアと薄暗い店内。 ここに入ったら最後だ、絶対、無事に出てこられない、

 

と頭の中で警報が鳴り響きます。
 
「ありがとう、後でまた来るよ」

 私は男性を後に残し、有無を言わさずその場を立ち去りました。


 ああ、危なかった。 しかし、物産店はどこに行っちゃったんだろう。

 見ると近くにマクドナルドがあったので、そこで少し休むことにしました。

今回旅行二度目のマクドナルドです。 例のようにカレーコロッケバーガー

を食べながら地図を睨んでいると、私が悩んでいるように見えたのでしょう、

近くに座っている男性が声を掛けてきました。 私が、物産店が見つからなく

て困っているのだと話すと、その男性は、

「ああ、それならこっちだよ、ついてきて」

 と店を出ると、すたすた歩き始めるではありませんか。 そのまま結構な距離を歩

 

き続け、「ここ、ここ」 と指さしました。


ああ、ここね。 知ってる、知ってる。


さっき別の人に連れてきてもらったばっかりだからね。


 その物産店なのですが、やっと分かったことは、私が団地か何かだと思って

いた建物が、まさしくそれだったのです。 何のことはない、どこにあるのか探しな

がら、その前を行ったり来たりしていたわけです。 一階のショー・ウィンドウ

も道路からは植え込みに遮られて全く見えず、小さな窓があるだけで

 

コンクリートが剥き出しとなった建物は、日本人の感覚から言えば昭和の団地

そのもの。 ショッピング・センターのオーラなど薬にしたくもありません。

人を騙すためなら遠くまで歩くくせせに、客の方で勝手に来てくれると思え

ば、全くやる気を出さないインド人。 ――これでいいのか、あんたたち。


 しかし、このごたごたも、これから始まる大騒動のほんの予兆にしか過ぎ

なかったことを私はその時、まだ知る由も無かったのです。