THRIVE(スライブ)
Thrive(スライブ)というドキュメンタリー映画を観ました。
フリーエネルギーの真実や現代の腐敗した社会システムの暴露を中心としたドキュメンタリー映画です。
色々ネットで反響を調べてみると、賛否両論というよりは、どちらかと言うとこの映画に対する賞賛の声のほうが目立っているように感じます。
たとえば、ニコラ・テスラの時代に既にフリーエネルギーが確立されていたとか、数人の末期ガン患者を三ヶ月で完治させてしまうというような医療技術が既に確立されていたってのが本当の話なら、確かにこれは恐ろしく素晴らしい話ですし、衝撃的ですらあります。
本当だったらね。
まぁ、
どうなのか。
エネルギー産業だけに限らず、巨大市場ってのは結局、利権が絡むのはこれ、人間社会の避けられない運命なんだと思います。
ただね、その真意はともかく、映画に対する賞賛の声が多い割りに、僕はこの映画を観た後、ガッカリ感を覚えたんですよね。
どうも釈然としなかったんですよ。
あくまで僕個人の感想なんで、別に気にしない人なら気にしなくてもいいと思うんですけど、とりあえず僕の率直な疑問を素直に書いてみたいと思います。
■疑問1:なんであんたは平気なの。
この映画製作者。
P&Gの御曹司で、物理学者だか何だかやっているらしいですけど、なんでこの映画を製作できたのかという単純な疑問。
フリーエネルギーの実用化を目論んで迫害されたり、政府から不当な扱いを受けたり、ましてや中には命まで奪われてしまった学者すらいると言っているのに、あなたはなんで平気なんですかという率直な疑問です。まだ、研究や開発にまで関わっていないからでしょうか?
これに対して、自分なりの解答を用意してみました。
それってのは、おそらく今の日本人もそうだと思うんですけど(報道の偏向や政府の捏造、恣意的誘導とか)、政府や資産家、国や経済を動かすポストにある人間に対する民衆の不信感が強まっているからというものです。特にアメリカなんかは、9.11以降から自国に対して不信感を抱く人は爆発的に増えていると思いますし、その他にも国民の健康や安全を脅かす問題はたくさんあります。
映画の中でも一部言及されていますけど、特に食品問題は深刻だと思います。
農薬、遺伝子組み換え、ブロイラー、保存料添加物、etc
動物愛護云々ではなく、人間そのものに与える深刻な科学的影響を、個人がよく考えなければならないという認識は僕も以前から持っています。
こういう世界的な(先進国に限る問題かもしれませんが)産業的社会背景があり、
さらには、インターネットでグローバルに情報を共有できるという環境もある時代です。
暗殺とか迫害とか、そういうことが難しい時代だからこそ、こういう映画が製作できたのかなーという考えが頭をよぎります。
でも、これで納得できたわけではありません。
結局、この映画製作者はフリーエネルギーを奨めて、それを開放したいという運動の先導者となるわけですから、もし本当にそういう時代がやってきたなら、まっさきにこの製作者が政府なり資産家なりに狙われますよね。そういう危険も顧みず、科学者としての良心に従ってこの映画を作ったのでしょうか?
そんな人、いるの?
と言うか、本音では「いるわけねぇだろ」と断言したいけど、それはあまりにフェアじゃないし、言い過ぎると誰かに怒られそうなのでそこは控えます。僕も、不当にいいがかりをつけたいわけじゃないし。
ただ、正直、この製作者の本当の意図というのが見えなくて、いまいち心のモヤモヤが晴れません。
■疑問2:なんでそこはサラッと流してくれちゃってんの。
この映画、事実であれば物凄くとんでもないことを発表していますよ。
宇宙人の存在とか、権力者の陰謀とか。
でも、そういう“現時点で答えが出ない(出ていない)問題”はいいんです。
・フリーエネルギーのシステムが既に確立していること
・末期ガン患者を完治させる医療技術が既に確立していること
この二点、これさ、ここにもっとスポットをあてるべきじゃないですかね。
医療技術の方に関しては、数秒でサラッと流しましたからね。
これ、科学者には常識的なことなんでしょうか?少なくとも僕は、「ガンでの死亡率がダントツに高い人類なのに、なんでそこをサラッと流してくれちゃってんの」って思いましたよ。
トーラスについても、エネルギーを物理的にどうやって発生させてそれをどうやって持続させるのかっていう科学的な説明とか根拠がほとんど説明されていなかったように思います。
これって、物理学の常識?
