地獄の釜の底が抜けた

 

 時々「地獄の釜の蓋が開いた」という言葉が使われているのを見かける。が、元々の「地獄に落ちた悪人ですら盆と正月は休みが貰える」という意味とは正反対の使われ方をされることが多く、違和感を覚える。そこで一般的に誤った表現とされるが「一度釜に落ちた罪人は、二度と浮かばれることはない」という意味を込めて、この言葉を好んで使う。

 

 金曜日(6/21)の朝、アメリカが日本を為替操作国に再指定とのニュースが飛び込んで来た。インフレが収束しないアメリカからすれば、現在の日本の金融政策は「いくら引き締めても日本に穴の空いたバケツがあるので、効果がでない」と思っているだろう。更にここ数ヶ月為替介入を繰り返している。優しいイエレン財務長官も遂に堪忍袋の尾が切れた、というところだろう。7月30-31日の日銀政策決定会合で政策金利を0.25%に引き上げ、日銀の国債買い入れ額は大幅に減額されるのは確実だろう。

 

が、このニュースを見て最初に口を突いて独言たのがこの言葉だった。これでアベノミクスとMMT理論は終焉だ。二度と戻る事はないだろう。

 

 予め断っておくが、故安倍首相を罪人呼ばわりしている訳では決してない。金融経済の世界ではシニカルでシュールな独特の表現が使われることが多い。それに倣っだだけだ。私はアベノミクスは理論としては評価している。2012年当時の岩のように固まった国内滞留資金を動かし経済を活性化させるには最も効果的なアプローチだったと今でも思っている。例えるなら「氷にお湯をかけて溶かし、国内経済を潤す水にしましょう」というところだ。お湯どころかバズーカ砲まで登場したが。

 

 しかし、その実装には問題があり、結果として「氷だと思ったら実は殆どがドライアイスで、溶けて国内経済を潤す水にはならず、雲散霧消してしまいました」というオチになり、気体と化したドライアイスは日本以外の地で液体になったのだ、と思っている。なお、これが安倍外交の強力な武器となったことは想像に難くない。外交の世界は最後は金と武力だ。その武器を手に国際政治の魑魅魍魎を泳ぎ渡り、日本を護ってこられたのはただただ賞賛に値し、非難など思いもよらない。

 
閑話休題はここまで。
 

ドル円がトマラン

 

 PCゲームSIMS4のやり過ぎで、頭の中がトマラン音頭になっている訳ではない。直近のドル円相場をおさらいする。GWの介入後150円台前半で落ち着いていたドル円は155円からじわり上昇、159円台まで円安が進んだ。160円はテクニカル要素もあって遠慮しているように見えるが時間の問題だろう。

 

円売り投機筋から以下を見透かされ、やりたい放題にやられているように見える。

  1. 米国の為替監視対象国になったから為替介入はもう出来ない
  2. 次の日銀政策決定会合(7/30-31)までは何もない
  3. 秋の自民党総裁選に向け政局一色になるから政治主導で金融・経済が動くことはない
しかし、円安方向のポジションが増えているのは投機筋だけではないと考える。
  1. 市場は、米国の利下げは時間の問題であと少しの辛抱だ、と考えている。先回りして米国に向かう資金が後を絶たない。
  2. 欧州中銀の利下げに対する市場反応は概ね良好。これにより、オイルマネーなど欧州起点の資金が欧州に還流し始めた(これには欧州の「もしトラ」対策という深謀遠慮もありそうだ)
  3. 7月末の日銀政策決定会合で政策金利が0.25%に利上げされ、国債買い入れ規模を「相応の規模」に減額するのは既定路線。よって長期金利上昇と円安を同時に先取りしている。もし中途半端な利上げと減額にとどまるなら、投機筋でなくとも絶好の円売り機会となる

 

 為替介入が出来なくなった以上、国内経済へのダメージと、物価と為替の安定を両天秤にかけ、しかも市場参加者が腰を抜かす位の大胆な金融政策を打ち出さない限り、財務省と日銀はかつての(ジョージソロス氏にポンド売りを仕掛けられ敗れた)イングランド銀行のようになるだろう。もはや痛みのない政策決定は不可能ということだ。

 

ルビコン川と地獄の釜の底

 

 今日(6/22)の朝、ロイター日本語版に第一生命経済研究所の熊野英生氏のコラムが掲載されていた。タイトルは「ルビコン川渡った日銀、追加利上げで支払う巨額利息

 

