「今からが正念場。」

抗がん剤投与が終わった翌日、母が偶然先生と会った時、真顔でこう言われたそうだ。

分かっていても、直接言われるとショックを受けるもの。

母はうっすら涙目になってた。

私はあっけらかんと「知ってた。」と言ったまま口をつぐんだ。

正確には、声が喉に詰まって何も言えなかっただけだ。

しかし、みんなの心配を余所に、父は調子が良かった。

24時間繋がれてた煩わしい点滴のチューブから解放され、ウキウキ顔。

毎日投与される抗生物質を違うのにしてから熱も上がらなくなり、

血しょう板の輸血でもアレルギーがほとんど出ない。

しかも、ベッドを電動にしてもらって上げ下げを完全に自分のお好みにできるとドヤ顔で浮かれている。

余程嬉しかったのか、赤血球の輸血中に、「見てろよ!」と言いながら起こしてたベッドを電動で寝せ始めた。

起こした状態に合わせていた点滴台が離れていく。

輸血のチューブは引っ張られて「ビーン!!」

「わああ!!ストップーー!!」

嬉しいのは分かったから、落ち着け!


こんな感じで、入院当初よりむしろ調子が良いご様子。

3日前から脱毛は始まったものの、

個室から大部屋に戻り、ご飯も食べるし、何だか明るい兆し。

寛解するまでの道のりはまだ半分も来てなくて、
正常な血液が作られるまで安心なんて出来ないけど、

実際まだ何にも安心材料は無いような物だけど、

調子が良いのが何よりの救い。


昨日、日本一周中にお世話になった新潟のおじさん夫婦がお見舞いに来てくれた。

「願掛けだ」と言って、髪を坊主に刈り上げていた。

何だか胸が一杯になった。

同じく日本一周中にお世話になった東京のおばちゃんが電話をくれた。

旅に出ていた旅仲間は、日本中の神社でお参りしてくれてた。

友達は、大好きな嵐を見るのを我慢して願掛けしてくれた。

時間の作れなくなった私に、職場まで顔を見せに来てくれた友達も居た。


この思いは必ず届く。

奇跡を産む力の一つ一つ。


そんな中、夕べから今朝にかけて、激しい咳が出た。

父ではなく、私が。

急ぎ病院へ行くと、
「風邪だから、お父さんの所は行かないほうが良い。」

情けない、悔しい。

毎日毎日、顔を見せ会う事で、お互いに安心出来てたのに。

悔しくて涙が出た。

父に電話して治るまで行けないって言った。

調子は良さそうだったけど、顔見ないとわからない。


私はいつもグズだ。

さっさと治れよ風邪。