トーラスって、誰でも知っているものなんでしょうか?
僕としては、「トーラスというものがあります。世の中のものはすべて、こういう原理でできています。だから大丈夫なんです」と言われた気分です。
それとも、「シロートはシロートなりに調べて勉強しろ?」ってこと?
まぁ、それならそれで納得できるけど。
■疑問3:なんでそういう映画構成なの。
なんか、映画も終盤に差し掛かってくると、理想郷がどうのこうの言い出しますよね。鳩山さんも似たようなこと言っていたような気がするんですが、これって結局思想的な話ですから、次第に宗教臭がプンプンとしてきて、むしろ嫌悪感すら覚えてしまいました。
確かに理想郷を思い描くのってとても大切なことですが、それって科学者の仕事と言うよりは、どっちかっつーと政治家の仕事ですよね。まぁ、その政治家が腐ってんだからしょーがないんでしょうけど。
ただね、この人の思い描く理想郷って、実現させることは限りなく不可能に近いと思うんですよね。
フリーエネルギーとはまったく違う次元で。
言ってみれば、ここで語られるロックフェラー家とかの資産家は、侵略者とか独裁者とかってーな位置づけでしょ?
確かに、特定の資産家が世界の経済に影響を与え、操作をしているのは事実だと思います。
投資家は、世界を動かす資産家の思惑なり傾向なり、あるいは社会情勢なんかも考慮した上で、経済傾向を推測して投資しますよね。
経済が本当に流動的で、自然発生的に動くものであれば、そもそもインサイダー取引なんて起こらないわけですよ。
文明がどれだけ発達しても、独裁者とか侵略者とか、あるいは犯罪者とか異常者とか、そういう人間って必ず一定数で存在すると思うんです。そういう人らが組織化して、あるいは儀式的に犯罪を犯したり、利権構造を作ったりするわけじゃないですか。
この理想郷って、利権構造や人の欲がないという前提で語られているような気がするんですよね。無理だよ。人なんて大なり小なり欲がある生き物なんだから。
特に科学者とか物理学者とかそういう性質の人なら、普通に考えて自分の思い描いている理想郷を実現させることが、どれだけ困難なことか、歴史を振り返っても理解できると思うんだけど、それにも関わらず「みんなで一緒に理想郷を作ろう」というそのスタンスが、僕にとっては非常に疑問。
身近な人間関係ですら問題を抱えている人が多いじゃないのさ。人間関係の問題とか、恋愛の問題とか、パワハラとかセクハラとかいじめとか。人ったらそういう問題さえ克服できねぇのに、なんでそういう身近な部分をスッ飛ばして理想郷を語れるのか。僕にはちょっとわかりません。
「みんながみんな、良い人間になればいいんだ」なんて言おうものなら、「お前、もう少し社会に出て色々な人と接して来い」と言いたいです。
加えて言うなら、「そのためにみんなでできること」ってのがね、説得力がないと言うか。地方銀行を利用するとか、情報を共有するとか、議論するとか、やっている人は既にやっているだろうし。
まぁ、「民衆が全員で一致団結すれば不可能も可能になる」という話なんでしょうけど、それができるんだったらこんな世の中になってなくない?
あの時、ブッシュ当選してなくない?
原発、爆発してなくない?
この世に犯罪なくない?っつー話ですよ。
まぁ、デモが一定の効果を発揮するというのは理解できます。
日本人がみんな一致団結してTPPを阻止するとか、メディア体勢を変えるとか、そういう話ならまだ現実味もありますよ。アメリカ人が一致団結して農業を復活させるとか、政権を変えるとか、そういう話なら現実味があります。
最初から「打倒現体制!打倒資産家!」を打ち出し過ぎてて、そこにあるべきプロセスをスッ飛ばし過ぎているように感じるのは僕だけでしょうか。
もう少し現実的・政治的な展開なり構成なりがあると思うんだけど。
■疑問4:支配者のやり方?
