第1章 不動の神

 

七月七日 午後六時十三分 東京六本木 

テレビ夕日屋内 お膳専門店「田畑」

 

 

「いつの時代も「金は天下の回りもの」って言いますよね。あの時はその事についてずっと考えていたんですけど、「とある学校」に置き換えた瞬間!一瞬にしてある事が脳裏を過ぎったんですよ!それというのが、数々の彫刻と豪華で大きなホール、使われない教室の多さと謎のイベント会場。電車内には一面に広がる我が校の広告。こんなにも「無駄」が感じられる瞬間が「あの学校」には沢山あった訳です。そう、私は「あの学校」に対して、そこまでの思い入れは無いんです。こんな感じに悪口を叩いてる位ですから、罰当たりもいい所ですわ(笑)。」

 

「まぁ、学校ってそんなもんじゃないですかねぇ?目標持って真面目に通ってる人なんかほんのひと握り。後は進路で何となく「大学」を選択して、時間を先延ばしにするみたいな感じだと思いますよ。大卒出ないと取ってくれない企業を一から十まで調べ上げて、そこを目標にして動いている大学生なんて、そんなに居ないですって。で、キャンパスの愚痴や大学の先生の愚痴を詳らかに話すわけでしょ?山本さんも、色々考えていた所はあるんでしょうけど、ここまでは流石に考えないでしょ?」

 

「そうですねぇ、仰る通りかもしれません。特にしっかりとした目標を掲げていたという事はありません。ただ、専門学校という特殊分野の機関、焦点を絞り切ったこの進路の確定では、大学生より明確な目標が無いと、進学をする意味が無い訳ですから、そういった点では、目標の明確さに関しては、しっかりとしたものがあったかもしれません。でも、「あの学校」は何か違かった。

 

名高い学校だけれど中身が無い。だからこそ、自ら動いて自ら中身を作っていく訳です。時には目の前で失敗を演出して、「本番」に向けた最終確認の肉付けを行っていく。そしてあっという間に二年が過ぎた後、その「本番」を迎えて「あの『場所』」を後にする。

 

入って2週間を過ぎた頃には、自分の中で「終わったな」っていう感情が芽生えていたのかもしれません。だからこそ、そんな気持ちが先行するあまり、先へ先へと身体が勝手に動いていました。気付いた頃にはバイトをしていた。気付いた頃には業界に足を踏み入れていた。気付いたら少しだけではあるけど、「仲間入り」を果たしていたのかもしれない…。

 

でもね、もっと遡れば、「終わったな」という感情を抱かない為に、自分は最後の最後まで「大学」という道を歩いていたはずなんです。

結果、大学は行かず「あの学校」に通うんですけどね(笑)。

で「終わったな」という感情を抱いちゃうんですけどね(笑)。

 

態々、指定校の枠を蹴って「受験で入学するんだ」とか、「実力が伴う場所で努力するんだ」とか、色々大口を叩いてね。で、時折夢は、「脚本か演出」をやってみたいだとか、それが無理なら、「ディレクター」になって作品を作っていきたいとか、それもダメなら、「編集マン」になって映像の世界に携わりたいとか、それも叶わないのであれば「広告業」で働いて、少しでもその業界に近付いていたい…とか……。

 

そんな人生設計を、するだけしていた自分は、滑稽な姿として映し出されていたのかもしれない。

結果的に「浪人」を許されなかった為に、大学は諦め、専門学校の手続きを足早に進めた。映像系となるとT専かN専か。大きく括ればどちらかの選択となる。そして、ボクは封筒の良さから「N専」の道を選択したのだ。その時パンフレットには、理事長と校長の写真が掲載されており、あのパンフレットにあった理事長の写真は、「健康的なおじいさん」の印象をそのまま受けたのである。しかし、それは1つの虚構であった。僕は騙された。いや、他の人も同様に騙されたのではなかろうか?

普通はパンフレットを開けて、校長や理事長の写真が掲載されていれば、その写真をそのまま脳にインプットして、入学式や式典諸々で登場する姿を想像するであろう。誰しもがあの写真の姿で登場する、そう思うのだから…。それ以外の想像なんてする余地も無い。ところが、「あの学校」は違っていた。我々の、ある種「期待」を裏切ったのですよ。あの写真は嘘だった。いや、厳密に言えば嘘ではない。「今」と「写真の頃」のギャップがあり過ぎて、つい「嘘」だと言ってしまいたくなる。そんな感情にさせてしまう、言わばマジックのようなもの。

 

今でも、理事長並び校長の写真が掲載された月報冊子が届くんだけど、そこに掲載されている写真は、当時見たパンフレットの写真と全く変わらない、元気な頃の理事長なんです。つまり使い回し…。じゃあ今の理事長はどの様な姿、状態なのか?無論、それは、「ヨボヨボのじぃさん」そのもの。一代で築いたという「あの学校」は、このじぃさんによって成されました。あの面影は今や何処へやら…です。なんだか寂しいもの。「老い」というものをその理事長から感じ取りましたよ。

ここまで学校のエピソードについて1つも触れていない訳です。取り敢えずこの理事長のお話を聞いて頂きたい訳です……。」

 

「山本さん、話長いっすね(笑)。大学受験の志から専門学校選択からの「終わったな」発言まで、様々な葛藤があったんですね~。まぁ、誰しもが通る道なんですよね~。ところで、パンフにあった理事長の話…。ホントですか?」

 

「嘘だと思うだろ?俺だって「ぜぇ~んぶ、ウッソ」って言いたいさ。でもこれは現実なんだよ…。嘘じゃないよ?まぁ、この間のラーメン店での話、ラーメン頼んだら蕎麦が出てきちゃったっていうしょうもない嘘話はあったけれども、今回のはホントの話だよ。」

