片倉小十郎ツアーも最後です。

















片倉小十郎景綱、wikipediaより


片倉小十郎景綱は、白地黒鐘の大馬験(おおうまじるし、馬印とも)をなびかせ、縦横に戦場を疾駆し、世の人に伊達に知将片倉小十郎ありと嘆じせしめた。この黒鐘の大馬験も「その名を天下に鳴り響かせよ」という姉喜多の弟への励ましの作であったと伝えられている。現在、この黒鐘は白石市の市章となっている。


そして、この大馬験は、仙台市博物館で見ることができます。




片倉景綱が幼い時、両親が相次いで亡くなってしまった。異父姉の喜多とは20歳くらい年が離れていたため、母のような存在で、喜多に養育された。喜多は文武両道に通じ、兵書を好み、講じたという。景綱は喜多の教えを強く受けて育ったという。


喜多は、伊達政宗の乳母を拝命し、政宗も養育した。そう考えると、伊達家というか仙台藩というか、喜多の存在は大きいのかもしれない。


片倉家御廟所

宮城県白石市福岡蔵本字愛宕山


片倉喜多の墓

宮城県白石市福岡蔵本平屋敷