エピローグ(完) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録


 
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10月1日より 「エピローグ」 (全5回) 最終です。


明日、改めてご挨拶させていただきます。

 
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(第一章の最初から読む )
 

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「エピローグ」 (完)
 

 

 

 ドイツ、ヴォルムスの町は、1521年、マルティン・ルターを帝国追放刑
 
にすることを決定した議会が開かれたことで知られている。今日、その地
 
にはマルティン・ルター記念碑が立てられている。中央の記念碑上に立つ
 
のが、マルティン・ルターであり、その足元を宗教改革の先駆となった四
 
人の人物が囲んでいる。ジョン・クリフ、ヤン・フス、ジオラーモ・サヴ
 
ォナローラ、そして、もう一人がヴァルド派の始祖、ピエール・ヴァルデ
 
スである。
 
(関連記事 「異端ヴァルド派 (ワルドー派) に関する補足」 ) 
 
 
 
 近世から近代へ。
 
 神権政治の時代が終わると共に、ヴァルド派はプロテスタントのカルヴ
 
ァン派と同化し、呼称は残るものの、その実体は歴史の舞台から静かに姿
 
を消していった。それはまるで、人類が充分に成長したのを見届け、満足
 
して後ろに下がる母親の姿を見るかのようである。
 

 
北イタリア、ピエモンテ州のアルプスの谷を訪れることがあれば、
 
私たちは今でもヴァルドの末裔と会うことができる。
 
機会があれば足を止めて思い出してほしい。
 
その静かな微笑の裏に秘められた物語に。
 
その祖先たちは信仰を胸に
 
数百年の迫害に耐え
 
自らの誇りを掛けて闘った人々であった。
 
しかし、私たちと何一つ変わらず、
 
恋人を愛し、家族を想い、
 
安らかな生活を願った普通の人々だったのである。
 
 
 

(「アルプスの谷1641 完 )