 

「なるほど。いやぁ、何でそんな事聞くのかって、今回のお話っていうのは、ご存知かと思いますが「テレ夕65周年企画」ですからねぇ。流石に盛り過ぎちゃうと各方面から批判が飛び交いそうで(笑)。まぁ、どんな事をしても、批判は飛び交うものだと思っているんですが…(笑)。ただ、つかなくてもいい所に火がついちゃうのは勘弁なので(笑)。決して疑っている訳では無いんですけど、今回背負っているものが…大きいですからねぇ~…。」

 

「大丈夫大丈夫。「現実と虚構の狭間を行く」って決めたからさ。その事がホントかウソかなんて、視聴者が決めればいいと思っている。見る人が「記憶の海」へダイブして、あの頃の学校生活をみんなで思い出し、共有し合えばそれでいいんだよ。

子供達なんかもそう、現状として再び学校は「詰め込み教育」になりそうだけれども、いつの時代も「先生は先生」。「変わった人は変わった人」。

 

「あの先生おかしいな?変わった人だな~。」

 

って思ったあの感情が、決して間違いでなかったんだと思ってくれるように、「僕らは正しいんだ。だから大丈夫なんだ」っていう想いが、今の子供に伝わればそれでいいんだよ。悪いけど、正直自分は数字なんて気にしてないよ。僕はね、100人の中で1人が笑ってくれればそれでいいんだよ。その1人の為に笑える番組を作る。そうすれば自ずと人は集まってくる。長い年月は要するかもしれないが、それはいつか大きな華となる。作品が昇華していく。だから、あんまり気を負わずに、リラックスして、この番組をやっていこうって!勝手に思ったんですよ。」

 

「なるほど…。視聴者に考えさせる番組ですね?視聴者の立場になって考えるか~。どっかで聞いたなぁ~。

そうですね、何かキー局で勤めていると、その気持ちが薄ら薄らと消え去って行くんですよね。その度に、ネット放送は良いなって感じるんですよ。キー局も似た様な事やってますけど、結局二番煎じなんですよね。大元の「放送」がしっかりとしていないと、そのコンテンツも大して効果を発揮しませんからね。ニッコリ動画で放送していたシロガネさん、あ、もとい山本さんの姿、何だか楽しそうでしたし・・・。」

 

「そうかい?(笑)嫌な時は嫌だなって思って放送してたよ(笑)事故もあったし。流石に毎日楽しくは出来ないからね(笑)。でもまぁ、色んなリスナーさんがリアルタイムでコメントを打ってくれる事は、確かにテレビでは実現出来ない事だからね~。この事に関しては、僕はネットでしか出来ない一生もんだと思うなぁ。ネットが寸断されない限り、どこまでも続く世界だからね。みんなで今を感じる。でも、そういった意味では、テレビの方が先行している様に見えるけどなぁ。

ネット配信の放送なんて一辺倒の情報を掻い摘んでやっているだけですからねぇ~。時にはというか、しょっちゅう間違える事もある。間違いだらけの中、同じ様な考えの人、同じ様な雰囲気の人が集まって、保守的な放送内容になっていく。そんで間違いがかき消されて、そのまま時間だけが経過していくんですから。数十日したらもう通常運営に戻りますよ。一時の出来事は一時で終わってしまう。そんな感じで文化の復古と衰退を繰り返しているんです。もはやそういった放送は淘汰されてますからね~。

そういった意味で、テレビの方が余程、情報が多くて、正確で、安心で、お手軽だからね。伝え方次第だと思うよ。まぁ、両者善し悪しは必ずあるもので、そこの埋め合わせを出来れば、一大事業という形で、変化を付ける事が出来るんでしょうけど、どうなんでしょうかねぇ~。今こうやって好き勝手言ってますけど、きっと日本じゃ一生できない様な気がします。ネットはネット。テレビはテレビ。今や「放送分野」がネットにもだいぶ浸透していますからねぇ~。」

 

「そうですね~…。

あ、もうこんな時間だ。

今日はありがとうございました!色々と参考になりました!それじゃあ、その「理事長の話」が「第1章」という形でいいんですね?」

 

「うん。それで頼むよ。一応15章まで続く予定なんだけど、帯もらって大丈夫なのかな?(笑)」

 

「勿論!その為の一般公募なんですから!帯番組を一般人の方に担当してもらって、約半年間の契約の下放送を行う、未だかつてない周年企画なんですから(笑)」

 

「ホント、他人事というか、なんというか・・・。凄く思い切った企画だよね。テレビがより近くなった感じがするよ(笑)」

 

「ありがとうございます(笑)。それではまた来週お話を聞かせて頂きます!あ、来週はスタジオの様子をご覧頂こうかと思っているんですが、お時間宜しいですか?」

 

「お!もう完成なの?いいね~。行かせてもらうよ!」

 

「わかりました。では来週お会いしましょう!」

小柄の若き青年プロデューサーは社屋の中へと姿を消した。

壁には「節電中」という大きな貼り紙が大々的に貼り出されており、中は全体的に暗くなっていた。目が悪くなりそうだ。節電する位なら、深夜放送を止めてテレビ局の電源を落とした方が余程マシである。ホントいつの時代もお金の使いどころに大きな間違いを犯している。節電したって大して電気代が減る訳でもなかろうに・・・。

ホント、「あの学校」と何ら変わりない。

今思えば「あの学校」の方が余程、湯水の様に使っていた気がするなぁ………。

 

