日蓮大聖人は久遠元初の昔に、修行をせずに凡夫身のまま即座に
「諸法実相は南無妙法蓮華経であり、南無妙法蓮華経は仏種である」
と開悟なされた御本仏であらせられる。
仏教の元祖と崇(あが)められる釈尊も南無妙法蓮華経を仏種として菩薩行をして、五百塵点劫の昔に仏果を成就した事を寿量品に説かれている。
そして番々に出世して衆生を化導し、インドに出世したのが最終である。
経文に
「仏に値遇(ちぐう)する事難し」とありますが、迹仏であっても無数劫に一度しか現れません。
ましてや『一大事因縁』の教えのごとく、世に出現の御本仏においておやです。
この原理は、例えば大会社の社長が作業現場に気軽にヒョコヒョコ現れはしないし、また総理大臣や天皇陛下が気安く訪問して、家人に「よう元気か」などと、気軽に言葉をかける事はまずない。これと同様に、御本仏が出現する事は無数劫に一度と説かれています。
日蓮大聖人は
「五尺の体の様相も一尺の顔に現れ、一尺の顔も一寸の眼に現れる」と。
故に広漠(こうばく)とした宇宙の中の地球に御本仏が出現した訳ですから、地球は宇宙の中心である。
その地球の中でも日本に御出現なされたので、日本は地球の眼目に当たり、日蓮大聖人の仏法は善悪を判断する頭脳である。
日蓮大聖人は御入滅に際して
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり、日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」
と仰せられて、
出世の本懐である戒壇の大御本尊様を御図顕あそばされて、末法万年(永久)までの衆生を救わんがために、日蓮大聖人の御法魂として遺されております。
御本尊様を拝しますと、南無妙法蓮華経と大書された真下に日蓮在御判と認められております。
故に日蓮大聖人の別名を南無妙法蓮華経仏と申し上げる仏様なのです。これを信じられるかどうかに依(よ)って幸・不幸が決定します。
私共は御本仏の教えを学び、修行している訳ですから、実に有り難く如何(いか)に福運があり、素晴らしい事であるかを自覚しなければなりません。
御書に「謗法の者や仏道修行を怠(おこた)る者の来世は、動物や魚鳥に生まれて一時も心の安まる暇(ひま)がない」とあります。
テレビでよく野生動物・海洋生物・昆虫等の生態を放映しておりますが、私はそれを見るたびに「人間に生まれて、まして御本尊様にお逢いすることができて値(あ)いて本当によかったと」とつくづく思います。
そして御本尊様に感謝し、来世もまた御本尊様にお値(あ)いしたいと、渇仰恋慕をいたし弛(たゆ)む心を自ら叱咤激励(しったげきれい)しております。
来世も人間に生まれて御本尊様に値える様に、そして皆様と共に広宣流布のお手伝いをさせて頂きたいと念じている今日この頃です。
