第1部 「告白」、第4章「審問」、第7節 (2) | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

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第4章第8節は8月11日に投稿します。
 
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第4章 「審問 」
 
 
7.  シスモンドの告白 ( 2 )
 
 
 
 だから、その後も私は変わらず、マルティーナのいる学校へ足繁く通って
 
いました。 しかし、彼女の方は何となく私を避けているようで、まともに話を
 
する機会を持つことができません。 人間誰しも自分の欠点を指摘されたら、
 
なかなか素直にはなれないものです。 私はマルティーナに充分な時間を与
 
えてやるつもりでした。 聡明なあの娘なら分かるはずです、自分の考えが間
 
違っていたということに。 その時こそ、マルティーナは私の家に嫁ぐに相応し
 
い女性になることでしょう。
 
 ある日のこと、いつものように学校を訪れた私は、マルティーナの姿が見
 
えないことに少しばかり痺れを切らしていたのですが、偶然、そこに彼女の
 
同僚のイルヴァがやってきました。 イルヴァはマルティーナと同じく教職に
 
ありますが、年上の人間に向かって軽口を叩くような生意気な娘で、私はあ
 
まり好ましく思っていません。 普段なら話し掛けることもないのですが、この
 
時ばかりは、マルティーナの所在を尋ねずにはいられませんでした。
 
「あら、今日は許婚のレオと遠出するって言ってたけど?」
 
 彼女はそう言って、面白そうに私を眺めています。
 
「許婚だと!」 私は思わず声を大きくしてしまいした。 「年上の人間をからか
 
うのも大概にしろ、そんな話は聞いたこともないぞ」
 
「将来を誓った人がいるのかどうか、聞いたことも無かったんでしょ?」
 
 笑いを堪えているイルヴァを残し、私は憤然として、その場を後にしました。
 
私は怒りに震えていました。 マルティーナが美しく清らかなのは上辺だけで、
 
その下には毒蜘蛛のような心が隠されていたとは。 あの妖婦は、善良な人
 
間の心を手玉に取って虚栄心を満たすだけでは飽き足らず、高価な贈り物
 
までもせしめていたのです。
 
 私はその後、昼夜を問わず、あの女の幻影に苦しめられることになりまし
 
た。 市場にいようとも、別の街にいようとも、彼女の姿がそこに見えました。
 
行き交う人々に紛れて、或は、僅かに開いた窓の奥から、あの女は邪悪な
 
目でじっと私を見ていました。 当然の如く、夜は夢の中に現れました。 もは
 
や自分は呪いに掛けられているとしか思えなくなりました。
 
 或る日のこと、心身共にすっかり弱っていた私の耳に、家に出入りしてい
 
る農夫たちの話が聞こえてきました。 それは、最近、異端審問で火炙りにな
 
った女を告発した羊飼いの話でした。 その男は魔女を見分ける力があると
 
いうのです。 ぼんやり聞いていただけだったその話が、私の弱った心の中で
 
大きく膨み、やがてはっきりとして形を取っていきました。 自分を救えるのは
 
その男しかいない、そう思ったのです。
 
 話の中心にいた男はトマゾという、うちに出入りしていた農夫でしたが、そ
 
の羊飼い――ルキーノという名のその男を直接知っているということが分かり
 
ました。 そこで私はトマゾに事情を話し、幾ばくかの金をやって、その羊飼い
 
に会わせてくれるよう頼んだのです。
 
 羊飼いのルキーノには、「マルティーナは魔女に違いない、告発してくれたら
 
礼をする」と言いました。 なぜ自分で告発しなかったのか、でしょうか? マル
 
ティーナは私のことを直接知っているので恐ろしかったのです。 ルキーノは、
 
トマゾと私から話を聞くと、黙って金を受け取りました。
 
 或る日、マルティーナは人々の前から姿を消しました。 そのことについて
 
触れようとする人間は一人もいませんでした。 それはまるで、彼女が最初か
 
ら存在しなかったかのようでした。 やがては、あの小生意気なイルヴァも、
 
虚栄の塊のようなジュリエッタも人々の前から姿を消しました。 そして、教
 
婦長のマルタやロレーラも。 皆、マルティーナの告白から魔女の一味として
 
捕らえられたと聞きました。 やはり、同じ穴の狢であったのかと、そう思わ
 
ずにはいられません。
 
 マルティーナの許婚だというレオという男についても、後から知るように
 
なりました。 見栄えは多少良くとも、どこにでもいる中身のないつまらない
 
男です。 マルティーナと共に火刑になるぐらいの覚悟はあるのかと思ってい
 
たら、彼女をあっさりと見捨て、後に別の女と結婚したそうです。 悪人同士
 
の繋がりなど、その程度のものです。 そうは思いませんか?
 
 マルティーナが身も心も私に預けてさえいれば、私が真っ当な信仰の道へ
 
戻してやることができたのに、残念でなりません。 しかし、悪に魅入られた
 
彼女にはそれが分かりませんでした。 寛大な私の愛情に、あの女は毒を持
 
って報いたのです。 火刑に処せられる前になって、罪を悔い改めてくれたの
 
が、せめてもの救いです。 父なる神が彼女を許し、その魂を受け入れてくれ
 
るのを祈るばかりです。
 
 私の話はこれで全てです。
 
 審問官殿、これで私が非の打ち所の無いカトリック教徒であることが分か
 
ったでしょう。 私はこのような場所に相応しい人間ではありません。 早く
 
ここから出していただけませんか。