神の預言か、狂信の少女か、ジャンヌ・ダルク (1) | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録


 親愛なる読者諸兄姉の皆様、こんにちは。 吉高志堂です。
 

 さて、本編第一部の終わりが近付いて参りましたが、本編と共に並走
 

してきた時代背景・関連記事も、いよいよ真打登場です。
 

 魔女として火刑にされた者の中で、この人ほど有名な人は他にありません。


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 ジャンヌ・ダルクです。
 

 フランスでは、いやしくもジャンヌについて何か書こうと思うなら、本を
 

百冊は読めと言われるそうです。 私は二、三冊しか読んでいませんが ( しか
 

も内容の殆どを忘れましたが ) 、ジャンヌについての記事を書くという暴挙
 

に出たいと思います。
  

 しかし、ジャンヌについての記事を書くのは、確かに難しく、 もしもジャンヌ

 

にまつわる物語をそのまま受け入れるのであれば、貴方は 「人類を導く目

 

に見えないもの」 の存在――それを何と呼ぶべきか分かりませんが――を

  

認めることになります。 受け入れないのであれば、この奇跡の物語に合

 

的な解釈を加えなければならないでしょう。
   

 このため、ジャンヌについて語ると、奇跡を全面肯定する神秘主義者から、

  

そもそもジャンヌなど存在しなかった――あれはただの伝説だという懐疑論

  

まで、その人によって様々な立場を取らざるを得なくなるのです。
 

 お前はどうなんだ、と聞かれたら、私は「分かりません」 と答えます。 私の


意見など重要ではありませんし、私などより遥かに賢明な読者の皆さんが、


ご自分で解釈していただけるものと思います。
 

 ここでは、その解釈の手掛かりを整理するに止めたいと思います。
  

 

  

 ジャンヌ・ダルクの奇跡の物語については、勿論、皆さんご存知かとは
 

思いますが、その最も標準的バージョンを簡単に振り返ってみましょう。

 

 

 

 時は英仏百年戦争の末期、仏軍は敗北を重ね、英軍に追い詰められていま
 

した。 パリは既に陥落し、フランス最後の中心地オルレアンも英軍に包囲さ
 

れ、フランスの命運は風前の灯となっていました。 フランス王太子シャルル
 

七世は、トロワ条約でフランス王位継承権を失い、さらには淫乱王妃と揶揄
 

された母イザボーが、シャルル七世は不義の子である――つまり、先王の息
 

子ではないと口走ったことから、すっかり自信を無くし、現実逃避から享楽
 

に溺れる有様でした。 しかし、絶望の中、人々の間でひとつの予言が話題に
 

なっていました。
 

 ―― シェニュの森から少女がやってきてフランスを救う。
 

 

 フランス・ロレーヌ地方、ドンレミという村に一人の少女が住んでいまし
 

た。 その少女ジャンヌは、非常に信仰心が篤く、心優しい娘でしたが、どこ
 

か夢見勝ちで、以前から神秘的な声を聴いていました。 そして、或る日、彼
 

女の前に大天使ミカエルが現れ、「神の娘よ、行きなさい。 行ってフランス
 

を救うのです」 と告げました。


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少女は恐怖しましたが、その言葉を自分の使命と信じ、家出同然で、ヴォ


ークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会いに行きます。


そこでジャンヌは、ニシンの戦い(Battle of the Herrings)での仏軍敗北を


予言、ロベールはジャンヌが予言された救世主であると信じ、シノンにいる


王太子シャルル七世の所にジャンヌを送り届けました。
 

 この時、シャルルは神の遣いを名乗る少女を試すため、王座には王の服を
 

来た側近を座らせ、自分は会衆の中に紛れ込んでいました。 しかし、ジャン
 

ヌは真っ直ぐにシャルルの元に向かい、その足元に跪いたのです。 ジャンヌ
 

はシャルルに王太子が正統な王位継承者であることを納得させ、自分に仏軍
 

を指揮させるように頼みました。


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「神の遣い」 に率いられたフランス軍は勇気百倍、圧倒的優位を誇る英軍に


奇跡の逆転勝利、オルレアン解放を成し遂げます。 追撃を開始したジャンヌ


軍の前に、英軍は茫然自失、為す術も無く潰走を続け、ついにジャンヌはランス


に到達、この大聖堂でシャルルを戴冠させました。 シャルル七世はついに正式


なフランス王となったのです。

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 しかし、ジャンヌの勢いはここまででした。
 

 王冠を手に入れたシャルルは、ジャンヌのことなど忘れて快楽に耽り、即
 

時のパリ進軍を主張するジャンヌを無視しました。 ようやくパリに進撃した
 

のは、実に半年後のことであり、この間に体勢を立て直した英軍の前にジャ
 

ンヌは敗北を喫しました。 そして、ついにコンピーニュで、味方の裏切りに
 

遭い、ジャンヌは捕虜となります。 城外に打って出たジャンヌを見殺しにし
 

て、守備隊長ギヨーム・ド・フラヴィが城門を閉めてしまったのです。


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 捕虜となったジャンヌは英軍に金銭で売り渡されました。
 

 仏王シャルルは、自分を国王にしてくれた恩人を救うために、身代金を払う


どころか、指一本たりとも動かすことはありませんでした。
  

  

 ジャンヌは異端審問に掛けられます。
  

 英軍から見れば、もしジャンヌが神の遣いであるならば、自分たちは神意
  

に逆らう背教者ということになってしまいます。 どうあってもジャンヌを魔女
  

として死刑にする必要がありました。
  

 たった一人の少女に対して、七十人の大審問団が組織され (その全員に英
  

国の息がかかっていました)、ジャンヌの糾弾を開始しました。が、ジャンヌの

 

信仰は全く揺らぐことはありません。 ――ジャンヌが本当に神の遣いだったら? 
  

恐怖で混乱に陥ったのは審問団の方でした。

 
 

 しかし、地下牢で刑吏からひどい暴行を受け、何度も凌辱されそうになり
 

ながら審問団と闘うジャンヌも、精神的・体力的に限界に来ていました。


識の定まらない状態で、ついに審問団の奸計に掛かり、有罪とされてしまう
 

のです。
 


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 ルーアンの火刑台。
 

 ジャンヌは会衆に向かって叫びました。
 

「私はあらゆることを神様の命令のもとに行ったのです」
 

 火が掛けられ、ジャンヌの体に燃え移ると切り裂くような叫び声が上がり
 

ました。 ――「イエス様!」



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 1431年5月30日、
 

 ジャンヌはその生涯を閉じました。 わずかに19才という若さでした。





 * 記事が長くなってしまいましたので、今週はここまでにして、


  次回、ジャンヌの奇跡の物語がどのように解釈されてきたかを


  見ていきたいと思います。



 * 写真は、イングリット・バーグマン主演のジャンヌ・ダルク (1948)