最近、楽チンだ。


今までずっと人の目を気にしてた。

自分がどう思われているのか、

気になって気になって、常に人の顔色見てた。

気になって気になって、人の気持ちを勘ぐって深読みした。

それはどこか、自分を卑下していたからだと思う。

人の持っているものが羨ましくて欲しくて、持ってない自分が酷くイビツに見えてた。

そしたら、周りの人が偉く見えて、すごく偉く見えて、偉い人に良く思われたくって、猫を被って、

そしたら、その偉い人に好かれても、逆に自信がどんどん無くなってって、もう今さら猫も脱げなくて…。

完全に迷い路だった。

「人は人、自分は自分」なんて難解な言葉は、とてもじゃないけど実行出来そうにも無かった。

ヒントの言葉は世の中にたくさん溢れていたけど、身にはならなかった。

疲れてた。

人として成長しない、声が聞こえない自分と向き合うのも、

そんな自分と社会を繋ぐのも、もう何だか疲れてた。

そりゃ疲れるよね。

けれど、いきなりプルっと楽になった。


夏休み後、整理された気持ち。

きっかけはココだった。


私、今までずっと足し算してた。

「こうなりたい」「これは忘れたくない」「これがなきゃダメだ!」

延々足していったら、すんごい数になっちゃった。

キャパシティーは完全にオーバーしてて、足せもしなくなった事でさらに自分を責めた。

「引き算が大事」

ヒントの言葉で聞いてたけれど、引き算ってどうやるの?私出来てないの?

わかんない。引き算なんて知らない!私のやり方じゃない!
そもそも引き算するほど持ってない!!

って考えもしなかった。

でも今、引き算してる。

「肩の力を抜く」って引き算。「素直でいる」っていう引き算。

前はこれすら足し算だった。

自然体でいなきゃ…って力んで、妙にはしゃいでしまって空回っては、疲れてふてくされてしまった。


今までの全てがそうだという訳じゃないし、今までの私が嘘だったという事では絶対にない。

けれど、そんな風にして振り回されていたのは事実。


今、周りを見渡すと、景色はずいぶん違かった。

みんな私と同じ

いいところもわるいところも持ってる、同じ人間。

同じなんだから猫被る必要も無いし、遜る必要も無かったんだ。



ぶれない軸はいらない。


ぶれながら揺れながら、しなやかに軽やかに枝葉を揺らそう。