弱々しくなっていました。簡単なあいさつをすませ、
事前にプロデューサのほうから、60年前のあの事件の
真相について聞くように言われておりました。
ただ、わたしにとって小隊長は、本当に尊敬する方
でしたので、大変緊張し、うまく言葉が伝わらなかった
ところがあったかと思います。そして、私が玄関に入った
ときからカメラが回り、奇妙な静寂が漂っていました。
そして小隊長は、あらかじめ用意してあった紙をとりだし、
私に呼んでいいかと言われました。
そして一気に読まれました。
収容所で一人孤独と闘っていたこと。
部下を無事日本へかえす責任とソ連からの過酷なノルマに
苦しんでいたが、弱音をはくわけにはいかないこと。
そして思いあまり、一人、丘に登り飛んでいる雁にむかい
叫んだのでした。
雁よ雁よ・・・。
もし、おまえが日本へ飛んでいくのだったら伝えておくれ・・。
俺は、こうやって生きてるんだと・・・・。
静寂広がる部屋に小隊長の心からの声が鳴り響きました。
ずっと60年も小隊長は、この言葉を温めていたのでしょう。
ご家族にも話せず、話せる相手を捜されていたのでしょう。
この紙を読み終えるや、またもう一枚紙をだされたのでした・・・。
上の画像は、現在のイリティッシュ河・上流ダムの様子。このダムは、もともとはソ連が満州・豊満ダム(当時東洋一の規模)の機材をまるごと盗んできて日本人、ドイツ人の手によってつくられました。小保さん・吉山小隊長が採石した岩は、このダムの基礎と手前の工場の基礎として
使われました。(ちょっと見えると思います。これを見たとき嬉しかったです。)
今現在、このダムは幾度の改修を経て立派に稼働しております。私たち日本人は、多くの先祖が
立派に他国の社会資本の構築を行い、大いに貢献されていたことを誇りに思い、生きてゆかねば
ならないと思います。