8年前のある日、

「理事長って「不動の神」だよな。」

「なんだそれ(笑)」

「だっていつも動いてないじゃん、あの人。」

「まぁ、確かに」

「あの人、動いたらどんな事になるんだろうなぁ…」

「どうにもならねぇよ(笑)普通に動いて終わりだろうよ(笑)」

「そうだなっ(キリッ)」

「オイ、それやめろ(笑)使いすぎ(笑)」

「そうだなっ(キリッ)」

「しつけぇよ(笑)」

空想の世界はここから生まれた。いつものラウンジで、他愛のない話からポッと浮かんでくるのだ。

 

彼は動じない。蒲田にあるタワー校舎の20階に、彼の居場所は用意されている。そこからの景色はどの様なものなのであろうか。「蒲田」という地を治めた、まるでお殿様のような気分なのであろうか。その真相は彼しか知り得ない。

そのタワー校舎のせいで周辺の環境は激変していた。そう、まずは風が強いという事。蒲田に通う「若きホープ」はまず、この「風」に悩まされる。春夏秋冬。季節を問わずに風が強い。風が穏やかであった形跡は一回も無いのである。幾ら髪をセットしたところで、強風に煽られてしまい、乱れまくった挙句とんでもない姿へと成り変わる。風が強いと肌も荒れる。現に山本という男は、風のせいで肌が荒れた被害者なのだ。冬の時なんかは最悪である。保湿クリームを塗った所で、その強風で全て吹き飛び、クリームの痕跡が無くなってしまうのだから!

 

そんな事を知ってか知らずか、彼は今日も20階の「天上界」にて蒲田の街を見下ろすのである。そして彼は蒲田だけでなく、遥か遠い八王子のキャンパスにも足を踏み入れる。あちらの方は遠い代わりに、自然豊かな場所となっている。山を切り崩して出来たそのキャンパスは、これでもかという位に大きく、強風の恐ろしさを感じさせない、穏やかな場所となっていた。

緑が茂り、気温が低い。都会の雑踏から解放された八王子校は、きっと持ってあの理事長もお気に入りの事であろう。夜になれば辺りは一層に暗くなる。それはこの八王子周辺も、まだまだベットタウンというよりかは「田舎」の部類に入る場所なのだから。新宿に出るのに大凡1時間はかかるであろう。それも中央線快速で1時間程だ。働く人より住む人の方が割合は高い。故に立ち並ぶ店も食品系とホームセンター、そして大きな駅ビルに集中して入る複合施設である。市電が通っている所だったはずだ。だから、その複合施設というのは大きいものではない。かなり小さいものである。駅ビルとも言ったが、高台にあるから高い様に見えるだけで、実際は4階位までの小さなものだったように思える。何れにせよ田舎に変わりは無いのであろう。その点はあの理事長もご理解されているはずだ。蒲田の方が余程都会であると。そして、蒲田にある20階の景色は、八王子校を幾ら高台に設置したとしても、蒲田を超える様な景色は生み出せない。蒲田には蒲田の良さがあると、理解されていることであろう。

 

それでも彼は尚、じっとして一点を集中して、何処か遠くの世界を眺めている。我々には決して見る事の出来ない世界を、彼は見ているのかもしれない。それは、実際の目ではなく「心眼」という身体の内に宿った、誰しもが持つ「第三の目」である。必要になった時だけに、その「目」は開眼する。理事長は誰よりも早くその「心眼」を開眼させ、あの蒲田校を築いたのであろう。そしていつも「心眼」でもって僕達の風で煽られる姿を見ているのであろう。蒲田校によって生み出された「負の遺産」を償う為に、自ら「心眼」を開眼させ、我々の心奥深くに眠る魂と同期させて、目の前に映る状況、その人が思っている感情等を読み取り、それを「償い」という形で日々の「不満」を消化しているのではなかろうか。きっと理事長のお陰で、平和で健やかな学生生活を送れたに違いない。

それはきっと、彼が天上界に一番近い存在だから。

だからこそ、あの「技」を駆使して、僕たちを見守っていたのではなかろうか……。

 

軽い晩飯を済ませた後、私はテレ夕を後にした。

テレ夕の晩飯は美味い。特に鶏肉関係は絶品である。目の細い、毛深いコックが作る「麺ソ~レチキン」は正に絶品。今日の昼ご飯にも食べたその料理は、沖縄のソーキそばと鶏肉を醤油ベースで和えた冷麺。この季節にはまさに「ジャスト・ミート!」なのである。

 

タクシーに乗って帰る途中、ふとこんな事をまた考えた。

理事長は「あの学校」の20階で、宇宙と交信をしてるんじゃないか?と。まぁ、馬鹿な話であるが聞いて欲しい。

 

蒲田の周りには20階に相当する建物はあまり存在しない。近いものでは商業施設と複合になっているコミュニティセンター位じゃなかろうか。高い建物が「あの学校」しか無いのだとすれば、きっと宇宙からの来訪者はそこに着陸し、理事長に会いに行くのではなかろうか。そして理事長はその来訪者に「一週間理事長」の権利を授け、当の本人はバカンスを楽しむといった仕組みではなかろうか。そうやって日々の負担を削減しているのであろう。余生をバカンスに費やす。良い事ではないか。理事長だってバカンスはしたいだろう。誰にも気づかれぬ事無く、そそくさとハワイやグアムへ専用機を使ってひとっ飛び。理事長が暖かい国で楽しんでいる中、蒲田は冷たい風に晒され、若きホープの苦行が続く訳です。「年寄りを敬う」というこの言葉を武器に、理事長は今日も、蒲田の街を見下ろすのでありましょう。そしてそれを支える校長は、否応でも理事長の座を獲得する為、日々の業務に行脚するのです。理事長の武陵桃源を実現するより、校長が提示した「理想郷」の方がもっと現実的だ。「効率」を重視した学校生活。それを提示した校長は、まだ学生の目線に立って物事を考えている様に思う。歳を取るということは、知らずしらずの内に幻想に苛まれ、現実と取り違える様な、そんな気分にさせてしまうくらい、恐ろしいものなのかもしれない。云わば悟りを開くという感覚に近いものがあるとするならば、理事長は20階のあの場所で、常日頃天に向かって悟りを開いているのかもしれない。だとすれば、あの理事長は常に悟りをバンバン開きまくっている様に思える。あの穏やかな顔が全てを物語っている。彼のその顔から滲み出る、数々の「歴史」が、僕達の「心」の根底を奮い立たせているのかもしれない…。

