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『子育て』と『仕事』の両立をする、 共働き夫婦の奮闘記

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「こどものちから」を再確認した。

先日、とても身近なところに「こども」が生まれた。

その日、生まれると分かった時から、目に見えて変化を感じたと思う。

こどもの誕生が想像つかなかった夫婦にこどもができて、

どうなるんだろうかと興味深く見守っていたところ、

見る限り、喜んでいる感じが伝わってきた。

まさかの立ち会い出産もそう、

とってもぎこちない感じだ。

だけど、なんだかこっちも嬉しくなった。



子は鎹(かすがい)っていうけど、本当にそう思う。

うちのこどもの名前からしてそんな感じでしょ!

我が家の場合、こどもの存在自体が運命となって、

今、今日の生活を送っているわけだし、

こどものために、頑張っているんだと思う。

僕のすぐ横では、アンパンマンの風船がしわしわになりながらも

プカプカと浮かんでいるし、おもちゃも山のように積み重なっている。

こどもがいなかったら、あり得ない風景。

そんな風景を見てるだけでも微笑ましいと思える。いま。

誰もがそんな気持ちになって欲しいと思う。

また同じ気持ちが芽生えた人が増えたんだなと思って嬉しかった。

温かい家族の気持ち。

これからも、そんなたくさんの人たちにエールを送りたいし、

喜びを共有していきたいです。


2010年 2月、二人目の妊娠が発覚しました。


深絆が2歳になる頃に次の子をと計画していました。


妊娠が確定した連絡を受けた時は、すごく嬉しかったです。


家族が増える喜びを実感しました。


深絆の時は、嬉しいよりも、これから巻き起こる急激な


環境の変化に気をとられていたので


実感はあまりなかったといった感じでした。




この二人目の妊娠以降、パートを辞めました。


職場的に妊婦が働ける環境ではなかったのです。


それから再度パートを探しました。


待機児童が多い保育園は一度辞めてしまうと


再入園するのもいつになるか分からない様な状況でした。


そして保育園に通うためには共働きが条件です。


就職して働いている場合は、産休を利用していれば保育園へ預けられます。




パート探しも難航しました。原因は妊娠している事。


妊婦を新たに雇用する事は


リスクが高いことです。病院の受付など面接を受けに行きましたが、断られました。


内職も探しましたが、短期では稼ぐ事はなかなか難しい状況でした。


しかたなく専業主婦としてこの期間を過ごしました。


保育園への書類は、僕の実家が自営業なのでなんとかなりました。




後になってこの期間はその後の就職のために


スキルアップなど、準備期間に活用できたと思っています。こどもが生まれてからの方が時間的余裕が無かったです。



なんとなく家にこもってしまいがちな時期でもあります。


日々なにか活動していないと落ち込んでしまいそうです。



これから就職するにあたって、


福利厚生がしっかりしている職場(産休・育休の取得実績がある)を


選ぶ事が大切なことだと思いました。

我が家の娘は二人とも6ヶ月くらいから保育園へ入園しております。


世間的には少し早いかもしれませんが、それが必然だったのです。


今日は長女の時の話を振り返ってみます。


長女 深絆(しき) の時は、母がまだ大学4年だったので、


あと半年学校へ通うため2009年4月、保育園へ入園しました。


初めは哺乳瓶での授乳に馴れていないため、


3時間おきに保育園へ通うなど、母も苦労していました。


1歳になる前に大学も修了し、


8月は保育園に行かず家で過ごしました。


その後、保育園へ預けるには両親とも


「働いている」や「学校へ通っている」ことが条件なので、


10月から母がパートを始めました。


保育園に再度もどった深絆は、馴れるまで熱を出したり


体調を崩し、働き始めの母親を少し悩ませていましたが、


数日後、調子を取り戻すとその後は順調に通えるようになり


日常生活を送れるようになりました。


初めは、子どもを預けて働くことに対し、


罪悪感が捨てきれない想いもありましたが、


現実的に、生活していくためには


母親のパートが必要だったのです。


そして深絆も少しずつ成長していき、


今でもしっかりと保育園へ通っています。


母親も母親として成長し、


その姿をあたたかく見守っています。