父は、山を踏ん張って、踏ん張って、踏ん張った。

酸素量は7㍑まで減らせて、

一時絶食になってたけど、また食べられる様になった。

私達はまた奇跡を予感した。


「元には戻れないだろうけど、普通の生活がしたい」
って、お見舞いに来てくれた友人に話していた。

三回目の抗がん剤治療、地固め療法へ向けて前向きだった。


今日、年を越す事すら難しいと、先生から本人に話しがあった。

私は仕事でその場にいなかった。

何でいつも肝心な時に居ないんだ。

電話で話しを聞いてから仕事にならず帰っていいと言われ帰ってきた。


私は、心配をかける係。

私は心配をかける係。

それは、心配だから、頑張ってって。

そういう係。


心配?

大丈夫だよ。

私、何とかやれるよ。

って、結婚して、出産して、子供抱いてよ。

子供抱いてよ。

私の花嫁衣装見てよ。

「今まで守ってくれてありがとう」って、マイクの前で言わせてよ。

私大丈夫だよって、言わせて。

本心で言わせて。

「綺麗だろうなぁ」じゃなく、

見てよ。

見て。

見て!!

見てよ

死なないでよ

見てよ