 

とここまでは全て想像上の理事長なのである。見る事ができるのは式典だけ。しょっちゅう見られる様な存在じゃないのだ。だからこそ、我々の中では、半ば小馬鹿にした様な「理事長神格化計画」を遂行することもあった。

その計画には、既に決まっている事がある。第一に彼は動かない。

言うなれば、正に神なのである。それも不動の神。一切を動じずに、あの背の高い蒲田校にどっしりと構えて、街並みを眺める。向いている方角も東京方面に向いているから、目を凝らせば東京コスモツリーや、東京電波タワーを見る事ができる。テレビ夕日は背の低い建物だから見る事は出来ないが、近くに聳える十二本木(じゅうにっぽんぎ)ヒルズは見る事が出来る。汐流(しおながし)の方面を向けば、日乃丸テレビが、お段場方面を見れば、ブシテレビ(通称武士テレ)を見る事ができ、社屋の中央にある刀形の展望デッキ兼スタジオをも確認できるのだ。

彼は東京を掌握したも同然。街を治めた1人として数えられるに違いない。

 

そして、ここからは僕の空想だが、理事長は右手を天に上げるだけで、世界をコントロール出来ると信じている。これは勝手に、そう信じている。彼はその黄金の右手を天にかざすと、煌々と光が集まっていき、世界が白い光に包まれる。そして、何事も無かったかの様に我々は現実の世界へと引き戻される。そして何も変わらない現実世界を過ごしていく中で、唯一変わった人物が何を隠そう、「理事長」なのである。理事長は「心眼」で人の心を見る事が出来るのではないかという仮説を立てていたが、その仮説は本物であったのだ。彼は世界中の人々の心を一挙に受け止め、それに対する的確な解答を促すのだが、それを全て脳波によって送り出しているのだ。そんな神の存在に近い理事長は、蒲田と八王子を行き来したり、専用ジェット機を使ってバカンスを楽しんだり、宇宙の来訪者と意見交換をしたりと、多忙な日々を過ごしている訳である。そんな神的な存在を近くで見続けていた男が1人いる。そう、言わずともわかるかな、校長の存在である。

彼は彼のとてつもない能力に惚れ込み、彼の遺伝子を自らの遺伝子に組み入れようと企んでいるに違いない。だから、偶に起こる「噴水着水事件」。あれは校長が理事長の遺伝子を生きた状態で組み入れるための秘策である。20階の高さから理事長を意図的に落下させ、校長がすかさず理事長を傷つけずに獲得する荒技。最後はお約束、「獲ったど~!」と叫びながら、「ウラララララ~」と雄叫びを言い放ち、蒲田の最上階へと帰っていく。この事件はもっと先の話なので、今はここまでにしておこう。

 

そんな事を頭の中で巡らせ、考えていたのだから、大好きなアイスクリームを買い忘れる事だってある訳で…。また抹茶アイスを買い忘れたのだ。いつも帰りに買おうと思っても、つい忘れてしまう。忘れるくらいなんだから、きっと食べたくないんじゃなかろうか。食べなくても死にやしない。

 

車内ではおじさんと喋る事もなく、ただただぼーっとする時間となっていた。何もしない時程、「理事長話」を始めとする数々の「空想話」を考えてしまいがち。僕の悪い癖である。

さて、こんなにも理事長の話をしておいてアレなのだが、実はあまり理事長の顔というものを見た事はない。しっかりと見た事もないし、キチンと会った事もない。ましてや話した事は一度もない。その人の声は「記憶の海」に溶け込んでしまっていて、もう復元不可能な状態であろう。こんなに話しておいてだ。

だから、思い出そうとしても彼の声を思い出す事はもう出来ないのである。そして今、段々と彼の顔までもが薄ら薄らと消えかかっている。偶に来る「月報冊子」で確認をして思い出す程度である………。

 

私が実際に理事長を観た回数なんて、数えてもなければ覚えてもいない。その当時はそこまでフューチャーしてなかったからだ。寧ろ入学式何て無かったから、キチンと見たとするならば、卒業式で遥か遠くの壇上にて、門出を祝すお言葉を述べたあの日以来ではなかろうか。まさに最初で最後の姿だったのだ…。

その理事長をなぜ覚えているのかと言えば、それは学校のキャンパス内にある建物に理事長の名前が刻まれているからである。彼の名前は嫌でも頭の中にインプットされる。そして、早い段階でネタにする奴は、アウトプットも早い。一生持って頭の中に残る「用語」として余生を共に過ごすハメになるのだ。これが狙いだったのかはわからないが、まんまと引っ掛かったというものである。しかし、彼の顔を思い出す事は困難な為、その点に関して言えば、少々惜しかった様に思える。銅像は沢山あっても、全てビーナスばかり。彼の銅像はきっと無いのであろう。

彼の銅像があったらそれはそれでもはやネタである。かなり早い段階でネタにされること間違い無しだ。確かどっかの映画で、博物館で働く主人公が、真夜中になってそこに訪れると、レプリカや銅像が達が動き始めて主人公と共に謎解きをしていく、そんなアドベンチャー的な映画があったが、想像する所はまさにそう言った所か?