資産家達は民衆を支配しコントロールするために、まず問題を起こし(問題を提起し)、そして、民衆に不安や恐怖を抱かせ、それを解決するために用意された答えを提案する──みたいなことが語られていたと思うんですけど、それ、この映画にそっくりそのままあてはまる構図じゃん。
特権階級の陰謀を暴露する→視聴者は未来を案じる→それを避けるために理想郷を提案する。
支配者だけに限らず、この映画だけに限らず、これって日常でもよくあることだと思いますし、これが善意によって成されるものであろうと悪意によって成されるものであろうと、この体系がなければまず人類は発展なんかできないですよ。
ここで、「なんだか資産家を必要以上の“悪”に仕立て上げようとしているのでは?」という疑問を感じてしまいます。
資産家が実質的な悪かどうかはさほど問題じゃありません。
やり方の問題です。
正義の味方が暴力を駆使しないわけじゃない。
それと同じです。
この時点で、理想の原理が破綻しているんですよね。
「理想を実現させるために、私達がもっとも嫌っている“暴力”が必要悪になる可能性もある」ということにまで言及しなければ、この人の言葉では冷静な人間を説得できないように思います。
もっとも、この製作者がそこまで考慮しているのかどうかは僕にはわかりませんけど。
■疑問5:フリーエネルギー?戦略?非侵害?
理想の社会に至るまでのプロセスを説明する場面があります。
「非侵害」を提唱し出し、そのために必要な戦略を解説するシーンです。
まず、小さな疑問からお話ししますけど、「戦略」って?
「非侵害」を謳いながら戦略を掲げるのって、すごく違和感がありません?
ただ、まぁこれは翻訳の問題かもしれません。翻訳での言葉の選び方が適切でなかっただけかもしれません。まぁ、日本語バージョンで見ていて、純粋にこういう疑問を感じただけです。
これを日本語翻訳バージョンそのままに理解してもいいのなら、「非侵害という思想を、然るべき人物(ここで言ういわゆるエリート)に押し付けるのも、ある意味で侵害なのでは?」という疑問を抱きます。
単純にリベラルによくあるような、独り善がりで客観性を欠いた自己主張を正義として主張しているだけなんじゃねーの的な。「大麻を解禁せよ!」的な。
でも、めんどくさいのでここは「翻訳のやり方が今ひとつ至らなかったんだろうな」くらいの解釈をしておきましょう。
そして、フリーエネルギーについての疑問。
実はこいつがもっとも大きな僕の疑問なんですが、
この映画の主体となるべきテーマは、まさしくフリーエネルギーの開放だと思うのです。
作中にもあったように、個人がそれぞれ恒久的に生活に必要な電気量を発電できるようになったら、それこそ人々の生活も経済も、ひいては政治も大きく変わると思います。
まぁ、最後らへんで“政府を縮小させ、個人主体の生活様式を実現させる”という解説アニメーションのところで、なぜ政府や軍隊を縮小させて風車発電の設備を設置するのか。フリーエネルギーを実用化させて普及させるなら、そもそも風車発電もいらねーじゃんという疑問もありますけど、それは「安定的な供給を実現させるための予備電源です」という解答ということにしておいて、
そもそもですよ、フリーエネルギーというものが本当に実用化できるくらい技術的に発達していれば、この人が問題視しているもの、あるいは今の全世界の理知的な人々が社会的な問題としてとらえているものは、長いスパンの中で確実に解消されていきますよね。
経済的にせよ、
健康的にせよ、
人道的にせよ。
となると、
フリーエネルギーの実用化というのが、目下のところもっとも大きな課題じゃないですか。
でもね、
これ、あくまで僕の主観に過ぎないんですけど、
この映画の意図って、「フリーエネルギーの開放」にあるのではなく、
「理想郷の実現」ってのにあるのではないかと感じました。
これこそ価値観の問題なんでしょうけど、僕の脳みそで「科学者が理想郷を作りたいという想いを持って映画を作る」ということを想像すると、理想郷の素晴らしさを説くのではなく、フリーエネルギーの素晴らしさを説くのが先だと思うんですよ。
これは、「喋っている内容」の問題ではなく、「順序の問題」です。
まずはフリーエネルギーの素晴らしさを多くの人に知ってもらって、その上で、それを開放するために何が必要か。どういう障害があるか。どういう弊害があるか。その上でどういう利点があるか。こういうところに視点を持っていくべきだと思います。これが順序ってもんです。