 地獄の釜の底とルビコン川、似て非なるものなのか、それとも異言同意なのか気になったので早速読んでみた。考えるヒントに溢れた大変良いコラム記事だった。雑駁に言うとほぼ同じ見立てで主語が違うだけだった。

 

 熊野氏は、日銀はこれまで月平均6兆円購入していた日本国債を、今後1-2年のテーパリング期間を経て最大月3兆円規模まで圧縮するのではないかという。数字は市場に最も近いところにいらっしゃる方の見立てを素直に聞くものだ。早速3兆円を起点にあれこれ考えてみた。

 

 月3兆円分の国債が0.25%程度の金利上昇(プレミアム)で消化できるかどうかは分からない。単純に新発国債が全部10年国債だと仮定、超単純に掛け算すると3兆円 x 0.0025 x 10年で750億円の期待収益。例えるなら、3万円定期預金に預けたら10年後に750円の利息がつきます、と言われたようなものだ。これで預金する人はいるだろうか。

 

 日銀が目標とする"2%の物価上昇"を基準にするならば、記事中で熊野氏も匂わせていらっしゃる通り、長期金利が2%を超えると思われる0.75-1.00%程度に政策金利を引き上げないと、国債の安定的な消化は無理だろう。下手をすれば国債市場は不安定化し長期金利が一気に跳ね上がるのみならず、現在の日本国債格付けA+からの格下げリスクも考える必要が出てくる。

 7月の政策決定会合で、米FOMCに倣って例えば「2年後に政策金利1.00%」のようなフォワードガイダンスを出せれば、市場も良い反応を示すのではないか。

 

 熊野氏は、4月のゼロ金利解除により、市中銀行は準備預金制度により日銀に預け入れた当座預金の受け取り利息0.1%が年約4690億円程度と見込まれるが、仮に0.25%に引き上げられれば約1.2兆円、1.0%になれば約4.7兆円になると試算されている。2022年度の銀行の総利益が約4.2兆円だから、これだけ見れば利益倍増、一方で銀行の不良債権処理も増えるだろうから引き当て金も積み増しされる。従って全銀行の年間総利益に匹敵する規模の利益と減損の両方が同時に発生する、と仰っている。

 

 熊野英生氏は、「日銀はデフレ経済からインフレ経済へのルビコン川を渡った」と締めくくり、これ以上の細かい話はされていない。後は投資家が自分の頭で考えろ、ということだ。

 

ありがたい、十分にヒントは頂けた。記事により得られた点は以下の通り

  • 利上げに伴う信用収縮の規模感が想像できた
  • 直近の銀行の具体的な行動が想像できた
  • 同時に政府債務への影響も想像できた

 

これをもとに考察を進める。

 

(1) 名目GDPへの影響

 

 政策金利に連動して長期金利が上昇すれば、市中銀行が日銀から受け取る当座預金利息は増えるが、同時に既発国債の減損処理も発生する。国内金融機関が保有する約400兆円の国債は、超概算だが額面 x 金利差 x 償還までの残存期間分だけ引き当て金を積み増す必要がある。

 

 現在の長期金利は0.97%付近。これが2%になるならば金利差は約1%だ。残存期間の平均を5年とするなら国内金融機関全体で20兆円規模の引当金が必要になる。仮に銀行はその半分の200兆円を持っていたとするならば引き当て金は10兆円だ。これを放っておくと銀行が潰れるから、その分ローンや貸出金利を引き上げ、貸し剥がしもするだろう。これらの信用収縮により最大10兆円がGDPから消える。一方預金金利の上昇によるGDP押し上げ効果は殆どない。個人レベルの話でいうと、賃金が物価成長率を下回り続けているから、住宅ローンの利払増加分は他の支出抑制でカバーするしかない。一方で預金金利の上昇効果は、貯蓄から投資への流れが加速している現在では微々たるもので試算するにも値しない。あるとすれば7-9月は銀行の金利上昇前の最後の駆け込み期間となり、不動産取引増などで多少GDPを押し上げるかもしれないが、その反動は10-12月期に必ず来る。

 

