ウフィッツイ美術館の入り口近くの彫刻。
(ちょうど工事中で全身は撮影できず。)
1475年、ミケランジェロはフィレンツェで生まれた。6歳の時に母を亡くしている。一家が抱えている石工の家に育てられた、石に幼い頃から触れていたようだ。
伝承によるものだが、ミケランジェロ自身が後年「私は石の乳を吸って育った」と語ったという逸話が残っている。また、「乳母の乳を飲みながら、鑿と金槌の使い方と人物彫刻のコツをつかむことができた」という言葉も伝わっている。
フィレンツェから、ヴェネツィアなどに移り住み、ローマに移住する。
1497年、教皇庁のフランス大使から、ピエタの制作依頼を受ける。
コンスタンティーノ・ドラッツィオ著「ミケランジェロの焔」では、ピエタ制作のくだりで、ミケランジェロが、ダンテの神曲、天国編の最終歌章、聖母マリアへ歌う祈りの言葉を、絶え間なく考えていたとある。「処女であり母、あなたの息子の娘(神の子の娘)、いとも謙遜にして、いとも高貴なる被造物」。聖母マリアがあまりにも若すぎると批判を浴びたが、ミケランジェロには信念があったようだ。
このピエタについては、母を失った子どもが抱える、母の両腕への憧れが芸術として昇華されたと見る研究者も多い。サン・ピエトロ寺院のピエタを見て、聖母マリアに抱かれているのは、ひょっとするとミケランジェロの最後の姿なのかもしれないという思いが湧き上がってくる。ピエタ完成時、ミケランジェロ24歳。
1501年、フィレンツェに戻っていたミケランジェロの元へ、高さ5mもの巨大なダビデ像の制作依頼が舞い込む。
すでに石は切り出されており、何人かの前任者によって挫折中断されていた。レオナルド・ダ・ヴィンチにも制作依頼の声がかかったようだが受けなかったようだ。
ダビデは巨人ゴリアテに立ち向かっていくわけだが、ミケランジェロ自身は、巨大なダビデ像制作という、困難に立ち向かっていくことになるわけである。
若い頃、フィレンツェで、解剖学の勉強をしていたことも(要するに人体を解剖していた)、この像のリアリズムをささえている。このダビデ像の完成時、ミケランジェロ29歳。
1505年、教皇ユリウス2世にローマに呼ばれる。ユリウス2世が死後に納められる霊廟の制作を命じられる。
1508年、霊廟の制作途中に、システィーナ礼拝堂の天井画制作をユリウス2世に引き受けさせられる。ミケランジェロは、この天井画の制作に4年半を費やした。上を向いて作業をすることになり、体を酷使した作業となる。
当初、ユリウス2世は12使徒を描くように言ったとされる。ミケランジェロはこれを拒否。旧約聖書の創世記を描き、5人の巫女と7人の預言者を描いた。
最初は助手を雇っていたが、ノアの大洪水を描かせた時、人物が小さく(人間の姿が地上から見えないほど小さい)、全員クビに。以後一人で描ききたっという。ミケランジェロの言葉、美の本質は神に似せて創造された人間の肉体にある。その言葉の通り、肉体への拘りを感じる。
ある時、ユリウス2世から、いつになったら完成するのか?と聞かれて、ミケランジェロはこう答えたという。私が出来たと言った時です。
1512年、システィーナ礼拝堂天井画完成。人々がそれを見上げた時、人々の口からは、人間業とは思えない。神の如きミケランジェロ。という言葉が漏れ出たという。ミケランジェロ37歳。
1536年、ミケランジェロ61歳。神聖ローマ帝国によるローマ略奪(1527年)の後、精神的再生を求めた教皇クレメンス7世は、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の祭壇画、最後の審判を依頼する。1541年完成。ミケランジェロ66歳。
1546年、ミケランジェロ71歳。サン・ピエトロ大聖堂の建築に着手する。ブラマンテ、ラファエロ(ルネッサンス三大巨匠の一人)などが建築に関わりながらも、教皇の交代による方針の定まらなさ、財政問題、神聖ローマ帝国によるローマ略奪(1527年)などで進んでいなかった、サン・ピエトロ大聖堂の建築(建て替え)。ミケランジェロに白羽の矢が当たる。ミケランジェロは無給で17年間を大聖堂建築に捧げた。現在のサン・ピエトロ大聖堂は後の計画変更で追加されたファサード(正面外観)を除けば、基本的な部分はミケランジェロの手による。
1547年(ミケランジェロ72歳)から1555年にかけて、ミケランジェロはサン・ピエトロ大聖堂の建築に並行して、自身の墓碑のためにバンディーニのピエタ(フィレンツェ大聖堂付属美術館蔵)に取り掛かった。
思うに、ミケランジェロが死を意識した時に、神の愛にすがり、聖母マリアの両腕にすがったのだと思う。そこには母の愛も重なっていたと思う。このピエタには何度も破壊を試みた痕跡が残る。若い頃、傑作を生み出したからこそ、老いて理想と現実の間に苦悩するミケランジェロが見て取れる。そして、若い時のピエタと比べて違うのは、聖母マリアに寄り添う人物がいる。ユダヤ教の指導者ニコデモとも、大天使ミカエルとも、そしてミケランジェロ自身とも。ただ救いを求めるのではなく、その奇跡を見つめてきたあたたかい眼差しを、その人物から感じる。ミケランジェロが自身を客観的に見つめる人物を登場させたのではなかろうか。そして、それらは境界線を曖昧にして、混ざり合い繋がり合っている。未完成。でも完成とは何なのだろうか?
1555年頃、パレストリーナのピエタ(アカデミア美術館蔵)制作。未完成。
1552年から1564年にかけて、ロンダニーニのピエタ(ミラノのスフォルツェスコ城、ピエタ・ロンダニーニ美術館蔵)制作。未完成。
1564年、ミケランジェロは88歳でローマにてこの世を去る。サン・ピエトロ大聖堂の完成前であった。また、死の最後の日まで、ミケランジェロはロンダニーニのピエタに向き合っていたという。
ドーム全体の基本的なデザインはすでに完成していた。フィレンツェを愛したミケランジェロの遺言どおりに、遺体はローマからフィレンツェへと運ばれて、サンタ・クローチェ聖堂に埋葬された。
ルネッサンス三大巨匠は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロである。ダヴィンチやラファエロが投げ出した仕事も、ミケランジェロはやり遂げた。人付き合いが下手で、口の悪いミケランジェロ。難しい仕事であればあるほど、彼のところに回って来てしまう。そしてそれを彼はやり遂げた。プロフェッショナルオブ三大巨匠と言えるのかもしれない。晩年に彼が作ったピエタ。未完成でありながらも、これらもまたやり遂げているのかもしれない、と自分は思う。