ところが、
この製作者はプロセスの前にまず結論ありきでしょ。
「理想郷を作るためには、フリーエネルギーの開放が鍵だ!」と主張していますが、
そのフリーエネルギーが、利権構造に巻き込まれない根拠がどこにあるのでしょう。
フリーエネルギーの出現により経済が衰退して、それによって民衆の生活水準が一時的にとは言え暴落しないという根拠がどこにあるのでしょう。
好意的な解釈をすると、「利権構造に巻き込まれないために、現政府や資産家を駆逐しなければならない。特権階級の資本力を封じれば大丈夫!」という解答を脳内で再生できます。
じゃあ、
今の権力者を駆逐したところで、新しい利権が生まれない保証がどこにあるのか。
もっと言うなら、
この映画製作者自身がエネルギー利権に関わらない根拠がどこにあるのか。
さらにうがった見方をするなら、
「あなたは理想郷を盾に、新しい利権を生み出そうとしているだけではないのか」
こういうことになってしまうわけです。
もっと本音を言ってもいいかな。
率直にね、
「あなた、教祖にでもなりたいの?」と。
科学と人的あるいは物的証拠でリアリティを持たせた、新手のラエリアンムーブメントなのではないか。
こういう疑問を持たれる余地のない科学的根拠や構想を語ってもらえれば良かったんですけど、こういう大事なところにしつこいくらい言及されないってことに、不満や疑問を抱いたわけです。
まぁ、この映画を観て感銘を受けた人は、僕が想像している以上に多いのかもしれません。
これが観た人の判断に委ねられるところなんでしょう。
少なくとも僕は、
どんなものに対しても懐疑的で中立的であるべきだと思っています。
人間関係もそう。
女の気持ちもそう。
お化けとかUFOとか超能力とかもそうです。
理想郷はね、実現できればそれに越したことはありません。
でも、
それがなかなかできないってのがまた人間じゃないですか。
今の生活に満足している人達が集団で群れて理想を語るのは簡単ですし、そいつらだけの理想郷を形にするのもおそらくそれほど難しくはないでしょう。
良い友達や先輩や後輩、良い上司にばかり囲まれて、良い仕事があって、金があって、家族関係がうまくいっていれば、それだけで満足できる人って少なくないんじゃないかと思います。
そうはいかねーから人間社会なんですよね。
そして、経済的な問題もまた小さくはありません。
「その“経済”って概念をとっぱらえ!」なんて言ったらね、有史以来人類が持っていた概念を覆すことですから、それに対応できる社会なんてどこにもないんですよね。
このスライブっていう映画、
何かにすがりたい人が、宗教的な色眼鏡で見て、賛同して、藁を掴むように幸せを探そうとするにはいい素材だと思います。
だけど、
懐疑的な目と、中立的な目で物事を判断しようとする人間にとっては、
少なからず疑問が残る映画なのではないかなーと思います。
アルゴアの「不都合な真実」も、
結局一体誰にとって不都合な真実だったのかよくわかりませんし、
盲目的にスライブで語られる理想郷に追従するのも、
結局それが誰のためになることなのか。
わかる人にしかわからなくて、わからない人には一生わからないことなのかもしれません。
でも、
俺、こういうの好き。
好き、だけど、
こんな真面目な視点でこの映画を観ること自体が間違ってんのかな?
もう、社会って何が何だかわかんねーね。
(THRIVE Japanese) スライブ—いったい何が必要になるのか
新しいブログはこちらから。
無題
こんあんあ、シッキーなコースケです。というかおはよう。
ちょっと思ったんだけど、
「見詰め合う」って難しくない?
普通に誰かと見詰め合っても、
なんかお互いに相手の右目と左目を交互に見合ってさ、
すれ違いじゃん。
お互いが違う方向の目を見てたら、
それって見詰め合ってないよね?
見詰め合ってる風だけど、それって見つめ合ってる風すれ違いだよね?
人間って、目が二つあんでしょ。
たとえばさ、
あらかじめ「あなたは私の右目を見てね」って相手に伝えておくとすんじゃん。
でもさ、
じゃあ自分は相手のどっちの目を見ればいいんだっつー話だよ。
「お前、どっちの目で俺の右目見てんだ」っつーね。
これ、
お互いに片目を塞いで見詰め合うしか、本当に見詰め合うの無理じゃね?
スゲー難しいよ、見詰め合うのって。
悩みだよ。
あ、サイト 更新しました。