真夜中の「あの学校」に訪れると、理事長の銅像が動き始めて、蒲田の謎を解き明かす謎解きアドベンチャー。理事長の「黄金の右手」から放たれる様々な特殊能力により、数々の珍事件が解決していく。主人公はそんな理事長の「黄金の右手」に興味を持ち始め、遂に危険を冒してしまうのであった・・・的な。

正直、理事長だけでこんなにも思いつくなんて考えてもいなかった。一人の人間を想像するという事はかなりの労力が要るのである……。

 

帰宅した私は、即座にシャワーを浴び、TVを点けてニュースを見始めた。この時間帯のニュースは「エンタメと芸能」関連である。今日の特集は、あの大御所芸人「伝ペル」の芸能界引退説に関する内容であった。しかし、この引退説は週刊誌の誤報らしく、デマが濃厚になりつつある。ネット上ではそれを裏付ける一般人が撮影した証拠写真や、友人H氏やY氏による証言が出てきた。ネット上でこういった証言や写真が出てくるという事は、きっと彼の関係者の中で糸を引いている人物がいるという事かもしれない。そうなれば、これは捏ち上げの『引退パフォーマンススキャンダル』を発表する事が出来るかもしれない。彼に然りげ無く情報を聞き出し、その情報を元に、ギリギリのグレーゾーンで攻めて行き、大スキャンダルとして報発(報道発表)をすれば・・・。

まぁ、そんなスキャンダルなんてどうでもいい。今は理事長に関する話を煮詰めて行かなくてはならない。そして、コントなのか漫才なのか、はたまたドラマか?演劇スタイルか?・・・。全くもってコンセプトを決めてないのだ。こんなんで、果たして65周年企画を成功するのであろうか?

今日は話しまくって、考えまくったから、心身ともに疲れる一日であった。私はもう体力の限界だ。話して考えただけで疲れを感じてしまう程に、私の体は貧弱だ。昔から、滅法暑さには弱い方だ。寒い方がまだ元気よく生きている。食べる事も飲む事もそうだ。人に合わせた暁には、救急車で運ばれている事であろう。それ位にきっと大袈裟で、実際に起こりうる、他人事ではない事案の様に思える…。その他、家でよくお腹を壊すのだが、正直言ってそんなに食べられる方ではない。腹八分目の手前、七か六辺りまで食える程度。あとは食った物を消化する為に、ちょっとした運動をして身体を休ませたい。

明日も同様に、こんな感じの一日を過ごす予定なのだが、この「疲れる一日」が待っていると思うと、毎回お腹が痛くなってトイレに行く回数が増えていく。そんで切れ痔を発症してしまうのだ。この疲れが責めて、良い疲れになるか、それとも逆なのか…。明日の打ち合わせにかかっている訳だ。

はて、あのプロデューサーは話こそ聞いてくれたが、こんなに長々と架空の話をしてしまっては、周年企画という本質そのものを見失いかねない。それだけは最低限ライン、回避したい所である。この仕事が決まった以上、「失敗ムード」にだけはさせたくないからだ。なんせスタジオが完成しちゃってるのだから。下手な真似なんて出来ない訳ですよ。これじゃあどっかのオカルト番組になってしまう…。

私にとって今回の案件は、一番苦手な「仕事」である。一発ものであれば、次に続く数字が取れなくても、それで全てが終わるから、正直アドリブに近い状態の番組を構成する事ができ、身も心も「楽」な気持ちで仕事に臨める。何より出演者の不安がった顔を見るのが、私にとって一番の「薬」なのだから。

これから何が起こるのか、何が始まるのか。その分からない事だらけの中で、出演者が必死になって製作陣に救いを求め、その姿がカメラに映し出される。それはある種の「興奮」というものをその場で生み出し、恍惚として昇華していく。もっともっと必死になってほしい。その一心でもう一つの不安を用意する。出演者にとっては最悪の一日で、最低な仕事内容である。折角用意したコンディションがゴテゴテのズタズタ、ネチョンネチョンにされてしまうのだから…。

 

さて、あの時、そうプロデューサーの帰り際にスタジオの完成話を聞いた訳だが、ついつい私はその時、暢気に

 

「流石、気合入っているな~あのプロデューサー。」

 

と感心してしまった。でもこんな事をしている余裕なんて正直どこにもない。むしろなんというか、この余りに早過ぎる対応に若干、戸惑いを覚えてしまっている。とにかく、「理事長話のコンセプト」を決めなくてはならない。それだけ決めてしまえば、後はある程度の筋書きを記して、

 

「自由な演技をしてくれ!」

 

とでも言っておけば出来上がる…。

 

いや、流石に台本くらいはキチンとしておこう。

 

この「理事長話」に関しては、自分の空想話を多様に盛り込んでいるのだから、「小説風」か「演劇風」のどちらかで作ってみても悪くは無いような気がする。いや寧ろその選択肢以外に何があるのだろうか…。

内容は、夕方に話した感じで、蒲田校20階に佇む理事長から始まる事にしよう。それで自ら獲得した超能力を駆使して、あらゆる人間の「内に秘めた魂」を「心眼」でもって透視していく。それぞれの「悩み」を自分の中へ一挙にインプットさせて、そこの中に隠されている「不満」や「怒り」、「悲しみ」と言った数々の感情を償う事で一挙に解決。皆が清々しい生活を送れる様に尽力をしている。という設定で行こう。

彼はそうやってそれぞれの「日常」を大切に監視し続けている。云わば「調停役」という役職を自ら買って出てるのである…。

 

こんな感じで良かろう。後は長いシーンとカットのやり取りで、ある程度時間を稼ぐ事は余裕であろう。尺通り「理事長の話」を収める事は出来そうだ。

 