2022年の日本のGDPは4.37兆ドル。平均為替レートを本年6月の月中平均に近い1ドル155円とすると677兆円だ。その1.4%に相当する額がGDPから消える。2024年の日本のGDP予想成長率は0.3-0.7%だから、たちまちマイナス成長に転落する。もはや数字遊びでしかないが、名目GDPプラス成長を維持するには、ドル円は1ドル200円位必要だ。高橋洋一さんがこれに着目し「円安は日本経済にプラス」という論を主張しておられるが、円建てで評価されるべき実体経済と、ドル建てで評価される名目GDPの格差は拡大する。日本は「自国通貨(円)しか持っていない一般庶民は貧困に苦しむ新興国経済モデル」に戻るということだ。だから企業だけでなく富裕層を中心に個人も米国に資金を移している。

 

(2) 国債消化と政府債務への影響

 

 現在の国債発行残高は約1000兆円。これから発行する借り換え債は跳ね上がった長期金利に応じて表面利率を上げる必要がある。現在の長期金利は1%。これが2%になったら政府の利払いは単純計算で年10兆円増加する。現在の一般会計規模が約100兆円、予定されている増税は、防衛・子育てなど使途が決まっている。これら以外は横這いと仮定すると利払費捻出のため10兆円の歳出削減が必要となる。政府支出はGDPに直結する。歳出が10兆円減れば、先ほどの為替レートで試算すると名目GDPを約1.4%押し下げる。(1)で述べた信用収縮分の約1.4%と合わせて約2.8%の押し下げだ。

 

 この期に及んでMMT論者は国債はまだ出せるというが、円安と長期金利の上昇を加速させるだけだ。最悪1944-46年のハイパーインフレのようになるだろう。苦し紛れにドル建て債を発行する、という一時凌ぎもあるにはある。だが10年後の日本がどうなるかは論を俟たない。

 

(3) スタグフレーションの進行

 

 政治倫理の問題で政局が荒れており、政治が影響力を落としている絶妙のタイミングだ。骨太の方針は相変わらず渋い内容。既に増税への目処は立っているから、次は歳出削減ということだ。将来に禍根を残さないためとばかりに、政治家にも国民にも我慢しろと詰め寄る、恐るべし財務省(半分は誉めている)。もう政治家はばら撒きを公約にできない。日銀がバランスシート圧縮に政策転換した中で国債を増発しようものなら、円は更に売られ、長期金利も更に上昇する。日本の政治はその責任を取れるほど強くない。

 

(4) まとめ:新興国経済モデルへの転落

 

「(日本経済は)地獄の釜の底が抜けた」と「日銀はルビコン川を渡った」は主語が違うだけで同じ事をいっている。前者の主語は「日本経済」だが、熊野氏のコラムの主語は「日銀(および日本の金融政策)」だ。

 

 「ルビコン川」を私なりに咀嚼すると「アベノミクスでもてはやされたMMT理論は、その理論の通り通貨安とインフレにより終焉する」ということだ。が、口の悪い私は「国家レベルのポンジ・スキームが露呈した」と独言ている。アベノミクスは、その理論は素晴らしいものであった。が、実際の行動は砂漠に水を撒くが如く成長の見込めないところにばら撒き過ぎた。コロナ、輸入物価急騰などの事情はあったにせよ、キシダノミクスで更にその傾向は強くなった。例えは悪いが、痛い痛いという患者にモルヒネばかり打っていた。そしてモルヒネも尽きようとしている。

 

 この先、日本はアルゼンチンやトルコのように物価は上昇、自国通貨の価値がどんどん下がる国になる。思えばトルコもアルゼンチンも通貨危機の最初の兆候は、自国の富裕層が資産をドルなどの安全資産に逃避するところからだった。今の日本で起こっているのは正にこれだが、一時の救いなのは、中国が歪な経済停滞の状況[1]にあり、中国の一部の富裕層が日本に資産を逃避していることだ。アメリカに資産を置いておくといつ資産凍結されるか分からない[2]から、という理由はよく分かる。この流れはもう暫くは続くだろう。逆に言えばチャイナマネーの切れ目が縁の切れ目、ということだ。

 

[1] 中国経済は各種報道の通り不動産がボロボロなのに製造業がやたら良い。これは統計不正ではなく、ウクライナ、イスラエルなどの戦争特需の影響が大きいようだ。暫くはこの状況のまま推移するのではないか。

 

[2] なお、アメリカに資産の軸足を移しておられる日本の投資家も、このリスクについて考えるべきだろう。米中対立激化で日本の投資家も貰い事故、というのは頭の片隅に置いておきたい。日本から欧州に還流している資金の一部にチャイナーマネーも含まれているのではないかと想像する。

 

(了)