比喩で丁度いいものがあったので。
カメラマンと被写体は現実としては互いに兼任し合えるのですが、あくまでも"比喩"なので、なんの比喩なのか考えてみて頂けると幸いです。
カメラマン側の人間は所詮裏方であり決して被写体にはなれないしなろうとも思えない。
被写体とカメラマンが互いに兼任し合えるなんて望んではいけない。
それはカメラマンが望むには余りにも手の届かない高い所に置去りにされていて手にすることが出来ないから。
そして万が一それを手に入れられる所まで進むことが出来た場合、その時カメラマンは既にカメラマンではなくなってしまっているから。
決して私の世界では存在を可視化できない、そんな美徳が赦されているのは人の頭の中から飛び出した世界達だけで。
それが苦しいか苦しくないかと聞かれたら間違いなく苦しいし、哀しくないと言ったら嘘になってしまうけれど、それでも私は自分と世界を切り離していろんなものを捨てる覚悟が出来ない。
では互いに同じ立場になればいいと思うかもしれない。
けれどそれは論外の結論を出す以上の事は出来ない。
被写体同士では互いに写る側にしかなれず、レンズがないので何も写せないし残らない。
一方カメラマン同士では被写体が不在故同じカメラマンを撮るしかないがそれに面白味は一切無く、あるのは同じことしか想えない映し鏡のようなもの。
結論として両案共に愚問になる。
でも私には赦されないそれを叶えている人は沢山いて。
人間(ひと)って、結局最後に許さなきゃいけないのは自分自身なんだろうな、と今はただ思います。
私はまだ、自分を許す事は出来ない。