そんな事を頭の中で巡らせていたら、深夜の1時になっていた。そろそろ寝ないとコンディションが整わない。最悪な一日を迎えてしまう。酒を飲んでいる時はそんな事気にしないのだが…。

正直5時間睡眠と6時間睡眠は質が違う。日中集中して出来るのは後者の6時間睡眠であろう。これは言わなくても当然の如く皆分かる。しかし前者の5時間睡眠の方はどうだろうか?こちらに関しては諸説あるものの、昔の人間の様に分割睡眠を心がければ、解消する事が可能らしい。例えば現代であれば、夜の22時~23時の間に睡眠し、朝の3時~4時位に目覚め、その後7時~8時まで睡眠を取る。そうする事で5時間~4時間、4時間~3時間の分割睡眠が出来る様になり、身体への負担解消に繋がるらしい。

ネットニュースで知り得た情報である。昔の仕事は効率的な仕事より、日照時間に於いての活動が主だった為にこの睡眠が定着していたらしい。しかし、産業革命以降、効率社会が一定の基準になってきた頃、人間の睡眠は一気に取る一括睡眠に切り替わったそうだ…。

 

なぜ、睡眠に関する話をしたか。それは次回持ち込もうと考えている、とあるお話に若干関わりの持つ「テーマ」だからである。

彼の名は「伝ペル」。先程スキャンダルで話題になった人物である。「伝ペル」とは略称みたいなもんなのだが、それはさておきだ、明日この話をするとなると、少々ややっこしい展開になりそうである。「疲れる一日」。これだけは責めて避けたい所。また同じ様に話を持ってくる為にも、どうにかしてこの難関を突破しなくてはならない。順番を変える事は当然出来る訳なのだが、何故かここに来て、自尊心がそれを許さなくなってきたのである。全く、自分の身体だというのに、キチンとコントロール出来てないのだから呆れる。そんなプライド捨ててしまった方がマシである。でももう遅かった。気付いたら深夜2時に時計の針は進んでいた。今日はもう寝る事にしよう。そもそもあのスキャンダルが無ければ、今日という日に山場を迎えなくて済んでいたのではなかろうか。いや、出るべくして出たスキャンダルであろう。

でももう遅い。何を嘆いでたって時計の針は進む。太陽が西の空から昇る事だって無い訳だ。諦めよう。

 

今夜もエアコンの音が部屋中に鳴り響く。「清々しい空間」がそこには出来上がっていた訳である。大丈夫、コレはエアコンが作ったのであって、あの方が作った空間ではない。案ずるな。あの方を見る事はもうないであろう。

きっとそうである…。

 

 

 

 

第1章「不動の神」  完

 

次回、第2章 全鳥類時代(予定、タイトル仮。)

 

 

 

 

 

 

【予定】

 全鳥類時代

 2階から

 圧力の無いキメ顔

 噴水着水

 失われた魔法瓶

 三大欲求

 結論から言おう

 トロッコ鉄道333

 ちょっと静かにして

 12階の円談

 ネイチャー

 ファミレス

 ズーズズー

 蒲田

九月五日 午前一時十分。東京の片隅、墨田区。

 

 

カタカタカタ…カタッタ、カタッ……カタカタ…カタタ…カタッ!

ゴクッゴクゴクッゴク………マズイ…。

カタカタッタッ!カタカタ……タッ!カタカタカタ…タッ!タッ!

 

 

「海風が激しく吹き荒れる横浜。学校は東京の蒲田にある。しかし、そこで卒業式は決行しない。これはもう相当な臍曲がりである。態々横浜の、それもパシフィコの奥にある、大きなイベント会場で開催するという。どうだ、この大盤振る舞い。高い金を徴収し、盛大な卒業式を執り行う、ここまではテンプレ。そして「不動の神」こと理事長がゆっくりと現れ、我々の前で昔話を語る。そしてこれがまた流暢な語りなのだ。年齢をものともせずに語るのだ。いやぁ~、驚いたね、あの時はただ単に驚いていた。正直「ヨボヨボじぃさん」なんだからって油断していたよ。流暢なその語りは数十分にも及び、その後はとてもコンパクトに、校長の話が始まった様に思える。

今思うと、あの頃何と言っていたのかは思い出せない。

校長の話は小中高と聞いていきたが、あの時何と言っていたか、はて………?

今となってはオーパーツを探すかの如く、僕の深い、深い記憶の中に埋もれてしまったかもしれない。いや、きっと「記憶の海」の中で海蘊になっているのではなかろうか。跡形も無く消え、「確かあんな感じだったよなぁ」って思い出してる頃には、その時の映像も消えてしまっていて……。

「記憶の海」、雰囲気だけがいつも残っていて、映像という「思い出」は本の少ししか残っていない。だからこそ、映像を改ざんさせるかもしれない。都合の良いカメラワークを割り当てて、記憶を美化させていく。そして、きっともってスモークの様な煙が立ち込めるんだろう、それ以外にも幻想的な演出を施しているかもしれない。

まぁ「記憶」だからね。きっとそうやって演出や脚色をしてしまうんだろうなぁ…。つまりは「虚構」。「記憶の海」に眠るものは姿を変えて、「虚構」の衣装を纏うのだろう。

 

無駄話が過ぎましたね。僕の悪い癖。

かくして、その卒業式は数時間の後、幕を閉じた。

皆、風が吹き荒れる中、横浜の海岸沿いを歩いて駅へと向かっていった。

 

そんな感じで卒業式を終えて早七年半の歳月が経とうとしていたのです・・・。」

 

