9月4日、娘が右肺膿胸で入院になりました
娘が入院の時は、いつも私も一緒に付き添い入院です
病気の義母を残しての入院、家のことが心配でしたが、今は娘に集中するぞと
頑張った入院でした。
入院直後はドレーンを入れての膿の排出治療でしたが効果が無く
12日、膿胸搔把の手術を行いました。
肺はハチの巣状になっているとのこと、きれいに搔把するのは難しいらしく
毎日、洗浄とレントゲン、リハビリを頑張りました
炎症反応が22と高く、貧血もひどくなったので輸血もしました
9月19日、義母の定期の腫瘍マーカーの検査日、家での義母は食欲がなく
脚も弱ってきていました。
私は、主人に娘をお願いし、義母の受診に付き添いました、
そして先生に、娘が退院するまで義母を入院させてほしいとお願いしました
先生からは、娘さんが退院する頃は、義母は医療が必要となり家での生活が難しくなっている
と言われました。義母は肝臓がんです。
病院では、家の事情で入院は難しいと言われましたが、数日の入院後転院させるということで入院でき少し安心できました。
娘は、9月30日に再手術となりました
この手術は、呼吸器外科からは結果は同じだろうとの意見があったとのことでしたが
当初、術後の結果が思わしくなかった時から、再手術をするだろうと聞いていたため
私たち夫婦は、再手術に期待していました、
ドクターからこれからどうするかと選択をせまられ
私たちは、結果が今より悪くならないのなら
この手術にかけたいとお願いしました
結果は、前回と同じで変わりませんでした
その頃、義母は次の病院に転院したのですが、せん妄や認知症が酷くなり
病院から、家に帰るか、施設に行くか決めてほしいと言われました
義母は介護認定が支援1だったため
これから帰っても、施設でも介護にならないと不便なため区分変更申請をすることし
義妹と病院から紹介された施設を見学に行きました
(2024年)
10月8日、義母は退院し、自宅へ帰りました
時間がない義母のこれからを何度も話し合い
最後はどこで終えるのか、私たちの選択は、看取りの施設でした
家に帰ってからは、
訪問看護師が一日3回、ドクター週一回
昼は、義妹が来れる日は来てくれて
夜は、義弟夫婦が一緒に食事をしてくれて、助かりました
娘は、10月20日に退院できました
肺は片肺白いままで、酸素は92~95程度ですが
回復できました
義母は、日に日に弱っていきました
誕生日が10月26日だったので、この日を家で迎えて施設へ移動することに決めました
ですが、呼吸が不安になり25日に施設へ行くことにまりました
誕生日会は、施設で行いました。88歳になりました。
この日から持続の痛み止めが使われ、痛みが少しづつ楽になった様子で
眠る時間が増えていき
誕生日から10日後、家族に見守られ息を引き取りました
明日は初七日
一緒に暮らして30年、強い義母でしたので嫌いな思いをしたことが多かったですが
今は、不思議と懐かしい良い思い出しか思い出せないのが不思議です
庭を眺める後ろ姿、お気に入りの写真です
入院中、ラインに送られてきて、涙が止まらなかったです・・・・
義母さん、ありがとう![]()




