personal memo for time limit

personal memo for time limit

仕事、妊娠、人間関係。いろいろ差し迫ってる三十路半ばの女の日々の備忘録。

Amebaでブログを始めよう!
普通にやってきた。
予定通り。

計算してみると、私が想定してる「この日」というのは、もしかして遅いのか?

まあ、そんなことに気付いただけでもよかった。

来月は精緻に試みてみよう。
来月こそは。

あらためて、私という入れ物はホルモンに左右されてることがわかる。

来る前というのはなんとも陰鬱な気持ちが支配していた。

来てみると、スカッと天気が晴れたような心境になる。
天候は逆だというのに。

女が変な男や商法に引っ掛かるのは、きっと生理前。なんの裏付けもないけど。

しかし、これから本気で作ることに向き合うとなると、来るたびに打ちのめされるのだろうか。

生理前も後もずっと陰鬱なんて、人生あまりに辛くないか。

不妊治療の辛さはホルモンに抗うような感情の継続性にもあるのだろうか。

親は若い。
自分のだ。

母との年齢差は22。
つまり私を22で出産した。
これって自分の生きざまと比較すると、結構驚く事実ではないか。
あらためて。

今の自分に高校生の子供がいる。
いる、だけでなく16年間、その子を育ててきている。自分にそんなことできたろうか。

違う想像をする。
自分が16の時に、母親が妹か弟をまた妊娠したとする。
私は母と父を心底気持ち悪がって嫌悪したと思う。
ひどいが確実に。

たらればがない私の人生に起こりえること。
今から子供を持つか、
持たないか、
どちらかのみだ。


壮絶だ。
周囲の不妊治療の話である。

一度足を踏み入れたら、徐々に砂に埋もれていくように出られなくなる。

これって最強のビジネスモデルかもしれない。

課題解決のために病院の門を叩き、動き出した人には敬意を表したい。

一方で、自分はそこまでしなくてもなんとかなるんじゃないか?と思っている。
つまり、こっそり出し抜けるんじゃないか、と。

競争は存在してないんだけど。

治療せずに自然と妊娠できるかもしれない。あっさりと。

きっと治療を始めた人たちも、決心するちょっと前の心境は今の私と同じだったのかもしれない。

いつも世の道理に気づくのが人より一周遅い私のことだ。

半年後には知人たちのように治療の苦労話を語り始めていたりして。

ありえる。

周回遅れのくせになんとかなる、出し抜けるかもと思ってる、のんきな自分。

とりあえず10日前、タイミングを合わせて試みた。

タイミングといっても、あくまで自分の身体の勘。

体温も測ってないしお粗末極まりないが、一応試みたことにする。

来週、来るか来ないのか。
我ながらのんきである。