「さてと、こんな感じかな。この後はアドリブにしよう。うまくいくかはわからんが、まぁ成り行きでどうにかなる。端的に語れればグッドだな。で、それを語った後は、後ろの弾幕が横に開いて、スクリーンのおでましだ。そしたら、いよいよあの映像が流れるという訳だな。うん、いけそうだ。予定通りいけるぞ。」

 

 

パン、パララン………

USBセツゾクカンリョウ…。

カタカタカタ…カタッタ、カタッ…

「テレビ夕日 十月(新)「黄金一族」エピソード0 語り用」

 

 

白いSAISHIBAのUSB。もう5年は使っているのではなかろうか…。このUSBには来月の新番組で使うデータが沢山入っている・・・。

 

沢山ってどれ位か?う~ん。128GBの内60GBはデータで埋まっている。つまり、そこには今回の様な文書だけでなく、映像データも一緒に入っているという事である。まぁ、相当な量である事はG数を理解すれば見当がつくであろう。このUSB2万円もかかっている。2万円だ。スマホの月額料金でも今はこんなにかかったりしない。課金何かしようものなら掛かるかもわからないが。

それでも2万円はかなりの出費である。美味しい焼肉店でちょっとした食べ放題が出来るはずだ。食というのは、身体の「資本」を作る大切な行為であろう。その行為よりも仕事を優先させ、しかもそれをUSBという小さなバックアップ専用端末機に費やしたという訳である。あまりにも儚い。そもそも、USBを複数持っていれば、文書用と映像用で切り分ける事が出来る。そして、企画が終わる毎に整理をすればずっと使い続ける事が出来る。例え無くしたとしても、安いUSBでおさえておけば、無くしたときのショックを抑える事だって出来るはずだ。しかしながら、この男は「大容量」「高品質」「高性能」という一大二高(いちだいにこう)(無理くりな表現…)の三文言に心打たれたのである。この謳い文句がどうやら気に入ったらしい。欲張りな強欲王は、そのUSBに2万円もの金を使ってしまったのである。

 

さて、その2万円USBは、この男が愛用している筆入れに入れられた。明日の支度を整えている。

そして突然男は語り始めた。誰もいないマンションの一室で。一人高らかに…。

 

「明日の昼十一時。テレ夕Aスタジオに直接向かう事にしよう。スタイリストさんに化粧直しをしてもらわないと、それといつもお世話になっている西京(さいきょう)衣装さんとサイズチェックをしなくては。身体はそのままをキープしているから、余程の事が起きない限り、問題なく着こなせるはずだ。そしてカメラマンさんと他愛のない話をして、脚本の方に今日書いたものを見せて校生をしてもらおう。そうそう、編集さんも久しぶりに顔を出すって言ってたな。ZONYの展覧会話でもするか。8K編集機がこのテレ夕にも導入されるらしい。4K編集機が導入されたばかりだというのに…。スマホで今や8Kの動画を撮れてしまう位に世の中は進んでいる。(実際は4Kの映像らしいけど…)。まぁそんな事より、明日は久しぶりの面々と顔を合わせる事が出来る。そうそう、明日の昼ごはんはなんだろうか。ひつまぶしだといいのだが…。膳虎のひつまぶしをまた食したい。あの漬物、そう、あの牛蒡の漬物が絶品なのだ。お焦げのご飯もたまらなく好きである。後はお膳から漂う木の香り。あれがまたたまらない。食欲をより一層掻き立てる、なくてはならないお膳なのだ!」

 

男の呟きは段々と部屋に響き渡っていった。ワイッターにでも呟けばいいのに。140字以内という文言は相変わらず変わっておらず。呟き足らずに悩んでいた。そして思いついたのがアカイプなどを起動させて語る、男主催の雑談会である。最近ニッコリ動画のコミュニティを閉じたばかりで、その反動がこうやって彼の私生活を変えようとしていたのである。語りたい。もっと語りたい。場所さえあれば幾らでも語れる。幾らでも相談に乗る!幾らでも企画を打ち立てる!

そんな彼の勢いは、段々とヒートアップするのかと思いきや、我にかえったらしく、そのまま収束していった。

そして、一仕事を終えた男は、そのまま母の携帯に入電した。

 

 

「母ちゃん、いやぁ、それにしてもビックリだわ。周年企画だよ、周年企画!それも天下のテレ夕だからね~。」

 

「武士テレビじゃないのね。武士テレの方が良かったわ~。」

 

「ホントそこ好きだよね。まぁいいや、オンエア恐らく秋の改編後だから、十月の中旬頃かな。日曜ってのは決まってるから、見てね。まぁ、最近じゃあ録画かな?録画率!視聴率も大事だけど、録画率も大事だからね~。そうそう、ここ数年では漸くネットでの数字も拾える様になってね。ニッコリ動画がTV局と総務省と連携して、「一億総視聴」っていうスローガン掲げて、TV局の放送がネットで見れる様になってるからさ~。リアルタイムで。だから見てないなんて言わせないからね~。」

 

「はいはい。どうせTVしかないからTVで見ますよ。時間は?何時からなの?録画しとくから。」

 

「時間はね~、7時57分から。裏番の「宇宙の際までムカッテAよ」と同じ時間帯にやるね。あの番組は視聴率21%、録画率53%!のお化け番組なんだよね~。あ~それと…」

 

「はいはい。それもう2回目。聞き飽きました。わかりました。テレ夕ね。8時ね。で、番組名は?何て言うの…?」

 

 

その周年企画は、

 

「愛とロマン、時々おとぎ話 素晴らしき日々よ」

というタイトルである。

 

