供花

「ご臨終です」と告げるあのシーン

病院で医者が患者の瞳孔にライトを当てて「ご臨終です」と告げるあのシーン、その日に見るとは思っていませんでした。亡くなったのは母で、58歳という若さでした。1年前にステージ3の肺がんと診断されて、余命宣告も受けました。タバコも吸わない、毎日買い物には歩いて出かける、規則正しい生活週間を送る、という健康の見本のような母だっただけに「なぜよりにもよって私の母が?」と思わざるを得ませんでした。

「ありがとうございました」としか・・・

しかもステージ3となると回復の見込みは絶望的でした。母は我慢強い人で、多少の苦しさや痛さで周囲に訴えることはありません。それがたたって、ステージ3という状態まで進行してしまったのかもしれません。診断されてから亡くなるまでの約1年間、母はとても頑張って治療に耐えたと思います。辛い検査や抗がん剤治療も泣き言ひとつ言わずに受けていました。一度、腫瘍の摘出手術を受けましたが、それがすでに転移していたことを知った時も医師に「ありがとうございました」としか言いませんでした。

「肺がんにならなければもっと生きられたはずなのに」

その母の瞳孔反応が消えた時、私は呆然としました。あんなに頑張ったのに報われないで、そのまま死んでしまった母がかわいそうでなりません。姉も父も、黙って泣いていました。泣いてばかりもいられなくて、病院からすぐに病室からでなければならないことや、死亡届けの話などがポンポン出てきました。姉と父と、以前からもし母が亡くなったら葬儀社はどこにするか、搬送はどこに頼むか、緊急連絡先は、など一通り用意しておきましたが、いざとなると気持ちが追いついていかずに心が取り残されたようになってしまいました。役所で死亡届けを出すまでは、まだ母が死んだことが実感できませんでした。こんな紙切れで母がこの世からいないことになったというのが、不思議で悲しくてよくわからなくなりました。

 

「肺がんにならなければもっと生きられたはずなのに」という悔しさしか、今はまだ感じることができません。