私が3年間引きこもっていた時、




自信というもの
自尊心というもの
自己肯定感というもの




ほぼゼロだった。





毎日罪悪感にまみれて
毎日息苦しく
居場所も逃げ場もないような
気持ちだった。




そこから
数ヶ月間の間に
引きこもりから脱した。





そして十数年後の今に至る。






はて?どうやって脱したんだっけ。







と思い出してみた。






ああ、そうだ、
発想を逆転させたんだ。






引きこもって3年が経った時、
父がもうすぐ定年退職になることを知った。





その時、
父に養ってもらうのは
もう無理なんだと改めて感じ、
私が自立して父を支えなきゃならないんだと
それまでで一番危機感を感じた。





もうなりふり構ってられないかもしれない、
と思った。
今動けなかったらこの先もっと動くのが辛くなるだろうと思った。






だけど今さら外に出るのが怖い。
社会に出るのが怖い。





しばらく葛藤し
かなり追い詰められた。






普通になれない、
普通じゃない、
人間失格なダメな自分を責めに責めた。







落ち込んで
落ち込みが底をついて、
落ち込み切ったところでふと、
学生時代の友達の顔が浮かんだ。







そして家族や
亡くなった祖父母や母のことを考えた。







あれ?
おかしいな。




「普通になれない
普通じゃない
人間失格な自分」なら
生まれてから一度も友達なんてできないはず。








ダメダメでどうしようもない
妖怪みたいな私なら、
祖父母も母も父も姉も
早々に私と縁を切っているはず。










それなのに
私には
たくさんじゃないけど
学生時代ずっと友達がいた。






私のことを面白いと言って
側にいてくれた友達もいたし、
ノロマでマイペースでドジな私を
しょうがないなといいながら、
いつも世話を焼いてくれる友達もいた。






自信ない私が
唯一自信を持って言えること、

それは
私の周りの人はみんなすごい、だった。





私は不器用でコミュ障で
勉強もイマイチ、運動能力はゼロ





だけど、不思議なことに
私の周りにはすごい人ばかりいた。






友達や家族・親戚も含めて
勉強ができる人や
コミュニケーション能力が高い人
運動神経がすごく良い人
あるいはその全て兼ね具えた人





私自身の基礎レベルが
低すぎるのかもしれないが
すごいなぁ
素敵だなぁと思う人が多かった。
特にコミュニケーション能力が高い人が
とても多かった気がする。

 



それは私がコミュニケーション能力が低すぎて
コミュニケーション能力が高い人じゃないと
私とまともにコミュニケーションが取れなかったということでもあるが…真顔






とにかく私の周りの人はすごいと思っていた。
(今も思ってる)
それに比べて私は
なんでこんなにポンコツなんだろう。。













真顔









いや、まてよ真顔








そんな素敵な人たちが
わざわざゴミみたいな私と
友達や家族でいてくれるほど
みんな暇じゃないよね?






私が私をゴミ扱いするのは
私にわざわざ時間をかけてくれた人達に
超失礼じゃね?





私には普通に素敵な友達と家族が
普通にいて、
その人たちがいてくれたのだから、
私も普通でいいんじゃね?




みんなよりちょっとポンコツだけど
それでもみんな側にいてくれたんだから
きっと社会のどこかでも
私が普通にいれる居場所があるはずだ!








きっとそうだ!
そうじゃなきゃおかしい!
だって祖父母が可愛がってくれて
父と母が一生懸命養った私が
姉や優しい友達が側にいてくれた過去が
間違っているわけがない。






そこだけは
何故かとても信用できた。






だから、
今の私にはなんのステータスもないけど
それだけは信用できるものがあるから
この価値を信じて、
というか、この価値を御守りにして、
一歩踏み出そうと思った。





外に出たら
優しくない人が
酷いことを言うかもしれない。
バカにされるかもしれない。







それでもいい、
それでもいい、
繰り返し言い聞かせた。






何にもないこと、
何の武器も持たずに、
傷つきやすい自分のままでいること、
それが
私の唯一の武器だった。







長くなったので続く。。。