半ばふざけたこの企画が最終審査に進んでしまったのは、今から二週間程前の事である。第一次審査で落選するものだと思っていた男は、その企画に幾つかの「虚構」を散りばめた。しかし、それが功を奏して、上長会議では文句なしの満場一致となってしまった。テレ夕の威信を懸けた大プロジェクトとして、編成チームが組まれてしまった。宣伝は多岐に渡って展開された。まずはテレビCM。15秒、30秒、1分。長いものでは3分ものもある。その他にはネット広告や電車・バスなどの車内広告、駅ビル・駅構内の一面を飾る広告、飛行機の機体から新幹線の機体までもラッピング。更には、豪華客船飛魚Ⅲの全体ラッピング。世界的有名な「東京コスモツリー」で行うLED広告。これは、夜の隅田川に浮かぶ「素晴らしき日々よ」という明朝式の文字が、川の上を揺らめき照らしていく、少し幻想的なイルミネーションである。

 

そう、今思えばここまで来るのに色々と苦労?をしたものだ。

気付けば、現実に対して必死に食らいつき、もがき、汗水垂らして毎日を過ごしていた…。過ごしていたさ、「嘘」ではない…。いやどうだろう。一応こんな感じにしておけば問題無いだろう。実際はどうだったかはわからん。差支えの無い言葉を選んだつもりですよ。結果、話を盛ったと言われればそれまでなのですから…。

しかし!我ら七人、それでも与えられた持ち場で奮闘し、今日という日を大切に大切に生きてきた事は間違いない。例え挫けそうでも、なんやかんやでやってきたのだから、それはそれで良いんじゃないかって。だから胸を張っていれば、いつか大きな夢を掴み取れる。チャンスが舞い込んでくるはずだと。

しかし、こんな綺麗事で済むはずもなく、若干ではあるが暗雲が立ち込めている。なんでかって、もはや今書いてある事もそうだけど、これから書く事も含めて「全て嘘」なんじゃないかって位、可笑しな表現があちらこちらに出てくる訳だから…。まぁ、この書いている内容はフィクションでありノンフィクションである。何か言っている事が矛盾している様だけど、あの二年間はそんな「矛盾」に溢れていた。まさに世にも奇妙な事が起きて、それを見ていたら笑わずにはいられない。ファンタジーな世界がどこまでもどこまでも続く。それはきっとこれから先もずっと続いていく…。そんな気がした。

 

母の電話を終えて時計に目をやると午前2時を回っていた。

 

「そろそろ寝ないとなぁ。あぁ~でもアイス食いてぇなぁ~。エイト行こうかなぁ~。抹茶アイス食べたいんだよね~。ハーガンダッツの抹茶アイス。でも…。外は蒸し暑いしなぁ!どうすっかなぁ!」

 

九月の初め、外はまだ暑い。いつの時代もお決まりである。八月は過ぎても暑さだけが残る九月。正直十月にならないと涼しさを感じられない。湿気と汗が身体をまとい、半袖を着ていてもジワリと出てくる。そんな不快指数が鰻登りする季節だからこそ、日々思いつく俳句はこの程度のものでしかない。

 

「夏終わり 蒸された鍋に 一人ポツン」

 

うむ…。こんなのしか思いつかない。ギリギリ「夏」を入れているのだから、その寛容に溢れた気持ちで、どうか「俳句」として許して欲しい。本来であれば、この程度のものでは無い。もっと発想に富んだ、ユーモア溢れる表現にしていたはずだ。オノマトペも多彩に使うし、かつ十七音に収める。歳時記をもう一度読んで、「夏」以外の表現も用いる。

さて、この俳句だが、夏から秋に変わるこの九月というのは、段々と涼しくなっていく中で残暑だけが置いてけぼりにされていく。そんな感じがしたのです。人に例えると一人ポツンと佇んでいる訳だ。空は涼しい空気に入れ替わっているのに、地上は暑い。そこに人間がポツンと立たされ、汗を流しつつ動き回っている。蒸された野菜の様にグルグルグルグルと蒸され続けている。鍋を出した理由、それはそう、食欲の秋から連想して出てきた言葉。野菜なんかを鍋に入れて蒸し上げれば、きっと甘味も増して美味しい事だろうに……。

 

そうそう、しゃぶしゃぶで野菜を沢山食べた事を思い出したよ。きっとその話は後半に出てくると思う……。

 

暑さとの葛藤の末、結局アイスを買う事にした。しかし、驚いた。さっきまで九月に嫌という程悪口を呟いていたのに、夜はこんなにも涼しくなっていた。珍しいかな、平均気温20℃。平均での気温だから、体感はもっと涼しいはずだ。

幸い、追い風がやや強めに吹いていて、なんだか心地良い。身体を包むように風が全身を纏っていく。これから始まる壮大なバラエティも、きっとこの追い風に乗って突き進んでいくのであろう。

いや、途中で向かい風になりそうだな。視聴者は風の様に「気まぐれ」だ。風を読む様に、先へ先へと読んでいかないと、さっきの鍋の様に「ポツン」と置いてけぼりにされてしまう。そんで「記憶の海」へと沈む様に消えていくんだ………。

 

「いやぁ、涼しいなぁ。秋が近いんだなぁ。一ヶ月はあっという間だからなぁ。お!サニーゴじゃん!マジかよ!ニックネーム「スミーゴ」な!」

 

ポケモンGO。サニーゴが出てからというもの、ずっとサニーゴばかりを捕まえている。

この男の唯一の「こだわり」である。

 

追い風が吹いている。

もっと煽るかの如く、吹いている。

煽られている内が「華」なのかもしれない。

だって向かい風程、息苦しいものはないのだから。

男は浮かれている。

そんな浮かれている男にも、今日は風が追い風となって吹き続けている。

 

本日モ、追イ風ナリ。本日モ、追イ風ナリ・・・。